いずものこころ

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レヴィー・ストロースというフランスの偉い文化人類学・神話学者は、「神話はストーリーだけを追っていると、何がなんだかわからなくなるが、それを分解し神話素といった要素を抽出し、再構造化してみることによって、その神話の持つ本当の意味がわかってくる」と指摘します。

とてもこの人のような厳密な分析と再構成などできるはずもありませんが、ちょっと遊んでみましょう。採り上げるのは「ヤマタノオロチ神話」の一側面です。

皆さんもストーリーは良く知っておられるので、ストーリーの解説は省きます。

1.スサノヲは、高天原から追われ流浪の身だった。
2.天から天降った。
3.テナズチ・アシナヅチの老人に相談を持ちかけられた。
4.イナタヒメは独身の娘だった。
5.オロチに強い酒を飲ませた。
6.酔ったところで退治した。
7.首を切り落とした。
8.尾から自分の持つ剣よりいいものが出た。
9.オロチは大蛇だった。
10.去っていくのではなく宮を作って定住した。

この10の要素を勝手に解釈してみましょう。

1−1.定住者ではなかった⇒遊牧的・・・騎馬的?
2−1.天から天降った⇒どこから来たのか不明・・・騎馬的?
3−1.流浪の者が定住者から相談を受けた⇒利害関係がない・・・騎馬的?
4−1.独身の娘⇒略奪を防ぎ自分の妻に・・・騎馬的?
5−1.強い酒⇒中国の酒(マオタイ酒など)・・・騎馬的?
6−1.酔ったところで退治する⇒策略的・・・騎馬的(中国的)?
7−1.首を切り落とす⇒ジンギスカン的(騎馬的)?
8−1.いい剣が出た⇒略奪的(乗っ取り的)・・・騎馬的?
9−1.大蛇を切った⇒大蛇を切ったものは皇帝になる(中国の斬蛇伝説)
10−1.流浪から定住へ⇒中国の騎馬王朝(遼、元、清)

ものすごく勝手に、スサノヲは、中国の北方騎馬民族の類ではないかと再構成してみました。
皆さんはどう分析し、構成しますか・・・・?

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徐福一行がもたらしたものは、実に多彩な技術・文化でした。そして、実用性に富むものでした。せっかくのそれらを、広めたり受け継いでいくには、何らかの工夫がいることになります。そこで、古代出雲人が考え出したのが、機能神という神様たちによる役割分担でした。

神様には、造化・生成の神と、それらの神々から生み出されたものを利用し、開拓し、継承していくための神々がいます。神話学者の吉田敦彦先生などは、これらの分類は世界中普遍的に見られることだといっておられます。この後者の神々(機能神)が、出雲には非常に多いのです。具体的にはどのようになっているのでしょうか。

オオクニヌシの、機能神としての役割は、国土開発、開拓でした。その子アジスキタカヒコネは、開拓されたところに豊穣をもたらす農業を広めることでした。そこから、田や畑を耕す「鍬(スキ)」の字があてられています。また、鍬の先には金属を装着している事から金属(鉄)用具の神様としての機能も当てられています。

また同じくコトシロヌシには、神のお告げを伝える機能と、漁業・豊漁の機能が与えられています。タケミナカタには、父を補佐して国土開発をする機能と、武器を使う武人としての戦の神・狩猟の機能が与えてあります。以前にも触れましたが、スサノヲの子神、イソタケル、オオヤツヒメ、ツマヅヒメには、植林・造船・建築・材木といった、樹木に関連しこれを育て管理し、木製品を作る機能を与えています。

さらに、オオクニヌシの娘神シタテルヒメには、織物・衣服生産・安産の女性らしい機能が割り当てられました。オオクニヌシの妻神タギリヒメには航海の安全をつかさどる機能、スサノヲの妻神イナタヒメには、稲の豊作を祈念する機能が与えられています。

もちろん、スクナヒコナには医薬の機能と作物栽培、害虫駆除・まじないの機能が分担されました。これらを、バラバラに並べるのではなく、あるひとつの必要性から、機能がそれぞれの神様に「意図的に分配された」とは考えられないでしょうか。

そのある必要性とは、徐福一行がもたらした膨大な先進技術を広めるにあたって、出雲の神々が独占し、他の地域の神(人)が勝手に利用できないようにしようというものだったと思われるのです。今も先進技術の独占には、二つの目的があります。乱用されないことと、独占による優位性の確保です(核開発技術がそうですね)。古代出雲人は徐福一行がもたらした先進技術が、それまでの地域の秩序や、地域間ネットワークや、人々の精神生活に悪影響を与えることもある、両刃の剣だということに気づいていました。

そこで、先進技術の乱用が起こらないよう制御するために、誰が何を管理するのかという機能神を生み出し分担させたのです。そして、この分担は独占と同じですから、その神の持つ機能を利用するためには、その神自体が動くか、許可することが必要だとすることができるのです。それに反した場合は、神罰があたるといった抑制機能も自然と生まれるのです。『記紀』に、出雲の神々が様々な地域を訪ねて行ったり、招かれたりして、様々な活躍を繰り返しすることになる原因は、こうした機能神としての独占性にあったのです。

