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・・・『物部氏の始祖は、宇摩志麻遅(ウマシマジ)尊とされています。宇摩志麻遅尊のお父さんは饒速日(ニギハヤヒ)尊です。お母さんは三炊屋姫。弟には天之香山尊がいます。宇摩志麻遅尊は、物部の兵を率いて、天之香山尊と共に、尾張・美濃・越を平定し、天之香山尊を、新潟県の弥彦神社に残した後、更に播磨・丹波を経て、石見国に入り、島根県大田市にある現在の物部神社で崩じられたとされています。』・・・との指摘があります。 そのウマシマジが祀られている、「石見国一の宮物部神社」の由緒によれば、・・・『祭神のウマシマジ命は物部氏の祖神である。父神・饒速日命は十種神宝(とくさのかんだから)を奉じ、天磐船(あめのいわふね)に乗って大和国の哮峯(いかるがのみね)に天降り、ここで勢力のあった長髄彦(ナガスネヒコ)の妹の御炊屋姫(ミカシキヤヒメ)命を娶り、ウマシマジ命を生んだ。』・・・ 『神武東征の際、ウマシマジ命は長髄彦を殺害し、その功により神剣・韴霊(ふつのみたま)剣を賜り、神武即位に際しては五十串(いほぐし)を樹て、韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願した。これは当社の特殊神事の鎮魂祭(みたましずめのまつり)の起源である。』・・・ともされています。 物部神社と出雲の関係については、以前も空想したことがありますが、もう一度視点を変えて空想したいと思います。 今回注目するのは、神武東征の後ウマシマジは大和盆地を離れ、先にあるように、・・・『物部の兵を率いて、天之香山尊と共に、尾張・美濃・越を平定し、天之香山尊を、新潟県の弥彦神社に残した後、更に播磨・丹波を経て、石見国に入り』・・とされています。 この経路を良く見ると、中部地方から日本海沿岸地域と、ほぼ本州の半分の領域を巡り歩いたことになります。そしてその終焉の地が石見国なのですが、崇神天皇の四道将軍の派遣や景行天皇、ヤマトタケルよりも早い時代、大和政権の創成期ともいえる時代に本州の西半分の地域を巡り歩き、あるところは平定したとされているのです。 こうした記述は何を意味するのでしょうか。そして重要なことは、吉備、出雲、北部九州が除かれていることです。しかし、それにしても物部氏の分布は日本列島の各地に広範囲に広がっていることも事実です。 今回は、そうした謎を空想したいと思います。 |
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□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/
2009/10/17(土) 午後 4:37 [ jpn*s*ns*a ]
jpn_sansyaさん>ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。コメントも下さいね。私の方もゆっくり読ませてもらいます。
2009/10/17(土) 午後 5:10 [ shigechanizumo ]
shigechanizumo さん
こんばんは、外部リンクご快諾いただきありがとうございます。なかなか薀蓄の深いブログですね。時間をかけじっくりよませていただきます。楽しみですよ。
私見ですが、物部氏は、「大己貴に随行した武人集団では?」などと考えています。全国の出雲文化(弥生文化)と、物部氏の歴史遺構が重なりますね…
2009/10/17(土) 午後 7:56 [ jpn*s*ns*a ]