いずものこころ

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河内・大和には、スサノヲとそっくりな神の伝承があります。どこが似ているのか、検討して見ましょう。ニギハヤヒという神・大王のことです。

・・・(ニギハヤヒ命)は、『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種(とくさ)の神宝を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。・・・

・・・また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。・・・との指摘があります。

私は、このニギハヤヒとスサノヲは、とてもよく似ていると思うのです。そして、この二人が作った国の「国譲り」も、とても良く似たストーリーだと思うのです。

似ている点を列挙してみましょう。

1.この二神は、ともに、西の方角から海を渡って出雲、河内・大和に来たと思われます。スサノヲは「天のハニ船」に乗って、ニギハヤヒは「天の磐船」に乗ってそれぞれの土地に天降ったと思われます。

2.そして二神ともに由緒正しいことを示す物を持っています。スサノヲは、オロチを切った「十握剣(とつかのつるぎ)」、ニギハヤヒは、「十種(とくさ)の神宝」を持っていました。

3.次に、スサノヲの出雲への天降りと、ニギハヤヒの河内・大和への天降りの後には、どちらも先住する土着民の首長層との間に縁組関係を築いたということがあげられます。

スサノヲはアシナヅチ・テナヅチの娘のイナタヒメと縁組をしています。ニギハヤヒはナガスネヒコという土着首長の妹の登美夜毘売(トミヤヒメ)と縁組をしています。

4.そして、出雲も河内・大和も外来のスサノヲとニギハヤヒを、その後の国の運営において祖神としています。

つまり共に土着先住民と同化して、協力し合って国造りをしているのです。

5.ところが、その国々はともに、国譲りを求められます。しかし、どちらも、いったん、きっぱりと断ります。

出雲では高天原の神、ニギハヤヒの後裔(こうえい)にとっては神武天皇といった新来の侵略者に対して、オオクニヌシは、『日本書紀』の「ある書」では、「自分が治めている国を譲れとは何ごとだ。」と言っています。

ナガスネヒコは、「私は饒速日(ニギハヤヒ)命を君として仕えている。天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の土地を奪おうとしているのか。」と言っています。

すなわち、出雲も河内・大和(ヒノモト)も正当な統治者によって治められていることを、高らかに主張しているのです。

6.その後、出雲は国譲りという平和的な方法で在来首長が退き、河内・大和(ヒノモト)もウマシマジ(ニギハヤヒの子)の帰順という形で国が譲られています。

7.その他、スサノヲの素鵞社・熊野大社・須我神社、ニギハヤヒの磐船神社や物部氏の石上(いそのかみ)神宮や三輪山は、大きな磐座(いわくら)を持っており、縄文以来の信仰(先住民の信仰)が受け継がれていたところに神社が鎮座しているという共通点もあります。

8.また、ナガスネヒコ、トミヤヒメ、テナヅチ・アシナヅチといった土着首長の名前は、「蛇」と関わるのではないかとも言われています。「ナガ」・「トミ」、「ヅチ・ツチ」とは、蛇を表す言葉とされているからです。

つまり、スサノヲもニギハヤヒも「蛇」を信仰する土着首長(蛇族)と手を組んだのです。これも、大きな共通点ではないでしょうか。どうでしょうか、とてもよく似た神話ではないでしょうか。

こうしたことから、このような話は、出雲や河内・大和のみならず、日本のいたるところに、天孫に対するそれぞれの似たようなオオクニヌシ(大きな国を支配する土着首長)の「国譲り」があったとされ、それぞれを、それぞれに語り継いだのでは面倒くさいから、出雲のオオクニヌシの国譲りにまとめあげたのだとされる先生もいらっしゃいます。

しかし、そうだとすると、ではなぜ、出雲の国譲りが選ばれたのか、また、なぜ出雲の国譲りのほかに、河内・大和の国譲りが『日本書紀』に残されたのか、やはりそこには何か重大な理由(謎)が隠されているのではないでしょうか。

余談ですが、河内・大和の国譲り(帰順)を行った物部氏の祖とされるウマシマジ(ニギハヤヒの子)は、その後大和を出て行き、尾張・越後に至り、日本海沿岸を下り、石見の国で亡くなったとされています。その終焉(しゅうえん)の地が、石見国一ノ宮「物部神社」となったのです。

その後、物部氏は、河内・大和の国譲り(帰順)の後、天皇家の第一の臣下(大連)となり、長く軍事に祭祀において天皇家を支え続けました。一方、出雲の国譲りをしたオオクニヌシ一族は、天皇家に従いはするものの、臣下として仕えたりはしなかったのです。この違いはどこから来たのでしょうか。こうした事もまた考えて見ましょう。

さらに、物部氏はその後、出雲と深く関わりあっています。斐川の建部(たけるべ)に派遣されたのは物部氏だとされ、出雲の滅亡に深く関わったのは、物部氏だと推測されています。また、スサノヲの十握剣(とつかのつるぎ)は、物部氏総本社の石上神宮に祀られています。

また、神代の国譲り(オオクニヌシ)に派遣された「フツヌシノ命」という神も、物部氏の始祖とされています。そして、石見に物部神社があるのも、出雲を監視するためだったという説もあるのです。出雲と大和は深い謎の包まれているのです。

こうしたことから、ニギハヤヒの神話・伝承は。スサノヲの子とか、オオクニヌシの子(出雲一族)が河内・大和に進出した話ではないかとか、物部氏とスサノヲ一族は同族だったので、出雲の侵略に利用されたのではないかとされる考え方もあります。

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似てますよね!
スサノウ・ニギハヤヒですが、親子では?と、思うのですが‥

2016/1/14(木) 午後 8:24 [ こんにちわ ]

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以下を見ると、ニギハヤヒと神武天皇と出雲の国譲りを迫った人達は同じ天孫族出身で、スサノオとは敵ではないですか?
・物部氏は、天皇家を支え続けました。
・オオクニヌシ一族は、臣下として仕えたりはしなかった
・国譲りに派遣された「フツヌシノ命」という神が物部氏の始祖
・石見に物部神社があるのも、出雲を監視するため

2016/2/5(金) 午後 8:25 [ twk***** ]


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