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『出雲國神仏霊場』巡りの紹介

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『第九番 大神山神社』 http://www.shinbutsu.jp/?ID=39

『伯耆大山は中国地方屈指の霊峰であり、四季を通じて観光の中心地であり、多くの老若男女の集う山でもある。その山頂に鎮座する大神山神社奥宮は全国最大級の壮大な権現造りであり、大山の麓に鎮座する大神山神社本社は、平野の中に六千坪の境内と湧水、それに菖蒲園を持ち、いずれもその神徳により多くの方々に崇敬されてきた。』とあります。

本社が、鳥取県米子市尾高という平地の市内にあり、奥宮が、鳥取県西伯郡大山町大山の大山の山懐にあります。二ヵ所に分かれている理由は、『その後平安期になって、冬季の奥宮では祭儀が行われにくいので、ふもとの尾高に冬宮・本社を作り、夏期は大山の奥宮、冬期は下の本社にて祭儀が行われることとなった。現在も祭りは夏は奥宮、冬は尾高本社にわけて行われている。』とのことです。

名称は、「大神山神社(おおがみやまじんじゃ)」
祭神は、「本社 大穴牟遅神 」「奥宮 大己貴命」
創建は不明ですが、「出雲風土記、延喜式などに記載あり」
ご利益は、「畜産、安産、授福、病気平癒(医薬を含む)」

霊峰「大山」は、古代より地元の人からはもちろん、海上を往来する他のクニグニの航海民からも、信仰の山、目印の山として崇拝されていました。大山のブナ林は有名で、縄文の時代には、豊富な食糧を産む山として、人々の生活を支えていたことでしょう。

しかし、修験道が栄え始めると、大山は修験の山として名を馳せることになります。鳥取県には、たくさんの修験の山があり、今年、開創1300年を迎える「三徳山 三佛寺」も大山と張り合うほどの修験の山でした。

『第十番 大山寺』 http://www.shinbutsu.jp/?ID=38

『山岳信仰の対象であった大山が寺として本尊地蔵菩薩を両部習合の習しにより大智明大権現となり、今からおよそ1100年ほど前に天台宗に列し一大霊場となる。 戦国乱世の世にあってもその勢力を保ち、江戸時代には3000石の寺領を得て、中国地方の屈指の大道場として法灯を守ってきた。』とあります。

寺の名称は、「角磐山 大山寺(かくばんざん だいせんじ)通称 大山さん」
宗派は、「天台宗 別格本山」
ご本尊は、「地蔵菩薩」
開創は、「金連(きんれん)上人 養老2年(718年)」
ご利益は、「先祖、水子をはじめとする供養回向、家内安全、牛馬繁栄、厄払い、諸願成就の祈願祈祷」
祈りの言葉は、「みせんより つなをたよりに のぼれよと むみょうのやみに じひのこえきく」と、「オン カカカ ビサマエイ ソワカ」

大山は、修験の山とともに現代では四季折々の行楽やスポーツの山でもあります。登山、ハイキング、キャンプ、スキー、ドライブとどれをとっても満喫できるところです。西日本一帯からの観光客が絶えないのもうなづけます。

さらに、頂上までは行かなくても、眼下に広がるパノラマは雄大です。3000人の僧を抱えたといいますが、その修行僧たちも同じパノラマを見ていたと思うと、感無量です。

『第七番 華蔵寺』

『華蔵寺は臨済宗南禅寺派の末寺で、標高456mの枕木山の頂上に位置する禅宗の古刹である。参道を登るとまず仁王門に行きつく。ここの金剛力士像は運慶の作といわれ、祭礼の時には二歳児の無事成長を祈る「またくぐり」の習わしがある。さらに進むと石造りでは大きさ日本一といわれる不動明王像が聳(そび)え、その先には亀山法皇のご病気を癒したという杉井の霊水が岩間から湧き出している。』とあります。

なつかしい枕木山にあります。小学校の頃、ここにはNHKの電波塔と放送局があり、遠足で訪れたことがあります。中海と大山を見晴らす、その景色の雄大さと美しさには、小学生ながら感動しました。

