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古代出雲の謎

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古代出雲にはたくさんの謎があります。みんなでその謎に想像の翼を広げましょう。
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「どれが本当の出雲大社か」などというと、馬鹿なことを言うなと叱られそうですが、実は、『古事記』・『日本書紀』・『出雲国風土記』をよく読むと、本当はどうなのかと思われる記載があるのです。


私たちが、出雲大社の創建についてよく知っているのは、『古事記』・『日本書紀』における創建の記載です。

単純にいえば、・・・『大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて欲しいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりである』・・・といったものです。

しかし、前回も推理したように、『古事記』・『日本書紀』と『出雲国風土記』とでは、実に大きな違いがあるのです。

まず、『出雲国風土記』を見てみましょう(55ページ)。
そこには、・・・『郡役所の西北二十八里六十歩。八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ)が国引きをなさった後に、天の下をお造りになった大神の宮をお造り申し上げようとして、もろもろの神々たちが宮殿の場所に集まって地面を突き固め(きづき)なさった。だから、寸付(きづき)という。』(荻原千鶴訳)・・・とあります。

どんな宮だったのか、どんな大きさだったのか、細かな記載はありません。寸付(きづき)という地名起源のための記載に過ぎないとも思えるのです。

一方、『古事記』・『日本書紀』の記載は違います。
『古事記』では、・・・『我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょうと述べ、これに従って「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。』・・・とあります。

『日本書紀』では、・・・『高皇産霊尊(タカミムスビ)は、国譲りに応じた大己貴神(オオナムチ)に対して、「汝の住処となる天日隅宮(あめのひすみのみや)を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命(アメノホヒ)に祀らせよう」と述べた。』・・・とあります。

ここで一番重要なのは、『古事記』・『日本書紀』によれば、共に出雲大社は「国譲りの代償」として造られたということです。その代償だからこそ、大きく立派な宮として造られたとされています。

さて、細かな違いはたくさんありますが、みんなで謎解きをするために、大きなポイントを書き出して見ましょう。

1.『出雲国風土記』では、「ヤツカミズオミツヌ」という「国引き」をした「出雲の神」が、「オオクニヌシ」のために宮をお造り申し上げようとされています。

2.『古事記』・『日本書紀』では、「高天原の神」が、「オオクニヌシ」のために宮を造ったとされています。

とんでもない違いだと思われませんか?

3.また、『古事記』・『日本書紀』では、「オオクニヌシ」が造ってくれと言っています。しかし、『出雲国風土記』では、「天の下をお造りになった大神」のために、その功績をたたえて造って差し上げようということになっています。

『出雲国風土記』を柱にして、もう少し簡単にまとめてみると、次のようになります。
「出雲大社」は、
1.出雲の神の発案で、出雲の人の手で造られた。

2.「国譲り」の代償などではなく、「オオクニヌシ」の国造りをたたえてのことである。

3.オオクニヌシは、自分の宮を造ってくれなどと言ってはいない。

このことを裏返しで言うと、
4.『古事記』・『日本書紀』に書いてあることは、間違いである!!

すなわち、『出雲国風土記』は、先にできた『古事記』・『日本書紀』に書かれている「出雲大社」の起源について、正面から否定するのではなく、「杵築郷」の地名起源を説明すると見せかけて、さらりと、しかし、最も重要なことを書き残したのです。

最後に、このことと、意宇郡母理郷(7ページ)の「オオクニヌシ」の言葉、『但し、八雲立つ出雲の国は、・・・玉のように守ります。』ということを合わせ考えると、『出雲国風土記』が書き残したかったことは「出雲本体の国譲りなどは、無かった」ということではないでしょうか。

みんなで想像してみましょう。

ついでに、『古事記』には、もう一つ興味深い記載があります。それは、「根の国」でのスサノヲからの試練に耐え、スサノヲの娘であるスセリヒメと一緒に根の国からの脱出を図った時に、スサノヲがオオクニヌシに投げかけた言葉です。

・・・『その、お前の持っている生太刀と生弓矢をもって、そなたの腹違いの兄どもや弟どもを、坂の尾根まで追いつめ、河の瀬までも追い払い、おのれが葦原の中つ国を統べ治めてオホクニヌシとなり、またウツシクニタマとなりて、そこにいるわが娘スセリビメを正妻として、宇迦の山のふもとに、土深く掘りさげて底の磐根に届くまで宮柱を太々と突き立てて、高天の原に届くまでに屋の上のヒギを高々と聳(そび)やかして住まうのだ、この奴め。』(三浦佑之現代語訳)・・・というものです。

