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さて、矢野神社の『八野若日女命』について、『出雲ド−ムの近くにあるこの神が鎮座する八野神社。出雲の市内の式内社のなかでは珍しく、古来のままの在地神と社地がそのまま保たれているという。田のなかにぽつんと立つ森の中にこの社はあった。未来を象徴する建物出雲ド−ムとは対称的に、古式豊かな静まりきった境内であった。この女神がいかに土地の人々の畏敬を受け、古代・中世・近世と根強い信仰が強かったのかをしめしているようだ。』という記事があります。
そして、『この一帯は、縄文・弥生・古墳・奈良・平安・の各時代から中世・近世までに至る大規模な複合遺跡であり、貝塚をはじめ、古代住居跡、各時代にわたる土器などが出土しており、出土品は出雲市教育委員会・島根大学考古学研究室に保管されている。』とされています。
ここからも分かるように、稲作農耕社会の古代出雲では、「母系制社会」による土地への定着性の高さと、生産活動に対する女性労働力への依存、そして、子供を産むといった女性の力への崇拝が、平和な文化の育成と成熟を促したと考えられるのです。
こうしたことは、他にも朝山、那賣佐、宇賀といったところにもオオクニヌシの妻問いが見られることから、古代出雲の西部の平野部では、各共同体の一般的な傾向であったといえるのです。持続可能な再生産と循環型社会としての「母系制社会」が、古代出雲の普通の社会形態として営まれていたのです。
そこでは、信仰の形態も、豊穣な女性的大地、再生産を保証する女性崇拝、そして、風水害に対抗しうる女性の呪力といった、地母神的なものに対する土着的なものだったと推測されます。こうした中では、男性は単純な労働力の供給のために出入りする者であり、女性の下で育つ子供の母親の系譜はたどれても、父親の系譜はあいまいとなってしまうのです。
「矢野神社」の男神は「大歳神」、「朝山神社」の男神は「神魂命と大己貴命」、「那賣佐神社」の男神は「大物主神」、そして「宇賀神社」の男神は「大己貴命」といった具合に、各神社のヒメ神はそれぞれに特徴を持ち異なっていますが、一緒に祀られる男神はいずれもオオクニヌシあたりと見られるほぼ同一の神なのです。
このことの意味することが、「母系制社会」の特徴である、「母親の系譜はたどれても、父親の系譜はあいまいとなる」ということであり、それぞれの男神は、本当は異なっていたのでしょうが、あいまいなため、オオクニヌシあたりに統一してしまっているのです。
しかし、社会は変化します。『部族は、後輩を慈しみ、欲を少なくして争わず、陰を貴び、柔を重んじ、自然無為であることによって統治されていた。』という「母系制社会」の古代出雲でしたが、稲作農業がさらに進んでくると、単に平和で循環する社会ではすまなくなったのです。
このことを分析した指摘に、次のようなものがあります。『さて、問題はこうした母権社会がどのようにして父権社会にとってかえられたのかということだ。事情はかなり複雑多岐にわたっていたと思われる。ひとつには家族社会の中に強弱が出てきて、その格差が定着し、さらに他の部族を併呑するようになっていたのだろう。これはやがて都市国家や国家の原形態になっていく。』
つまり、稲作による農業生産は、必然的に物質の集積を促しますから、その蓄積された物をどのように活用するかとか、どのような形で再生産に結びつけるのか、例えば種籾だけの管理の仕方ひとつによっても格差が出てくるのです。その格差がある年月にわたって定着すると、「強・弱」という関係になり、さらには、「併呑・吸収」という事態になるというのです。次回にしましょう。
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