以上より、なぜ出雲の神々は、大事な機能を背負わされて登場しているのか、いろいろな地域を巡回したのか、そして、なぜ突如として古代出雲はこれだけの機能(役割)神を産み出したのか、その理由がわかると思います。しかし、その理由を『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』は語らないのです。

ここでも徐福一行は出雲の神々によって、表舞台に出ることはなくなったのです。少し難しくなったのでしょうか。次からはもう少し、分かりやすく述べることにしましょう。

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ここでは、スサノヲと徐福一行との関係を考えてみましょう。
『日本書紀』によれば、スサノヲは、父神のイザナギから大海原を支配せよと命じられています。さらに、新羅との往還物語もでてきます。スサノヲは、海と深い関係のある神なのです。そして、先にも触れましたが、「船が無いと、この国を治めるのに不便だろう」と言って、船の材料となる樹木を植えさせます。

海の支配とその手段である船の建造、それがスサノヲの役割となっているのです。では、それを支える航海術や、建造技術をスサノヲはどこで、誰から手に入れたのでしょうか。その相手が、出雲に到着した徐福一行だったのです。徐福は霊薬を手に入れると言って東方の海上に船出したのです。当然、船の修復や、帰りの船の建造が予定されています。徐福一行の中には造船技術をもった、腕のいい職人が幾人も乗り込んでいたでしょう。

さらに、古代の航海は陸地の遠影を見ながらの、目視航海が普通でした。しかし、徐福一行が乗り出したのは、陸の見えない東シナ海でした。天測や風や海流によって目指す土地にたどり着く高度な航海術が無くては、ただ無謀なだけです。巨大な財産を投資して送り出す始皇帝に対し、その航海技術力をきちんと説明したはずです。もちろん、その担い手は、中国江南の海人たちでした。彼らは、遠洋航海術に長けていました。あるアメリカの考古学者などは、古代に船を使って南米まで行ったと指摘しています。

スサノヲは、出雲で徐福に巡り会いました。そして、これら二つの技術を習得したのです。ここから、古代出雲人の海上での活躍が始まったのです。『記紀』には、出雲と海、航海、海を使った地域間交流の話がいくつも出てきます。宗像との行き来、越との行き来、新羅との行き来などです。いつも出雲のほうから、出かけて行っているのです。つまり、他の地域からは出雲に来る技術は無く、出雲には出かけて行ける遠洋航海術があったということなのです。ついには、宗像のタギリヒメ、越のヌナカワヒメがオオクニヌシと婚姻関係を結んでいます。この婚姻関係は、徐福一行のおかげで海原(日本海海域)を支配した、古代出雲への服従とも考えられるのです。

さて、ここでも正式な伝承や『記紀』には、徐福一行の業績となって表に現れるものはありません。徐福一行がもたらした新しい技術の船、新しい航海術この二つは、今でいえば宇宙船建造技術と、月へ行って帰る宇宙船誘導技術に匹敵するほどのものです。最高の国家機密なのです。どこの誰がその技術を知っているなどと、他の地域の首長に知られたら、拉致事件どころではありません。そして、出雲が一日でも長く優位を保つには、新技術の出所を隠しておかねばならなかったのです。

ここから、古代出雲人たちは「神のみぞ知る」、ちょっとやそっとでは手の出せないスサノヲという英雄が、その秘密技術を知っているとして、徐福一行を隠しかばったのです。

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まず、「医薬分野」を採り上げてみましょう。

徐福一行は道教集団でしたから、妙薬・仙薬・霊薬から一般医薬までの製法、用法を十分すぎるほど知っていました。しかし、日本の医薬の神様は、出雲のスクナヒコナです。古代出雲のムラ長たちは、徐福一行という異人の異国からの知識で直接的に、医薬を改良普及させるのではなく、あくまで、古代出雲発の知識として普及させようとしたのです。

なぜなら、中国にはすでに「秦帝国」という、専制的な帝国が存在し、皇帝までいるのです。そして、不老不死という「絶対権力の絶対永続」を願う思想が、その医薬術の中に含まれているのです。科学技術の中には、必ずその技術を発達させた基盤となるイデオロギーが存在する(潜んでいる)のです(村上陽一郎『近代科学を超えて』)。もし、そうした思想を持つ医薬術がそのまま日本で広まれば、せっかく平和的に集落ネットワークを組みながら暮らしている諸地域に、その思想を知って利用しようとする絶対的権力者が、いつ出現し、いつ撹乱し始めるかもしれません。

しかも、祖霊信仰を大事にする出雲では、不老不死という、「人が霊にならない。いまある人が、いつまでも人だ」、などという怪物のような考えはなじみません。そこで、中国のイデオロギーを取り去るために、スクナヒコナというおだやかな出雲の神が、医薬の術を広めることとしたのです。

