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2010年01月30日
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さて、前回のシリーズで、・・・『つまり、倭の五王の出自を九州中南部の狗奴国と考えれば、そこは故地ですから征服することはできないのです。さらに、出雲・伯耆は最後まで大和政権が手を焼いた地域ですから、まだ倭の五王の時代には征服の手が及んでいなかったと考えられるからです。・・・ 一方、大和と隣接する西の地域には、多少困難があっても大和防衛のために進出して当然ですし、東国は大和より後進した地域であり、瀬戸内海・大和経由でなければ、先進物資や文化が到達しないところですから、倭の五王の時代にも、進出が可能な地域なのです。・・・ さらに、朝鮮半島南部の国々は、元々北部九州と交易共同体のような関係にあったところであり、瀬戸内海・玄界灘と一衣帯水であり、征服の矛先を向けたと考えられます。』・・・としました。http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/60134337.html さらに、・・・『ところで、大和の狗奴国分派と、本国である有明海に面する場所に本拠を置く狗奴国の関係はどうなったのでしょうか。私は、大和に移った狗奴国分派は、大和政権としてまたたく間に強大となり、その後、狗奴国本国を飲み込んでしまったと考えたいと思います。では、そうした出来事はどのように語られているのでしょうか。・・・ 私は、大和政権は、そもそもの故地・出自である九州の狗奴国自体を滅ぼした、あるいは支配下に置いたとするのは妥当ではないと考え、狗奴国を九州各地の熊襲・隼人・女酋の国として細分化し、それぞれを九州のあちこちで討伐したというローカルな話に置き換えているのではないかと思います。というのも、九州征伐はいくつもの時代と、幾度にも行われたことになっています。景行天皇の九州征伐、ヤマトタケルの熊襲征伐、仲哀天皇の熊襲征伐、その皇后の神功皇后の九州の女酋征伐などです。』・・・ともしました。 http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/60138283.html 私の空想は、大和に君臨した狗奴国分派は、その勢力が西日本一帯に及ぶに至って、狗奴国本国が自分たちの出自の土地だとすることに抵抗を感じるようになったと考えるものです。なぜ抵抗を感じるようになったのかというと、自分たちの権力の肥大化と先進性に比べ、狗奴国本国はあまりにも遅々とした歩みであり、しかも、征服した各地に比べても麗しい国とは思えなくなったからです。 そこで、君臨する自分たちの出自を、もっと遠い場所に設定し、その出自と血統を飾り立てようと考えたのです。その場所が、狗奴国本国の故地である朝鮮半島だったのです。 |
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