|
ところで、その「出雲国造神賀詞奏上」と『古事記』に記載されている出雲のことについては、詳しく付き合わせると様々な違いがあるのですが、何はともあれ、めでたい場での儀礼ですから、天皇と天皇家にとって不都合なことを主張したりはしていません。
しかし、『古事記』に書いてある「捏造」とも言うべき部分に、出雲国造や出雲の人たちは、なんとも納得が行かなかったと考えられます。例えば、1.国譲りのいきさつや実態について、2.スサノヲの正体とスサノヲノオロチ退治について、3.出雲建国の「ヤツカミズオミツヌ」という神が無視され、4.出雲の四大神の持つ信仰圏や、出雲にも「天降り神話」が伝承されていることも無視されていることなどです。
さらに、例えば編纂の命令の後、早期に出来上がった『常陸国風土記』などを読んでみると、なんと、中央から派遣されて赴任している「国司」が好き勝手なことを書いているではないか、と思ったに違いありません。
大和政権にまつろわぬ者は、「国巣(くず)」だ、「土蜘蛛(つちぐも)」だ、「夜刀(やと)」だ、「鬼」だなどと呼び、とてもその国を誇りにするような内容ではなかったのです。さらに、出世に目がくらんでいるのか早く大和に戻りたいのか、その意図はともかく、天皇の巡幸や皇子のまつろわぬ者退治の手柄話がいたる所にちりばめられているのです。
大和政権に国を譲り、また、天皇に対して「出雲国造神賀詞奏上」という他の国造は行なわない重大な儀礼をする出雲国が、そんな風に書かれたらたまったものではないと考えるのは無理もありません。
そこで、『出雲国風土記』の編纂責任を、中央から来ている国司から取り上げ、出雲国造がきちんとして作るのだと決意したのです。それが、『この風土記の巻末に〈天平五年二月丗日 勘造秋鹿郡人神宅臣全太里 国造帯意宇郡大領外正六位上勲十二等出雲臣広島〉と明記されるように、ほかの風土記と異なり、在地の国造や郡司層が自らの家に伝える伝承を筆録したもの』となったことの原因だと私は考えるのです。
『出雲国風土記』の特徴として、地理、地名、産物、人々の暮らしなどがとてもきちんと克明に書かれていることが挙げられます。確かに、他の「風土記」と比べても、はるかに詳細でわかりやすく、今でもこのようには書けないのではないかと思うようなものです。
しかし、それは周到に用意された意図に基く、一種のカムフラージュ、あるいは、目をそらさせるためのものだったのではないでしょうか。
『出雲国風土記』の本当の狙いは、『古事記』の内容に対する「虚偽を正して後世に伝えよう」という反抗だったと考えられるのです。つまり、『古事記』があまりにも、出雲のことを自分たちに都合の良いように書いたので、それを正そうと考えたのです。そして、そのように考えていると720年には、『日本書紀』が出来上がりました。出雲にとって『古事記』と似たり寄ったりのひどいものだったのです。
しかし、この「風土記」も完成すれば中央に届けられ、大和政権の中枢を担う人たちが検閲するでしょう。間違っても「古事記や日本書紀の内容は嘘だ」などということはできません。従って、先の「地理、地名、産物、人々の暮らしなど」を克明に正確に書くことによって、折々に淡々と、真実の内容を各所に忍ばせたのです。
私は、『出雲国風土記』が言いたかったことは、先に挙げた、たった4つのことだと考えています。否、さらに突き詰めれば、たった1つのことだったのです。その4つの内容と、たった1つのことについて検討していきたいと思います。次回にしましょう。
|