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長くなりましたが、では、私が空想する「国譲り神話」の中に隠されている、史実に近い内容とはどういうものなのか、粗筋的にまとめてみたいと思います。
1.まず、最初に出雲の国譲りの交渉、およびその前準備のために、大和政権からアメノホヒという人物が派遣された。
2.この人物は、出雲の首長に逆に恫喝され、軟禁されてしまった。この人物から大和政権の内容や政情をいろいろ聞き出したりしているうちに、出雲の首長とこの人物は仲良くなり、アメノホヒは大和に帰らず、そのまま居着いていた(3年たっても戻って来ない)。
3.やがて、アメノホヒの動向を不審に思った大和政権は、武力行使も考えているというような形を示すために、いくばくかの軍事部隊を伴った次の使者であるアメノワカヒコを派遣した。
4.先に来たアメノホヒからさまざまな情報を仕入れていた出雲の首長は、アメノワカヒコをすぐさま厚遇・懐柔し、大和政権に国を譲るくらいなら、あなたに国を任せるから、私の跡継ぎのアジスキタカヒコネと一緒になって出雲を守って下さい、と言ったりもした。そのために私の娘のシタテルヒメを妻に差し上げますなどとも言い、そのようにした。
5.それに従えば、反逆となることを知ってはいたが、アメノワカヒコは自分とアジスキタカヒコネが手を組めば、せめて大和の侵攻ぐらいは抑えることが出来ると考えた。そのうち大和政権も出雲と仲良くやろう、仲良く連立しようなどといったことになるのではと考えていた(8年たっても高天原に戻らなかった)。
6.しかし、アメノワカヒコが出雲と手を組んだなどということは、大和政権にとっては由々しきことだと受け取られた。大和政権は、偵察員(スパイ)を送り込んでアメノワカヒコの様子を探らせたが、そのスパイは殺されてしまった(雉の鳴女)。
7.大和政権は、これをまさに危機と受け止めたが、出雲との全面戦争は避けたかったので、あれこれ考えた挙句、アメノワカヒコを暗殺した(返し矢)。シタテルヒメは悲しみ、アジスキタカヒコネはアメノワカヒコを弔いに行った。アジスキタカヒコネは、これ以後、大和政権が使者を派遣しても、国譲りには反対だと答えようと考えていた。
8.首尾よくアメノワカヒコを暗殺したものの、オオクニヌシの正統な後継者であるアジスキタカヒコネに反対されたのでは国譲りの交渉は出来ないと考えた大和政権は、アメノワカヒコに続き、アジスキタカヒコネをも何らかの手段で暗殺してしまった。
9.事の成り行きを一部始終見ていたアメノホヒは、出雲の首長に向かって、『あなたの正統な後継者であるアジスキタカヒコネも殺されました。次はあなたの身に大きな災いが降りかかる番だ。そして、大和に好意を寄せる勢力も出雲にはいるのです。下手な争いをするより、有利な条件を持ち出せる間に、大和と交渉してはどうですか。』と持ちかけた。
10.出雲の首長は、その交渉をアメノホヒに任せた。アメノホヒが持ち込んだ条件に納得した大和政権は、出雲の首長との間に、その条件と引き換えに、出雲の統治権は大和政権に譲り渡されるということで一連の出来事に終止符を打った。
11.アメノホヒの役割は、結果的には高く評価されたが、その評価(史実)を前面に出すことは控えられた。しかし、大和政権はアメノホヒと親交を結んでいた(もちろんその間に血縁関係も出来ていた)出雲の首長層の一族を、出雲国造として任命してそれに報いた。これが、天津神のアメノホヒが出雲国造の祖とされる理由である。
12.しかし、これだけではアメノホヒの名誉回復には不十分だと考えた天皇家と出雲国造家は、全国の国造の中で唯一出雲国造だけが奏上するという、天皇家への服属儀礼である『出雲国造神賀詞(かんよごと)』奏上の大舞台で、天津神アメノホヒ・出雲国造の祖アメノホヒの功績を高らかに述べることにした。
13.大和政権の正統性を示すために作られた『古事記』・『日本書紀』に、このような史実に近いことは載せられなかった。その理由は、出雲という大国の「国譲り」を神話として仕立て上げることは、いかにも利用しやすい材料であり、大和政権の正統性・その成り立ちを人々に納得させる大きな題材であったからである。
14.そこで、大和政権が派遣した身内の裏切りや、その後の陰湿な暗闘・手段の行使、それらを全て見て来ていて、次の手を打った第一番目の使者であるアメノホヒの最終的な努力によって、ようやく出雲の首長との妥協が成立したという現実的な史実を隠し、フツヌシ・タケミカヅチという荒唐無稽な創り上げられた英雄神(後の物部氏、中臣氏の祖)の活躍という「国譲り神話」を仕立て上げたのである。
明日から新しいシリーズです。
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