次に、金属鉱物から錬金した薬も、広めませんでした。この薬は、特に皇帝や権力者のためのものだったからです。しかし、薬としてではなく朱(辰砂)は、一般的に魔除け(破邪)の効力があるとして神聖な建築物や、死者の埋納の際に用いることにしたのです。出雲市大社町の猪目洞窟遺跡では少量の、出雲市の西谷の四隅突出墳丘墓では大量の朱が検出されているのも、この徐福一行のもたらした丹薬製造のための朱が、不老不死ではなく葬送のためのものとして、出雲でアレンジされたことが起源だと考えられるのです。

しかし、驚くようですが、徐福一行の錬金技術は、スクナヒコナの温泉開発に利用されたのです。錬金技術は、金属成分の分類と分析が正確に行われ、何と何をどのような比率で混ぜるとこうなるのか、といった「経験科学」です。硫黄、ナトリウム、ホウ酸、鉄分などの成分構成によって違った金属(結果)ができるのです。これは、温泉の成分分析と効能に利用できます。

なぜ、スクナヒコナが道後温泉・有馬温泉などの有名な温泉の発見の始祖だとされたり、祀られたりするのか。多くの人は、現在でもそのことを謎とします。しかし、徐福と出雲の関係を肯定すれば、すぐにその謎は解けるのです。徐福一行は、出雲で温泉を見ました。玉造温泉ほか、このblogでも紹介したように、出雲には自然に湧いて出ている温泉がいくつもありました。

火山の少ない中国大陸には、温泉は限られたところにしかありません。しかし、錬金技術で鍛えられた徐福一行は、臭いや堆積した「湯の花」などで、これは化学成分に違いないとすぐに気が付いたはずです。そこで、硫黄は皮膚病に効くとかの錬金による医薬知識を、温泉に適用したのです。スクナヒコナは、徐福一行のその知識をもって温泉を開発し、民衆の病気を温泉の化学成分の効能による湯治(温泉治療)によって治すことにしたのです。

このように、出雲のムラ長たちは、医薬の分野ではスクナヒコナを登場させることによって、徐福一行の持つ医薬技術を選択に受容し、広めたのです。それは、今までのネットワークや、築き上げてきた秩序を、先に引用したイール・ヨロント族のように、徐福一行のせいで崩されたくないという自負と、賢明な配慮からだったのでしょう。

しかし、他の地域の人たちから見れば、やはり不審です。なぜ、出雲から次々に、このような先進した医薬技術が発信されるのかと。そこで古代出雲人は、「スクナヒコナは、純粋な出雲の神ではなく、出雲への来訪神・客神(マレビト)だ」としてカムフラージュしたのです。ちなみに、あれだけ活躍したスクナヒコナは、出雲の神々の神統譜には載っていない神様なのです。

まず、この分野で徐福一行は、「たくみに隠された」ことが、理解して頂けたのではないでしょうか。

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文化複合の際に、「選択的受容」という言葉が使われます。「選択的受容」とは、異文化の文化要素を受け容れる際に、相手の良い部分、悪い部分を見極め、受け容れ可能な要素だけを選択的に受容することです。日本人は、この選択的受容の能力に優れているといわれます。鎖国以前のスペイン、ポルトガル、オランダなどとの南蛮貿易、そして、キリスト教宣教師たちとの交流の際にも、この選択的受容の能力が発揮されました。また、明治維新後の西洋文化との交流の際にも、そのような能力で対応したのです。

近世では、キリスト教は選択されませんでした。明治期には「和魂洋才」などという言葉も作られました。このような能力のおかげで、日本は地理的条件からだけではなく、東洋で唯一、西洋列強の植民地にならなかったと思われます。

古代においても、そうだったのではないでしょうか。騎馬民族国家を唱えられる、江上波夫先生らは、後期古墳時代の出現は、征服騎馬民族に征服されたことが原因だと主張されます。しかし、これに反対の立場の先生たちは、中期古墳時代と後期古墳時代に見られる変化は、征服といったレボリューショナル(革命的)な変化ではなく、エボリューショナル(改革的)な変化だとされています。そして、それは騎馬民族の持つ大陸文化の、「選択的受容」だったと主張されます。そして、現在この考え方が、主流となっています。

また、遣隋使に始まった中国の律令制度の導入も、結局は中国の律令制度とは似て非なる日本的な律令制度に変容し、そして、中世まで定着しました。「宦官」などの制度も採用されませんでした。しかし、日本的にアレンジする前に、非常に周到な制度の研究と選択が行われたことは、優秀な遣唐使たちに、中国の制度にかぶれることなく、日本の風土や風習、心性を重んじる能力があったからでしょう。

先進する中国の律令制度を熱心に研究し、導入しようとした聖徳太子をして「和をもって貴しとなす」と言わしめたせたのも、日本人の選択的受容の能力が高いことを示しているのです。実力、武力で王朝の交代が行われていた当時の中国の文化を、そのまま導入し真似をするだけなら、そのような言葉は不要だったはずだからです。

さて、このような日本人の特性を肯定するとすれば、徐福一行に直面した古代出雲人も、「選択的受容」という方法を、半ば本能的に選んだのではないでしょうか。では、どのような部分にその根拠が見出せるのでしょうか。「古代出雲『発想の転換 徐福伝説』」にしたがって、順に見てみましょう。

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