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『神門郡(かむどのこほり)とオオクニヌシ命』
古代出雲の謎
[ 霊野 ]
2014/8/29(金) 午後 2:42
蛇足1
ここでの疑問点は出雲郡に天津系の綾門日女命が居た、ということですが、これはオオナムチが八十神に殺された時、母が天津神に頼み蚶貝姫と蛤貝姫の治療で蘇生したこと、
古事記の少名彦神は神魂命の子で綾門日女命と兄妹にあたることから、出雲郡は天津勢力と友好的な交流があったことが伺えます。
蛇足2
神門郡について。
日本書紀では大国主の息子は一人で国譲りでは争いが発生しませんが、古事記では二人目の息子が建御名方神が登場し、建御雷神と争いますが、諏訪の建御名方神の神社の宮司は健部姓で、改名する前は神門姓と伝わっています。
故に国譲りで天津神に恭順したのが出雲郡、抵抗したのが神門郡、とも捉えることが可能です。
故に大国主は恭順派の出雲郡と抗戦派の神門郡の間に挟まれ外交に奔走し、結局は分裂していったのを見て、責任を感じて隠居したのかも知れませんね。
『神門郡(かむどのこほり)とオオクニヌシ命』
古代出雲の謎
[ 霊野 ]
2014/8/29(金) 午後 2:41
初めまして。
こちらのblogは興味深い内容で、若輩者ながらついつい書き込みをしてしまいました。
>『出雲国風土記』が、そのような『古事記』の物語を〜〜、情けない話しとして記載しているのは、不思議だといわざるをえません。
私見ですが、大国主の婚姻話は外交(同盟)の話だと捉えています。
故に大国主が綾門日女命にフラれた話は、大国主勢力が天津系との外交に失敗した話です。
これを記紀の大国主の国譲り神話と比較すると…
記紀では天津神との交渉は息子に任せて自身はお隠れに。これではトップとして無責任です。
しかし出雲国風土記の妻問いで、大国主は出雲の天津神と何度も交渉したが失敗した、とも読み取れます。
これで大国主は恥と引き換えにメンツが保てるような気がします。
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