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二度続けて長いシリーズになっていますので、今回は少し短めの空想をしたいと思います。 スサノヲがヤマタノオロチを退治した後に、イナタヒメと須我の宮処に暮らすことになった際に詠んだとして有名なのが、・・・『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』・・・という和歌です。 『八雲立つ』とは、出雲の枕詞だとされています。『出雲』とは、とりもなおさず地名です。『出雲国風土記』では、『出雲』の地名の起こりは、・・・『八束水臣津野命が詔して、八雲立つ出雲の国は巾の狭い稚国であるため、縫いつくろうことにしようと仰せられた。』・・・とあります。しかし、だから出雲だとしたのでは、出雲の地名の起こりを説明したことにはなりません。 今回は、第82代『出雲国造』の「千家尊統」氏の著書『出雲大社』を元に、八雲と出雲の名の起こりについて空想したいと思います。 以前私は、「古代出雲『出雲大社』の謎」で次のように書きました。まずそれを、そのまま引用したいと思います。 http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/44078773.html 「千家国造は、単に出雲大社についてだけではなく、その他のことにも言及していらっしゃいます。ここでは、「出雲」の名の起こりについて取り上げてみたいと思います。 ・・・『出雲という名はどうして起こったのであろうか。それにしても地名や国名の起こりというのは、これを誤りなく知ることはまことにむずかしい。』・・・ ・・・『柳田国男の弟で特異な業績をあげた松岡静雄は、その『古語大辞典』で、イツモとはイツ(美称)藻ということでなければならないとし、最近では早稲田大学の水野祐教授が、同じくイツ(神聖なという意)藻説を復活されている』・・・と、まず指摘されています。(参考: http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/12782069.html ) さらに、イツモとはイツオモ(五面)で、出雲は五面の地域から成り立っている国という意味だとする説や、アイヌ語では岬のことをエツといい、静かなところまたは港湾をモイというので、これが併さった、エツモイという言葉からイツモになったという説も紹介していらっしゃいます。」 |
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