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裏日本と表日本、西日本と東日本、銅鐸文化圏と銅剣・銅矛文化圏などといったように、日本列島を地理的にあるいは文化圏的にグルーピングをして、その違いから物事をひも解こうとする考え方があります。 今回私は、中国大陸と朝鮮半島から日本列島に至る渡航コースを空想し、そのコースを大きく三つに分けることによって、西日本には三つの有力なグループがあったのではないかという仮説を立て、そこから浮かんでくる様々なことについて述べようと思います。今年最後の空想になります。 まず、概略から述べたいと思いますが、今まで空想してきたことと重複するかもしれませんが、ちょっと視点を変えていますのでお許しください。 三つの渡航コースの一番目は、朝鮮半島の玄界灘に面する伽耶あたりから、対馬・壱岐を通って北部九州の遠賀川あたりに到着するコースです。このコースは、さらに関門海峡を通って瀬戸内海に入り、吉備・畿内・大和に至るコースとなります。 二番目は、朝鮮半島の西海岸の百済あたりから、済州島を経て、五島列島から筑後・有明海に至るコースです。さらに有明湾から薩摩半島に至るコースともなります。 三番目は、何度も採り上げてきた朝鮮半島の東海岸の慶州・新羅から、そのまま出雲へと向かうコース、あるいはいったん対馬に出てそこから出雲へと至るコースです。さらに出雲から丹波・越に至るコースともなります。 なぜこのコースを考えたかというと、このコースの到着地では、一番目のコースからは、邪馬台国が推定される北部九州の国々や、瀬戸内海の吉備そして終着点の大和、さらに、その延長として東海地方の国々が考えられるからです。 二番目のコースからは、邪馬台国と争った狗奴国や、後の磐井の反乱の肥の国、さらに熊襲・隼人の勢力範囲が考えられるからです。 三番目からは、最後まで大和政権を煩わした、出雲・伯耆・越の国々が考えられるのです。 そして真ん中のコースとなる朝鮮半島・玄界灘・北部九州・瀬戸内海・吉備・大和という並びが、地政学的にも最終的な覇者になったという推論が展開できると思うのです。 |
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