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『出雲国風土記』には、どこの郡(こほり)にも、数多くの草木についての記載があります。

例えば、意宇郡では、「凡そ(およそ)、諸(もろもろ)の山野にある所の草木は、・・・」として36種の草木が記載されています(16ページ)。
出雲郡では18種の草木が記載されています(62ページ)。そして、すべての郡に草木の記載があります。皆様が知っている草木もたくさんあるはずです。なぜ、これほどの草木を記載する必要があったのでしょうか。

加藤義成先生は、『風土記時代の出雲』という本で、次のように書いていらっしゃいます。・・・『「出雲国風土記」には各郡に草木禽獣(そうもくきんじゅう)の目録が載せられているが、そのうち、草はすべて薬草であって、薬草の書である「本草和名」や延喜式の典薬寮(てんやくりょう)の条等に見えるものである。』とされています。

さらに、・・・『延喜式によれば、当時、出雲から(朝廷に)貢進(こうしん)した薬草は53種であったが、そのうち36種はわが風土記に見えるものである。』とされています。つまり、この風土記にある草は36種であり、そのすべてが薬草だとされるのです。

ここで「典薬寮」とは、朝廷の宮中にある部署で、薬物や、治療、薬園のことをつかさどっていました。そこには、医師、医博士、医生、針師、針博士、按摩(あんま)生、呪禁(じゅきん)博士、呪禁生、薬園師、薬園生を置き、官人の治療に当たらせていたとされています。

その典薬寮に出雲からみつがれた薬草の数は多いのか、少ないのかといえば、その53種は「近江国73種」、「美濃国62種」に次ぎ、「播磨国」と並んで多かったとされています。

近江国、美濃国、播磨国といえば、大和に隣接するような国々です。丹波、因幡、伯耆、吉備国など大和に近い国々よりはるかに多く薬草を貢物(みつぎもの)としたのは、なぜでしょうか。不思議なことに『出雲国風土記』は、淡々と草木を羅列(られつ・並べる)するだけで、朝廷に貢いだなどとはひとことも書いていないのです。また、その草木の効能も書いてありません。ここまでを前提にあれこれ想像してみましょう。

すでにお気づきと思いますが、「古事記」や各国の風土記の神話には、出雲の神々と医薬にまつわる話が出てきます。

1.オオクニヌシと因幡のしろうさぎの話です。ここでは、オオクニヌシがワニによって丸裸にされたしろうさぎを、真水で体をあらい、がまの穂綿にくるまれば傷が治ると教えています。

2.オオクニヌシが兄弟の八十神によって、赤く焼けた大岩をイノシシだといって抱き止めたために大やけどをして死んだ時に、再生できたのは、キサカイ姫とウムカイ姫の赤貝とハマグリのやけど薬による治療でした。

3.また、オオクニヌシの国つくりを助けたとされるスクナヒコナは、まじないや除虫、除草剤で害虫や害草を取り除き、また疫病(えきびょう・伝染病)を防いだとされています。

4.そのスクナヒコナが病気になった時、オオクニヌシは伊予の道後温泉にスクナヒコナを連れて行き、温泉につからせて再生させたとされています。今でいう温泉療法を施したのです。

5.さらに、スサノヲは、茅の輪(ちのわ)を腰に巻くことによって病気・厄災(やくさい)から逃れられるとし、今日でも無病息災を願う「茅の輪くぐり」が各神社の祭礼で行われています。

これらは、すべて出雲の神々の話です。しかし、不思議なことに、こうしたことは『出雲国風土記』には書かれていないのです。1.は因幡(古事記)、2.は伯耆(古事記)、3.は播磨(播磨国風土記)、4.は伊予(伊予国風土記)、5.は安芸(安芸国風土記)でのこととされています。

一方で温泉療法、すなわち、すぐれた効能をもつ温泉につかることは、ひとつの健康法、医療法とされていますが、『出雲国風土記』は三ヶ所で温泉のことが出てきますが、2ヶ所で温泉の効能のことを誇らしげに記載しています。有名なのが意宇郡の玉造温泉です(12ページ)。
ここでははっきりと、「一度温泉を浴びればたちまち姿も麗しくなり、再び浴びればたちまちどんな病気でもすべてなおる。ききめがないということがない。だから、土地の人は神の湯といっている。」(荻原千鶴 訳)とあります。

