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これまでに、出雲の青銅器についてはずいぶん書いてきました。今回は、視点を変えて、疑問点を洗い出したいと思います。 論点整理のために、洗い出す銅矛と銅鐸は、荒神谷遺跡で発掘された銅矛16本と銅鐸6個、加茂岩倉遺跡で発掘された銅鐸39個に絞り、銅剣のことは後にしたいと思います。 疑問点その1. これらの銅矛と銅鐸は、出雲で作られたのではなく、銅矛は北部九州あたりで作られ、銅鐸も出雲以外で作られたというのが大方の見方です。そして、どちらも大量の数といってもよいと思われます。そこで、第一の謎は、なぜ集めたのかということです。 疑問点その2. なぜ集めたのかという謎が解けなくても、集めた以上は、どのようにして集めたのかという謎が出てきます。人を北部九州や大和あたりへと派遣して持ち帰らせたのか、あるいは、北部九州や大和あたりの人が持ち込んだのか、そのどちらでもあったのか謎となります。そして、その際どのような交流があったのかも問題となります。 疑問点その3. 上記二点に関連して、集めろという命令があって集めたのか、集めているうちに集積したのかという問題が発生します。そして、この問題には集めろという命令の裏には、そうした指示が出せる指導者がいたのか、あるいは共同体の総意といった意思決定だったのか問題となります。 疑問点その4. 集めた以上は、銅矛や銅鐸に対する見返り品は何だったのかも謎となります。また、どのような対価性が想定されていたのかも問題となります。銅矛も銅鐸もしっかりした形のあるものですから、無償で出雲にもたらされたとは思えないからです。 疑問点その5. 銅矛も銅鐸もまとまって埋められていたことに、大きな謎が潜んでいます。何のためにまとめたのか、そして、まとまっていたということは、それが出発点なのか、終点なのかの問題が出てくるのです。例えば出発点とすれば、まとめたものを分配するためだったとか、終点だとすれば、よく指摘されるように出雲の各地に散らばっていたものを、新しい祭祀のために一括して集め、一括して埋納したということなのかといった謎が出てきます。 |
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ここでは、かなりつっこんだ内容になり
そうですね。小取引の原点が『 物々交換 』
なわけですから、使い方から教わり、使える
ようになってからの、製造工程の伝承となる
んでしょうから、面白い章のなりそうですね。
2010/2/25(木) 午前 9:53 [ 羽木 鉄蔵 ]
銅矛や銅鐸は地域共同体の独立性を象徴した祭器だったのではないかと想います。
だから邪馬台国連合の成立には邪魔なモノだったので
卑弥呼の命により廃棄されたのでしょう。
廃棄の仕方は邪馬台国連合内の勢力関係から
自ら積極的に廃棄した地域と
強制されて仕方なく廃棄した地域と違いが出たように想います。
出雲での廃棄のされ方は強制的に廃棄させられたような印象を持ちます。
2010/2/25(木) 午前 9:57 [ ysigle ]
ysigleさん>コメントありがとうございます。邪馬台国は、それほどの強制力を持っていたのでしょうか。いろんな考え方を楽しみにしています。
2010/2/25(木) 午後 2:36 [ shigechanizumo ]