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『出雲国風土記』仁多郡の条に、次のような記述があります。
『其の津の水活れ出でて(ながれいでて)、(オオクニヌシが)御身沐浴(みみゆあみ)ましき。』
『故(かれ)、国造(くにのみやつこ)、神吉事奏しに(かむよごとまをしに)、朝廷(みかど)に参向(まいむかう)ふ時に、其の水活れ出でて(ながれいでて)、用ゐ初むる也(もちいそむるなり)。』
どういうことでしょうか?
現代語訳は次のとおりです(荻原千鶴訳)
『その津の水が湧き出て、その水を浴びてお身体を清めなさった。だから、国造が神吉事を奏上するために朝廷に参向するときに、その水が湧き出て、清めに用い初めるのだ。』
少し難しいですが、要するに出雲国造が出雲から大和の朝廷に出向いて、天皇に対して神吉事を奏上する時には、ここにやって来て、オオクニヌシが沐浴した水で身を清めてから大和朝廷に出かけるのだ。と言うことなのです。では、その『神吉事(かむよごと)』というのは、どんなものでしょうか。
『出雲国造は都の太政官の庁舎で任命が行われる。任命された者は直ちに出雲国に戻って1年間の潔斎(けっさい)に入り、その後、国司・出雲大社祝部とともに改めて都に入り、吉日を選んで天皇の前で奏上したのが神賀詞(かむよごと)である。』
『六国史などによれば、霊亀2年(716年)から天長10年(833年)までの間に15回確認できる。その性格としては服属儀礼とみる見方と復奏儀礼とする見方がある。』という指摘があります。
先に見た『出雲国風土記』の仁多郡に記載のある、『オオクニヌシが沐浴した水で身を清めてから大和朝廷に出かけるのだ。』ということは、ここにある1年間の潔斎(けっさい)の儀式のひとつが仁多郡で行われるということなのです。
では、その奏上される神吉事・神賀詞(かむよごと)の内容とはどんなものでしょうか。
その流れを要約すると次のようなものです。
1.まず、「言葉にかけて申し上げるのも畏れ多い御現神としてこの日本の国を治められます天皇様の大御世を長久の大御世でありますようにと寿ほぎ(ことほぎ)ます。」と述べます。
2.次に、「神厳な斎屋に篭って、安静なる神殿に忌み鎮めて御祭を営み、この朝日の差し昇る良き日にここに参朝して復命の神賀の吉詞を奏上致します事ここに奏します。」として、清らかな身であるといいます。
3.そして、出雲が天皇に統治されることになったいきさつを述べます。「天穂日命(アメノホヒノミコト)を国土の形成を覗う為にお遣わしになられ(中略)、その、天穂日命は「出雲の荒ぶる神を鎮定服従させて天皇様には安穏平和な国として御統治になられますようにして差し上げます。」と申されて、御自身の御子、天夷鳥命(アメノヒナトリノミコト)に布都怒志命(フツヌシノミコト)を副へて天降しお遣わしになられまして荒れ狂う神々を悉く平定され、国土を開拓経営なされました大穴持大神=大国主命をも心穏やかに鎮められまして大八嶋国の統治の大権を譲られる事を誓わせになられました。」(天穂日命(アメノホヒノミコト)は出雲国造の祖先です)。
4.そうしたことから、「オオクニヌシは自身の和魂(にぎたま)と3柱の御子神(アジスキタカヒコネ命・コトシロヌシ命、カヤナルミ命)を大和の守り神として鎮座させ、御自分は八百丹杵築宮(やほにきづきのみや)に御鎮座せられました。」と奏上します。(八百丹とは出雲の枕詞です)
5.そして、「御世の寿祝を祝福する神宝を奉献致します事を奏します。」とし、白玉・赤玉・青玉、白馬、白鳥、鏡などを献上するのです。
6.最後に、「天皇様が大八嶋国を天地日月と共にいつまでも平安に統治遊ばされます事を祝福致します為にこれらの神宝を捧げ持って神の礼白、臣の礼白としてつつしみ畏まって(かしこまって)祖先の神より代々伝わりますこのめでたき良き詞を奏上致します事を奏します。」と結ぶのです。
これを「出雲国造神賀詞(いずもくにのみやつこかむよごと)」といい、全国の国造の中で出雲国造だけが奏上するものです。
ここで、一緒に考えてみましょう。
1.なぜ出雲国造だけが、天皇家にこれだけの寿ぎ(ことほぎ)と、献上物を奏上することになったのでしょうか。
2.「国譲り」のいきさつを述べていますが、良く見ると『古事記』や『日本書紀』にあるいきさつとは異なる内容が奏上されています。なぜでしょうか。(大穴持大神=大国主命をも心穏やかに鎮められまして大八嶋国の統治の大権を譲られる事を誓わせたなど)。
3.この神賀詞は、「霊亀2年(716年)から天長10年(833年)までの間に15回」奏上されたとされていますが、そもそも、最初の奏上のきっかけは何だったのでしょうか。また、なぜ奏上されなくなったのでしょうか。
4.神賀詞を「服属儀礼とみる見方と復奏儀礼とする見方がある。」とされていますが、どう違うのでしょうか。(国譲りのいきさつの部分を重視すれば大和朝廷には反抗しませんよという服属儀礼のようであり、「復命の神賀の吉詞を奏上致します」という部分を重視すれば国造に任命されたことへの復奏と見ることができます)。
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