いずものこころ

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◎四隅突出墳丘墓の分布と出雲の神々の伝承が一致する?

富山県山田村の牛岳山伝承は、『山田村史』に寛文八年「越中一ノ宮伝記」の伝承として・・・『牛嶽(岳)は昔、久和崎山と呼んでいたが、悪者が多く住み農民を苦しめたので、国造神大国主命が牛に乗って登り、悪者どもを平定したので牛嶽と呼ぶようになった。』・・・とあります。

同じく富山県の『井波町史』の「高瀬神社社誌」の伝承として・・・『在昔、大己貴命北陸御経営の時、己命の守り神を此処に祀り置き給いて、やがて此の地方を平治し給ひ、国成り竟(お)えて、最後に自らの御魂をも鎮め置き給いて、国魂神となし、出雲へ帰り給ひしと云う』・・・とあります。

福井県若狭町にある闇見神社の伝承として・・・『三十三間山東側の山腹にある大池に大蛇(オロチ)が住みつき、垂仁天皇の世に大暴れ。近江・美濃・越・若狭と荒らし回り、万民大いに弱る。ところがある時、雷鳴しきりにして川の流れが赤く血と変わり、黒雲は一転して青雲になる。』・・・

・・・『それは、出雲で殺されたヤマタノオロチの霊魂が雷の気となって年を経、その邪気がこの地に生じて国の災いとなったのを、スサノヲとイナダヒメの両神が再び示現。くだんのオロチを退治されたからだという。』・・・

・・『そして、スサノヲはオロチを殺した剣を投げ上げ、落ちたところに岩剣(イワツルギ)大明神=剣神をまつったのが日置神社。最後に、スサノヲが切った蛇体が二段となって空中に飛び上がり、一段は美濃に落ち、今一段は若狭の山中に落下して闇見神社となる。つまり、落下の際に天地がくらやみとなったので、その地を闇見と名付け、闇見神をまつった。』・・・とあります。

石川県の「能登国一の宮・気多大社」の御由緒の伝承として、・・・『由緒沿革 気多大神宮とも称え奉り、古来能登国一ノ宮として世に知られている。御祭神大己貴大神は国土修営のため越の北島より船で七尾小丸山に入り、宿那彦神等の協力を得てこの地方の賊徒を平定せられた。その恩典を慕いこの地に奉祭したのが本社鎮祭の由緒である。』・・・

さらに、・・・「例大祭(蛇の目神事・流鏑馬神事)/鎮花祭」であり、『その昔、気多の御祭神である大国主神が、邑知潟に住む大蛇を退治し、能登の平定に尽くされたという故事にちなみ、歩射により的を射る蛇の目神事、その後、馬に乗って走りながら的を射る流鏑馬神事が執り行われます。』・・・と紹介されています。

さて、よく観察するとこれらの地域には、ある共通点があることがわかります。

福井市の小羽山30号墓には、九頭竜川・北潟湖・福井平野を抱える低湿地帯があり、白山市の一塚遺跡21号墓には、手取川・犀川・河北潟・金沢平野を抱える低湿地帯があり、富山市の王塚・千坊山遺跡群には、庄川・神通川・井田川・山田川・十二町潟・富山平野を抱える低湿地帯があるのです。

この類似は、出雲においても見ることができます。出雲市の西谷墳墓群は、神戸川・斐伊川・神門の水海・出雲平野を抱える低湿地帯の丘陵にあります。安来市の荒島墳墓群は、飯梨川・宍道湖・荒島安来平野を抱える低湿地帯の丘陵にあります。また、最大の数の四隅突出型墳丘墓がある米子市の妻木晩田遺跡群は、日野川・淀江潟・米子淀江平野を抱える低湿地帯の丘陵地にあるのです。

さらに東進すると、鳥取県倉吉市にも有力な四隅突出型墳丘墓がありますが、天神川水系と東郷湖という潟湖・低湿地帯と関係し、鳥取市の西桂見にある山陰で最大級とされる四隅突出型墳丘墓は、鳥取砂丘を形成した千代川水系と湖山池という潟湖・低湿地帯に関係しているのです。ここから、低湿地帯の開墾・開拓が共通点として浮上するようなのです。


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