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今まで何回かのシリーズの中でも述べてきたように、『出雲国風土記』は『古事記』・『日本書紀』の成立の後に編纂されたものであり、『出雲国風土記』の記載の中に盛られた内容と、『古事記』・『日本書紀』の記載内容とが矛盾したり、対立したりしては『古事記』・『日本書紀』の権威に関わることになると考えられます。 何といっても、『古事記』の「神代の巻」の三分の一近くは出雲と関わる神話が占めており、『日本書紀』の「神代の巻」にも多くの出雲の神々や出雲に関する記述があるのです。 ところで、風土記の編纂の命令は『古事記』が献上された翌年の和銅六年(713年)に、元明天皇によって出されています。早いものでは『播磨国風土記』が、715年頃には提出されたのではないかとされています。62カ国が当時は存在していました。 しかし現存する風土記は、・・・『出雲国風土記がほぼ完本、播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記が大部分を残しているだけで、その他の風土記は逸文(後世の書物に引用されている)が残っているだけというのが現状である。』・・・とされています。 なぜ、天皇が編纂を命じた各国の風土記のほとんどが散逸してしまったのかについては、諸説があります。興味のある説として、次のような指摘があります。・・・『なぜ『古事記』完成の翌年に『風土記』の編纂を命じたのか。その理由を示した史籍はないが、全国各地の旧辞の内容を検証するのが目的だった。そして、案の定、日本国(天武朝廷)にとって不都合な伝承が大量に記されていた。』・・・、 ・・・『諸国からの『風土記』を、長年の間に宮中で散逸したというよりは、故意に廃棄したと考えるほうが妥当だろう。実は『古事記』と『風土記』の記述に相異があり、さらに編纂中の『日本書紀』の記述とは完全にかけ離れた内容だったので、日本国(天武朝廷)は諸国に『風土記』を廃棄するよう命じたものと推察される。いわゆる禁書処分である。』・・・、 『現存する『風土記』が国津神系の国々だけで保管されていたことからも、『記紀』(古事記と日本書紀)の記述に怒りを覚えた国々の人が、秘匿していたものが現在に残ったと考えられる。』・・・というものです。 しかし、『出雲国風土記』も同様だと考えてよいのでしょうか。『出雲国風土記』の完成は733年です。命令から20年、『日本書紀』が完成してから13年も経っているのです。その間に完成品らしきものが、一度は中央の宮中の手に渡ったと考えられないでしょうか。 |
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