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『古事記』は713年にできあがりました。『日本書紀』は、720年にできあがりました。『出雲国風土記』は、733年にできあがりました。
どれも、出雲で起こったこととしての神話や物語が載っていますが、実は、とても大きな事件や出来事が、『古事記・日本書記』には載っていて、『出雲国風土記』には載っていない、あるいはその逆という場合が起こっているのです。
今回は三つのことを取り上げたいと思います。
まず、スサノオのオロチ退治です。この神話は、『古事記・日本書記』には出てきますが、『出雲国風土記』には出てこないのです。スサノオが出雲にやってきて、オロチという恐ろしい大蛇を退治して、出雲の国王になったという大事件が、『出雲国風土記』には記載されていないのです。なぜでしょうか。
一方で、『出雲国風土記』ではスサノヲの話は、どこへ行ってどんな地名をつけたとか、頭に葉っぱを乗せて踊ったとか、オロチ退治とはかけ離れたものが記載されているのです。なぜでしょうか。
次に、スサノオとオオクニヌシの関係と、二人の間のさまざまな出来事です。
『古事記・日本書記』では、オオクニヌシはスサノオの5世後の孫だとか、スサノヲの娘神であるスセリヒメと結婚したとかとされていますが、『出雲国風土記』には、そのようなことは一切書かれていません。スサノオはスサノオ、オオクニヌシはオオクニヌシとしてしか、書かれていません。
スサノオとオオクニヌシの関係はどのようなものだったのか、『出雲国風土記』を作るに当たってとても重要なことではないでしょうか。それが書かれていないのです。
そして、それに関係するスサノオとオオクニヌシとの出会いや、スサノオが「根の国」でオオクニヌシに与えた試練、「生く太刀・生く弓」を与えて、大きな宮殿を作って出雲の国主になれと言ったことなども書かれていないのです。なぜでしょうか。
そして、三番目に、出雲にとって最も重大な出来事であったはずの、「国譲り」に関しては、そのいきさつや、さまざまな出来事、「国譲り」に関して登場した神々のことなどは、『古事記・日本書記』には、こと細かく書かれていますが、『出雲国風土記』では、たった一行で、オオクニヌシが「私が造ってきた国は、皇孫に譲りましょう」と言ったとしか書かれていません。なぜでしょうか。
同じようなことは、登場する神々についても言えるのです。『古事記・日本書記』に出てくる、筑紫からの妻神の「タギリヒメ」・子神である「シタテルヒメ」・「タケミナカタ」・「コトシロヌシ」・「ヤカミヒメ」・出雲国造の祖とされる「アメノホヒ」などは、全く『出雲国風土記』には出てこないのです。なぜでしょうか。
こうしたことから、その「なぜでしょうか」について、いくつもの考えが学者の先生方たちから出されています。大まかにまとめると、次のような考え方です。
1. そもそも『古事記・日本書記』に書かれている「出雲神話」は、中央で創作されたもので、本来の出雲での出来事ではないからだ。
2. 『古事記・日本書記』に書かれていることは、確かに出雲で起こったことだが、その中の重要なことは『出雲国風土記』には書くなとの指示があったので、書きたくても書けなかった。
3. 『古事記・日本書記』に書かれていることは、出雲で語り継がれていた神話や伝承を、『古事記・日本書記』を作るにあたって、その都合のよいところを拾い上げ、そのうえで、誇張や創作を加えたからだ。そこで、『古事記・日本書紀』を読んでいた出雲国造は、遠慮してスサノヲの話(オロチ退治やオオクニヌシとの関係)や、国譲りの真相に関して書くことをやめた。
4. そうではなく、両方で話し合って、書き換えたりなどして、うまく組み合わせた。だから、成立まで20年もかかった。
・・・どう考えたらいいでしょうか。
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