寺の名前は、「龍翔山(りゅうしょうざん) 華蔵寺(けぞうじ) 通称 枕木山(まくらぎさん)」
宗派は、「臨済宗 南禅寺派」
ご本尊は、「釈迦牟尼佛、枕木薬師如来(平安時代の作で国の重要文化財に指定されている)」
ご開創は、「智元上人 今より1200余年前 延暦年間(桓武天皇)」
お祈りの言葉は、「おんころころ せんだりまとうぎ そわか」

『堀尾公の松江築城にあたり、城の鬼門として当寺は祈願所となり復興する。明暦三年(1657)に松平直政公に至り再興なり、歴代藩主の帰依篤く、外護を受ける。』とありますが、確かに松江城の「北東」の方向にあります。

仁王門の金剛力士像は、いかにもこの松江を守るぞという気迫に溢れています。また、元旦に、ここから仰ぐ日の出は最高だという人もたくさんいます。

『第八番 美保神社』

このblogでも何回も触れた『コトシロヌシ』を祀る神社です。
『三穂津姫命(みほつひめのみこと)は大國主神の御后(おきさき)神で、高天原から稲穂を持ち降り耕作を導き給うた農業及び子孫繁栄の守り神。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大國主神の第一の御子神(みこがみ)で、「ゑびすさま」すなわち漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰され、美保神社も全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれてきた。』とあります。

「美保造り」という「大社造り」を二つ並べた建て方の社殿が目を引きます。四月の「青柴垣(あおふしがき)神事」、十二月の「諸手船(もろたぶね)神事」の時には、たくさんの観光客がその神事を見守ります。不思議な雰囲気の青柴垣神事、勇壮な諸手船神事、共に「国譲り」の神話に思いが行くはずです。

祭神は、「三穂津姫命(高天原の高皇産霊神の御姫神、大國主神の御后神)、事代主神(
須佐之男命の御子孫、大國主神の第一の御子神)
ご開創は、「神代」
ご利益は、「五穀豊穣 安産 海上安全 大漁満足 商売繁盛」

神社前の美保港、後ろの関の五本松公園、そして足を延ばして美保関灯台のある地蔵崎へ行ってみても良いでしょう。特に地蔵崎からは日本海、大山の眺めがすばらしく、古代の日本海航路の要衝としての美保関がしのばれます。

『第五番 月照寺』

高校時代の頃、英語の先生がこのお寺にある亀の石像について話されたことがあります。それまでは、このお寺の存在も知りませんでした。

『松江城の西にほど近く、月照寺は歴代松江藩主松平家の菩提寺である。 現在国の史跡に指定されている境内には、松平家九代までの各廟所のほかに、鐘桜・唐門、「夜な夜な松江を徘徊する」と小泉八雲の随筆に登場する巨大亀形の寿蔵碑、茶聖七代不昧公ゆかりの茶室大円庵、毎年4月の不昧公忌に茶筌供養が行われる茶筌塚、茶の湯の井戸、不昧公の恩願を受けた力士雷電の碑など、藩主菩提寺として由緒正しき遺品・遺跡が数多く残っており、歴史と信仰のお寺として親しまれている。』とあります。

確かに、その亀の石像は不気味なものでした。また、紫陽花の花でも有名です。

宗派は、「浄土宗」
ご本尊は、「阿弥陀如来」
開創は、「寛文四年(1664)松平直政(まつだいらなおまさ)公が生母月照院の冥福を祈って造立したもの。」
お祈りの言葉は、「南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」

藩主の菩提樹として、どこかしら格調が感じられます。七代不昧(ふまい)公廟門の「小林如泥作のブドウの透かし彫り」は見事です。小林如泥は、松江の左甚五郎といわれるほどの名工だったそうです。いろいろな逸話が残っています。

『第六番 売布神社』

松江の大橋川にかかる新大橋のたもとに、鬱蒼とした森が出現します。その中に建っているのが売布神社です。

『賣布神社は、遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神(くしやたまのかみ)が、潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられている。』とされています。

七月には、わたつみの神の夏祭りがあり、その時は船で宍道湖・大橋川を遊覧しながらの神事が行なわれます。船の中で、笛太鼓が鳴らされ、祝詞が奏じられます。また、船上から野菜や果物やお酒が投げ込まれ、水の神様に感謝する行事も行なわれます。

