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今回のシリーズでは、出雲について論じられている様々な説の中で、私が素朴な疑問を抱いているものを採り上げて空想をしていきたいと思います。 陰陽五行説の研究で有名な吉野裕子先生の、出雲についての考え方を見てみましょう。その著『日本人の死生観』の中の「他界と方位−出雲と伊勢−」という項で、次のように述べられています。http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/15314690.html ・・・『日本神話を読んでいて気づくのは、出雲に死と敗北の影が、色濃く見られることである。たとえば、東の鹿島のタケミカツチノ神は、天津神を代表して出雲に赴き、国土返還を迫るが、西の出雲の国津神、大国主およびその子、コトシロヌシノ神は、もろくもこの東の威圧に屈し、大国主命は幽界に退き、コトシロヌシノ神は入水するのである。』・・・ ・・・『女祖先神イザナミノ命の死も、出雲を背景として語られ、その陵墓もまた出雲とされている。これらの偉大な存在である神々の敗北と死が、出雲を舞台として展開されるについては、それなりの理由があるはずである。そこにはひとつの強力な原理が働いていて、その結果、出雲でなければならない必然性が生じてきたとしか思われないのである。』・・・とされています。この後、この考え方の根拠を述べていらっしゃいますが、ここまでの部分について疑問を提出したいと思います。 まず、・・・『出雲に死と敗北の影が、色濃く見られることである。』・・・とされています。そして、これを・・・『日本神話を読んでいて気づく』・・・とされているのです。この「日本神話」とは『古事記』・『日本書紀』の「神代の巻」の記述を指してのことでしょう。 しかし、『古事記』・『日本書紀』におけるこうした記述を、本当の意味での神話といえるのでしょうか。「神話学」についてのウンチクはともかく、出雲に関するこうした記述は、神話というよりは、8世紀の中央政府の編纂学者が、『古事記』・『日本書紀』を編纂するに当たって、その編纂趣旨に基づいて創作した物語ではないかといえるものなのです。 しかし、吉野先生の論法によれば、いかにも出雲は本質的に・・・『出雲に死と敗北の影が、色濃く見られる』・・・といった地域であるかのような錯覚を私たちに与えてしまうのです。そして、・・・『古代日本人にとっては、北よりもむしろ太陽に沈む西が「陰」の方向であって(中略)、国土の西の果ての出雲は、当然この世ながらの他界、あるいは他界への入り口であって、そこに神々の死や敗北が語られるわけである。』・・・とされるのですが、では「古代日本人」は、何時からそのような方位感覚を持つようになったのでしょうか。 |
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吉野裕子先生先生の話、結構スキですね ^^。
2010/11/7(日) 午後 9:57 [ 羽木 鉄蔵 ]
藏(くら)さん>吉野先生の考え方自体はとても魅力的なのです・・・。
2010/11/8(月) 午前 8:47 [ いずものしげちゃん ]