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ここでは、冒頭に出雲大社の創建(そうけん)の話が出てきます。この郡をなぜ楯縫(たてぬい)というのかという地名起源にまつわる文章です。
・・・「神魂命(カミムスビのミコト)」が、「(中略)天の下をお造りになった大神(オオクニヌシ)の住む御殿を、造ってさしあげなさい」とおしゃって、御子の「天御鳥命(アメノミトリのミコト)を楯部(たてべ)として天から下されました。そして、天御鳥命が大神の御殿の神器としての楯を造り始めなさった場所が、ここなのだ。それで、今にいたるまで、楯や桙(ほこ)を造って、尊い神々たちに奉っている。だから、楯縫という。」・・・とあります。
ところが、出雲大社の創建の話は、『出雲国風土記』では、もうひとつ出てきます。「出雲郡」の「杵築郷(きづきのさと)」の地名起源です。
・・・「八束水臣津野命(ヤツカミヅオミヅノのミコト)が国を引きなさった後に、天の下をお造りになった大神の宮をお造り申し上げようとして、もろもろの神々たちが宮殿の場所に集まって、地面を突き固め(きづき)なさった。だから、寸付(きづき)という。神亀三年(726)、字を杵築と改めた。」・・・とあります。
大事なことが、いくつか発見できます。
1.出雲大社は、神魂命(カミムスビのミコト)の指示、あるいは、八束水臣津野命(ヤツカミヅオミヅノのミコト)によって建てられたとあることです。
『古事記・日本書紀』では、国譲りと引き換えに高天原の神の指示で建てられたとされています。ずいぶん話が違うことになります。
前回お話しましたが、神魂命(カミムスビのミコト)は、出雲独自のお子神をお産みになった出雲の御親神(みおやかみ)です。八束水臣津野命(ヤツカミヅオミヅノのミコト)は、国引きを行った出雲の神です。つまり、出雲大社は出雲の発案で、出雲の神々によって造られたと、当時の出雲では語られていたのです。
2.杵築は神亀(じんき)三年に、寸付(きづき)から杵築に改められたとあります。つまり726年までには、出雲大社は建てられていたことになります。これがいつまでさかのぼるのでしょうか。
3.楯(たて)は、天御鳥命(アメノミトリのミコト)が造り始め「今にいたるまで、楯や桙(ほこ)を造って、尊い神々たちに奉っている。」とあります。そして、大神(オオクニヌシ)の御殿の神器とされていたということです。高天原の神に国を譲り、幽界(ゆうかい・あの世)に隠れたとされるオオクニヌシの御殿が、楯や桙(ほこ)といった武器形の神器・祭器で飾られていたというのも、何か不思議なように思えます。やはり、オオクニヌシはあの世に隠れたとはいえ、八千矛命(ヤチホコのミコト)という別名のとおり、武勇の神様だったのでしょうか。
また、これらの楯や桙(ほこ)の材質はなんだったのでしょうか。桙(ほこ)は、荒神谷遺跡の銅剣や銅矛のように銅だったと考えられます。では、楯も銅だったのでしょうか。楯縫(たてぬい)というところから、「縫う」という点に注目すると、平べったい銅板のようなものではないように思われます。笠(かさ)を縫うと表現することがあるとされています。とすると、木製?それともその他???いかがでしょうか。
それにしても、そうした楯や桙(ほこ)という神器を使ってどんな神事を行っていたのでしょうか。
次に注目したいところがあります。
楯縫郡の佐香郷(さかのさと)の話です。
・・・「佐香の川原に百八十神(ももやそかみ)たちがお集まりになって、炊事場をお建てになり酒を醸造(じょうぞう・かもし)なさった。そして百八十日のあいだ酒盛りをなさって解散なさった。だから、佐香という」・・・とあります。今の松尾神社・・・主祭神はクスの神。
ここでは、お酒が造られたということも注目されますが、私が注目したいのは、「百八十神(ももやそかみ)たちがお集まりになった(百八十神等集いまして)」という部分です。
神々が集まったということは、この部分だけではありません。先に見たように、出雲大社を造る時にも出雲の神々が参集(さんしゅう・まいつどい)とされているのです。
・・・「大神の宮をお造り申し上げようとして、もろもろの神々たちが宮殿の場所に集まって“諸の皇神等(すめがみたち)、宮どころに参集(まいつどい)”」・・・とあります。
ご存知のように、旧暦の十月は、出雲は神在月であり、全国から神様たちが集まるとされ、神在祭がとりおこなわれます。神在祭の起源は明らかではないということですが、『出雲国風土記』にある、この二つの記事を見ると、出雲では何かをしようとする時などには、神々が集まられるという語り伝えがあった、あるいは、そういうことがあった、と思われるのです。それが、今日の神在祭につながっているのではないでしょうか。
さて、ご当地、斐川町にも神奈備山(かんなびやま)である仏経山がありますが、楯縫郡にも神奈備山があるとされています。現在の大船山(おおぶねさん)と考えられています。
そこは、・・・「峰の西に石神がある」「道のかたわらに小さい石神が百余りある」「いわゆる石神は、これこそ多伎都比古命(タキツヒコのミコト)の御依代(みよしろ)だ。日照りのときに雨乞いすると、必ず雨を降らせてくれるのだ。」・・・とあります。
たしかに、大船山へ行くと、たくさんの意味ありげな小石と、烏帽子岩(えぼしいわ)という大きな岩があり、神の依代(よりしろ)・磐座(いわざ・いわくら)とされています。
この多伎都比古命(タキツヒコのミコト)は、オオクニヌシのお子神であるアジスキタカヒコネと、アメノミカジヒメの間に生まれた神とされています。タキツヒコという名前は、出雲大社の本殿の西隣に祭られているタギリヒメあるいは、その姉妹姫タギツヒメと関係があるのではないかとされ、ここからも、楯縫郡は出雲郡、出雲大社と深い関係があったと推測できるのです。
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