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「どれが出雲大社か」などというと、馬鹿なことを言うなと叱られそうですが、実は、『古事記』・『日本書紀』・『出雲国風土記』をよく読むと、本当はどうなのかと思われる記載があるのです。これは、前回のシリーズでも触れたことです。改めて探求してみましょう。 私たちが、出雲大社の創建についてよく知っているのは、『古事記』・『日本書紀』における創建の記載です。単純にいえば、・・・『大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて欲しいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりであるという』・・・といったものです。 『古事記』によれば、・・・『我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょうと述べ、これに従って「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。』・・・といった具合です。 『日本書紀』によれば、・・・『高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に対して、「汝の住処となる天日隅宮(あめのひすみのみや)を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。』・・・となります。 『出雲国風土記』によれば、二ヶ所に出雲大社の創建に関係すると思われる記載があります。さらに、もう一ヵ所あるようにも読めます。ひとつは、『出雲国風土記』の楯縫郡における記載であり、もうひとつは出雲郡杵築郷における記載です。もう一ヶ所というのは意宇郡の記載なのです。 これらをもって、・・・『伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。』(ウィキペディア)・・・との指摘がありますが、私はそのように断定できるものではないと考えるのです。 実は、この他にも『古事記』では「根の国」を後にするオオクニヌシに向かってスサノヲが、・・・『大きな宮を造ってそこに住め』・・・と言っています。さらに、出雲大社の修繕・修復のことではないかと思われる記載が、『古事記』・『日本書紀』においては垂仁天皇紀に、また、『日本書紀』においては斉明天皇紀に残っています。もっとも、これらも創建とする説もあります。しかし、突如として建てられたのか、原型があって建てられたのかなどの経緯は、単純ではないように思うのです。詳しく引用しながら空想してみましょう。 |
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造られたのではなくて、あった物を造られたように
書き残すことで、そこからが始まりであるかこ如く
書き残しただけだと思われる。
灯台、燈台、当代と役目もいろいろと、使い
分けられていたのでしょうね。
2010/6/17(木) 午前 9:17 [ 羽木 鉄蔵 ]
藏(くら)さん>「あるが如く」は大和政権の得意とするところですね。同感です。
2010/6/18(金) 午前 9:10 [ いずものしげちゃん ]