もう1ヶ所は仁多郡の湯村温泉です(88ページ)。

ここでも、「この川のほとりに薬湯がある。一度浴びればたちまち身体はやすらかになり、再び浴びればたちまちどんな病気も消えさってしまう。男も女も老人も子どもも、昼も夜もやすまず、行列するようにかよってきて、ききめがないということがない。だから、土地の人は名づけて薬湯と言っている。」(荻原千鶴 訳)とあります。もう1ヶ所は海潮温泉です(91ページ)。しかし、ここには効能の記載はありません。

であれば、朝廷の典薬寮に53種もの薬草を貢いでいるのですから、このことも、もっと分かりやすく誇らしげに語ってもよかったのでしょうか。

ついでながら、もうひとつ温泉について不思議に思うことがあります。日本三美人の湯「湯の川温泉」が、『出雲国風土記』に出てこないことです。この温泉は、『出雲国風土記』(733年)ができる20年も前の『古事記』(712年)には出てきているのです。

有名なオオクニヌシと八上姫(ヤカミヒメ)の話です。因幡からはるばる出雲に来た八上姫は、オオクニヌシに会う前に、湯の川で旅の汚れを落とすために湯を浴びて、しかも和歌までよんだとあるのです。

『出雲国風土記』の編者は、『古事記』をよんでいたはずだといわれています。玉造温泉、湯村温泉は、『古事記』とは無縁です。それなのになぜ、『古事記』に出てくる「湯の川温泉」を、『出雲国風土記』に載せなかったのでしょうか。

ところで、大原郡に「加多社」があるとされています(92ページ)。ここには面白い言い伝えがあるのでご紹介しておきます。

島根県雲南市大東町に『出雲国風土記』にも記載されている「加多神社」があり、そこはスクナヒコナが主祭神となっています。神社の案内板の「由緒書」には、『神社の起源:記録がないため明らかでないが、少彦名命はこの地を根拠地として農耕医療等を教導された。その神徳を敬慕し古代より斎祀せられたものである』とされています。大原郡の「加多社」あたりが、出雲の医薬の本拠地だったというのです。今の、大東高校の裏手です。

この、加多神社の「加多」とは、・・・『「医術」と「加多」という組み合わせから、中国三国時代(2世紀)の医者・華陀(かだ)を連想する。日本では卑弥呼の時代だろうか。大麻から作った麻酔薬を用いて外科手術を行った中国の名医だ。』とされる見解があります。

つまり、「加多」とは、中国の医者である「華陀」という人の名前からきたものであり、スクナヒコナは、「華陀」の化身、あるいは、「華陀」から中国で医薬の術を学んだ渡来系の神だったのではないかとされるのです。

以上のことから、『出雲国風土記』が、多くの薬草を載せながら、その効能や、薬草の発見や、薬草栽培について語らなかったのは、「実は、出雲には、大和以上に深い医薬の歴史や、医薬の神話が現実に存在し、医薬の先進地だった」ということに対して、大和政権に遠慮したからだと思われるのです。よく見れば、大和の神々が医薬を使って人や動物を治療したという神話はないのです。

一方、『日本書紀』では、・・・『5世紀ごろから、半島(新羅・百済)や大陸(隋・唐)文化の移入とともに、医学の知識も入ってきた。」とされ、「薬師恵日、倭漢直福因が遣隋使小野妹子に随行し医術を学ぶ。外国に医術を学んだはじめ。」とか、「薬師恵日、倭漢直福因が唐から帰国。これから隋唐の医方が起こった。」』・・・とされています。しかし、隋や唐の医術といえども、それは、もっと前からの時代のものを受け継いだものです。

そうだとすれば、出雲でも、それよりずっと以前の出雲の神々による医薬についてのいろいろなできごととして、語り継がれていたはずです。しかし、『日本書紀』が、そのように書いているなら、そのことは正面からは書けなかったように思えるのです。

その代わりに、『出雲国風土記』に、これでもかというほどの薬草を載せて見返していると思うのです。身近な薬草について考えて見ましょう。

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非常に勉強に為りました。

今後も宜しくお願い致します。

2014/6/19(木) 午後 3:36 [ 古代遺跡めぐり<山下亭> ]


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