主祭神 「速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)」
水戸(みなと)の神であり、祓(はら)え戸(門)の神
相殿神 「五十猛命(いたけるのみこと) 、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、柧津姫命(つまづひめのみこと)」

「五十猛命・大屋津姫命・柧津姫命」の三神は、「スサノヲ」のお子神で、新羅から持ってきた樹種を、日本の国土に播かれたと伝わる神々です。

創建は、『出雲国風土記』にも記載のある神社ですので、相当に古いのでしょう。宮司さんは、縄文時代だといっておられます。
ご利益は、「祓え清め、そして生命力のよみがえり」
お祈りの言葉は、「祓え給い 清め給え、守り給え 恵み給え」

境内は、いつもきれいに清掃してあり、樹木の香りのするすがすがしい神社です。伊勢宮という松江一の歓楽街にありますが、市中とは思われない静寂に包まれています。

『第三番 一畑薬師』 http://www.shinbutsu.jp/?ID=45

『一畑薬師は、出雲神話の国引きで名高い島根半島の中心部、標高三百メートルの一畑山上にある。「目のお薬師さま」として、古くから全国的に知られ、千三百段余りの石段(参道)でも有名である。』とあります。

小さい頃、その石段をハアハア言いながら登ったことを覚えています。途中には、土産物屋さんや、食堂があったのですが最近は行っていないのでどうなっているのでしょうか。また、子供が健やかに成長するようにと「二歳児参り・四歳児参り」も有名です。二歳の時に初参りし、四歳の時にお礼参りをするとされています。

宗派は、禅宗(臨済宗妙心寺派)
正式名称は、「医王山 一畑寺 (いおうざん いちばたじ)」
開創は、「寛平六年(AD894)」
ご本尊は、「薬師瑠璃光如来」となっています。
ご利益は、「眼病平癒、当病平癒、子供の無事成長など」です。

『一畑山の麓、日本海の赤浦海中から漁師の与市が引き上げた薬師如来をご本尊としておまつりしたのが始まりで、与市の母親の目が開いたり、戦国の世に小さな幼児が助かったことから、「目のやくし」「子どもの無事成長の仏さま」はじめ、諸願に霊験あらたかなお薬師様として篤く信仰されている。』との由来があります。

「お祈りの言葉」は、「オンコロコロ センダリ マトウウギ ソワカ (薬師真言)」
私がこれも小さい頃、一畑薬師の「講」が町内でよく行なわれていました。その時、町内のご婦人方が、この真言を全員で唱えておられました。「オンコロコロ」までは覚えていますがそれから先は、覚えられませんでした。

『第四番 佐太神社』 http://www.shinbutsu.jp/?ID=44

『佐太神社は松江市の北、鹿島町佐陀宮内に鎮座する出雲二宮である。出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社ともあり、大社造りの本殿が三殿並立する。』とあります。佐太大神は、『出雲国風土記』に登場する、四大神の一神です。

この神社でも、「神在祭」があり、海蛇がその使いをします。
祭神は、正殿が『佐太大神(さだおおかみ)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、伊弉再尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)』、北殿が、『天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)』、南殿が、『素盞鳴尊(すさのおのみこと) 秘説四柱の神』とあります。

『主神の佐太大神は、猿田彦大神(さるたのひこおおかみ)で、出雲国風土記によると加賀(かが)の潜戸(くけど)に御誕生になり、古くから導きの神、道開きの神、福の神、長寿の神、交通・海上守護の神、地鎮の神として信仰されてきた。』との説明があります。

国の重要無形文化財に指定されている「佐陀神能(さだしんのう)」、重要文化財の「彩絵桧扇、龍眼端花鳥蝶文彩絵扇箱、色々威五十八間筋兜、色々威腹巻、色々威胴丸」などがあり歴史をしのばせます。

古代には、前面に大きな「水海」があり宍道湖の入り江のようになっていました。北には、古浦砂丘遺跡がある恵曇港を控え、東西南北の交通の要衝だった場所に神社があるのです。さらに、西は出雲の四つの神奈備山のひとつ「朝日山」があり、その近くからは、荒神谷遺跡の発見に先立って、銅剣と銅鐸が出土した「志谷奥遺跡」があります。

