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今まで、出雲内部のことからずいぶん離れたことを書いてきました。ここで、足元の出雲の国についての空想に戻りたいと思います。 もっとも出雲の国のことについても、ずいぶん書いてきましたが、私にとって腑に落ちないことについて、率直な感想も含めて採り上げたいと思います。まず採り上げるのは、「闇見国」についてのことです。 風土記の編纂の方針として、・・・『1.郡郷の名(好字を用いて)2.産物 3.土地の肥沃の状態 4.地名の起源 5.伝えられている旧聞異事』・・・を記すことが挙げられています。しかし、「闇見国」の「闇」とは「好字」でしょうか。現代の感覚からは、少しおぞましいような響きのある文字です。 この「闇見国」は、『出雲国風土記』に出てくる国名です。いわく、・・・『「北門(きたど)の良波の國を、國の餘(あまり)ありやと見れば、國の餘あり」と詔りたまひて、(中略)、「國來(くにこ)、國來」と引き來縫へる國は、宇波(うなみ)の折絶(たえ)よりして、闇見の國、是なり。』・・・とあります。 つまり、・・・『出雲にとって北の門にあたる佐伎(さき)国、さらにもう一カ所、良波国を同様に引いてきて縫い合わせた。その場所が多久(たく)の折絶から狭田(さだ)国、および宇波の折絶から闇見(くらみ)国である。』・・・というのです。 これは、『出雲国風土記』の「国引きの章」とされる部分です。北の門にあたる良波国から引いたのが、「闇見の國」だとされているのです。一番西にあるのが、八穂爾支豆支の御埼(やほにきづきのみさき)、その次が、狭田(さだ)の国、そして、闇見(くらみ)の国、最後の一番東が、三穂埼(みほのみさき)とされ、この四つの山塊が国引きの結果出雲に引き寄せられた国々なのです。「支豆支の御埼」、「狭田の国」、「三穂埼」という名前についてあまり違和感はありません。 しかし、「闇見の国」の国について、率直に言って違和感を持つのは私一人でしょうか。実は、同じ『出雲国風土記』の中の表記に「久良弥社」という神社名があります。また、延喜式神名帳では「久良弥神社」とされています。「闇見国」にある神社が、「久良弥社」・「久良弥神社」とされているのなら「好字」といえます。なぜ、「久良弥国」としなかったのでしょうか。考えられるのは、「闇見」という文字を他の「好字」に置き換えると、その元の意味が失われてしまうという配慮があったのではないかということです。 |
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現代の日本語の表現が間違っているのであって、
「 おぞましい 」などとは、日本語の意味を間違
えて読まれる方が見えるように思いますよ。
仏教が持ち込んだ、仏教表現の意味とは違い
ますものね。
2010/5/7(金) 午前 8:25 [ 羽木 鉄蔵 ]
藏(くら)さん>そうですね。仏教の表現と、仏教が持ち込まれる以前の表現とはずいぶん異なるのでしょうね。
2010/5/7(金) 午後 3:24 [ いずものしげちゃん ]
おぞましいと感じられたのは当たっていると思いますよ。闇見は、さほ大闇見トメの語源でしょう。彼女の生んだ二人の子が反乱したら父母系とも処分されて当然ですが、されていません。彼女の母春日建国勝トメの母はチチハヤ媛、父は阿田加田須。建国勝トメは大彦に嫁ぎ、御真津媛と姉妹の彼女が生まれます。垂仁天皇にとり祖父母は同じですから名前を暗くして暗示したのでしょう。
2010/12/22(水) 午後 10:33 [ 剣根 ]
剣根さん〉コメントありがとうございます。
2010/12/24(金) 午前 9:10 [ いずものしげちゃん ]