ここの銅剣と銅鐸は、荒神谷遺跡と違い、きちんと並べられていたのではなく、廃棄されたように粗雑に埋められていたことから、その違いは何なのかを問いかけている学者の方もいます。

『出雲國神仏霊場』巡拝という、出雲の霊場を巡るコースがあります。http://www.shinbutsu.jp/?ID=18

『出雲の国「社寺縁座の会」とは、島根・鳥取両県の20の神社仏閣が神仏や宗派を超えて連携し、出雲の国に古くから残る、人と人との「ご縁」を尊ぶ心、「和」の心の大切さを、世界に向けて発信していこうという趣旨の基に設立された会です。』という会が昨年できて、現在いろいろと活動を始めていらっしゃいますので、そこを巡ってみたいと思います。

私は、この20社寺はすべて行ったことがありますが、あらためて由来や、祭神、開祖などについて、私なりの感想を交えながら巡ってみたいと思います。

『「日本の心の故郷」ともいえる出雲の国により多くの方々に訪れていただき、自身の心と向き合い、大自然の中に生かされている自分を発見する「心の旅」を味わっていただきたい。それが社寺縁座の会の御提唱いたします「出雲國神仏霊場」巡拝なのです。 』との、趣意がHPには書かれています。

まずは、『第一番 出雲大社』からです。http://www.shinbutsu.jp/?ID=47

御祭神は、いわずと知れた「オオクニヌシノミコト」ですが、「霊場巡り」紹介には、「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」とあります。

「お祈りの言葉」は「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま・くしみたま・まもりたまい・さきはえたまえ)」とあります。

このお祈りの言葉は、祖霊社という氏子の祖先が祀られている所での○○年祭や、出雲大社教の神式の葬儀などでは必ず宣上げられる言葉です。抑揚のある神主さまの声を実際に聞くと、本当にありがたく聞こえます。

出雲大社の境内や、両側の千家国造家、北島国造家のたたずまい、東の命主神社や真名井の井戸、そして東の国譲りと神迎えの浜で有名な稲佐の浜などを散策すると、すぐに時間がたちます。出雲大社は、観光バスのツアー旅よりも、ゆっくりと訪れてみるのが良いところだと思っています。

もっと時間のある人は、稲佐の浜へ行く途中にある歌舞伎の元祖ともいわれている「出雲の阿国の墓」や、「出雲の阿国の塔」がある「奉納山」へ登ってみるのも良いかもしれません。体力はあまり要りません。あるいは、「松の参道」を通って「日本一の大鳥居」のある「神門通り」を散策するのも良いかもしれません。

『第二番 鰐淵寺』となっています。http://www.shinbutsu.jp/?ID=46

正式な名称は『浮浪山 一乗院 鰐淵寺(ふろうさん いちじょういん がくえんじ)』となっています。天台宗で、「智春(ちしゅん)上人」が、推古天皇2年(西暦594年)に御開創されたとあります。

寺号は『上人が滝のほとりで密法を修しておられた折、誤って椀(まり)の佛器を滝壺に落とされ困っておられた時、にわかに淵が激発して大きな鰐魚(わに)が鰓(えら)に佛器をかけて浮かび上がり、上人にささげ奉ったことから寺号が生じた。』とされています。

紅葉が特に有名で、初夏の緑の若葉、秋の紅葉ともに見ごたえがあります。大山寺や出雲大社との縁も深かったとされています。特に、「武蔵坊弁慶」が大山寺から運んできたといういわれのある梵鐘は有名です。

「お祈りの言葉」は、『オン バ サラ ダルマ キリ ソワカ』という真言です。

「ご利益」は、『所願成就、特に推古天皇の龍眼をいやしたことから勅願寺となり、推古 
天皇が女帝であったことから、子年女性の守り本尊として祀られる。』となっています。

まさに古刹といった風情があり、紅葉のころは冷んやりとするくらい鬱蒼とした樹木に囲まれています。何か霊気を感じる場所でもあります。

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