ここでは、スサノヲがオオクニヌシに、出雲の統治者となって、大きな住まいをオオクニヌシ自体の手で造って住め、と言って励ましたことになっています。

オオクニヌシは本当に自分の力で大きな住まいを造ったのでしょうか、そして、その後それが宮となったのでしょうか。

『古事記』は713年にできあがりました。『日本書紀』は、720年にできあがりました。『出雲国風土記』は、733年にできあがりました。

どれも、出雲で起こったこととしての神話や物語が載っていますが、実は、とても大きな事件や出来事が、『古事記・日本書記』には載っていて、『出雲国風土記』には載っていない、あるいはその逆という場合が起こっているのです。

今回は三つのことを取り上げたいと思います。

まず、スサノオのオロチ退治です。この神話は、『古事記・日本書記』には出てきますが、『出雲国風土記』には出てこないのです。スサノオが出雲にやってきて、オロチという恐ろしい大蛇を退治して、出雲の国王になったという大事件が、『出雲国風土記』には記載されていないのです。なぜでしょうか。

一方で、『出雲国風土記』ではスサノヲの話は、どこへ行ってどんな地名をつけたとか、頭に葉っぱを乗せて踊ったとか、オロチ退治とはかけ離れたものが記載されているのです。なぜでしょうか。

次に、スサノオとオオクニヌシの関係と、二人の間のさまざまな出来事です。

『古事記・日本書記』では、オオクニヌシはスサノオの5世後の孫だとか、スサノヲの娘神であるスセリヒメと結婚したとかとされていますが、『出雲国風土記』には、そのようなことは一切書かれていません。スサノオはスサノオ、オオクニヌシはオオクニヌシとしてしか、書かれていません。

スサノオとオオクニヌシの関係はどのようなものだったのか、『出雲国風土記』を作るに当たってとても重要なことではないでしょうか。それが書かれていないのです。

そして、それに関係するスサノオとオオクニヌシとの出会いや、スサノオが「根の国」でオオクニヌシに与えた試練、「生く太刀・生く弓」を与えて、大きな宮殿を作って出雲の国主になれと言ったことなども書かれていないのです。なぜでしょうか。

そして、三番目に、出雲にとって最も重大な出来事であったはずの、「国譲り」に関しては、そのいきさつや、さまざまな出来事、「国譲り」に関して登場した神々のことなどは、『古事記・日本書記』には、こと細かく書かれていますが、『出雲国風土記』では、たった一行で、オオクニヌシが「私が造ってきた国は、皇孫に譲りましょう」と言ったとしか書かれていません。なぜでしょうか。

同じようなことは、登場する神々についても言えるのです。『古事記・日本書記』に出てくる、筑紫からの妻神の「タギリヒメ」・子神である「シタテルヒメ」・「タケミナカタ」・「コトシロヌシ」・「ヤカミヒメ」・出雲国造の祖とされる「アメノホヒ」などは、全く『出雲国風土記』には出てこないのです。なぜでしょうか。

こうしたことから、その「なぜでしょうか」について、いくつもの考えが学者の先生方たちから出されています。大まかにまとめると、次のような考え方です。

1. そもそも『古事記・日本書記』に書かれている「出雲神話」は、中央で創作されたもので、本来の出雲での出来事ではないからだ。

2. 『古事記・日本書記』に書かれていることは、確かに出雲で起こったことだが、その中の重要なことは『出雲国風土記』には書くなとの指示があったので、書きたくても書けなかった。

3. 『古事記・日本書記』に書かれていることは、出雲で語り継がれていた神話や伝承を、『古事記・日本書記』を作るにあたって、その都合のよいところを拾い上げ、そのうえで、誇張や創作を加えたからだ。そこで、『古事記・日本書紀』を読んでいた出雲国造は、遠慮してスサノヲの話(オロチ退治やオオクニヌシとの関係)や、国譲りの真相に関して書くことをやめた。

4. そうではなく、両方で話し合って、書き換えたりなどして、うまく組み合わせた。だから、成立まで20年もかかった。

・・・どう考えたらいいでしょうか。

コトシロヌシは、出雲では美保神社に主祭神として祭られていますが、アジスキタカヒコネなどと同じように、皇孫の守り神として大和の葛城に祀られているオオクニヌシの御子神です。コトシロヌシは、そこでは「下鴨神社=鴨都波神社(かもつわじんじゃ)」に主祭神として祭られています。

『記・紀』における「国譲り神話」では、コトシロヌシはタケミナカタと共に、オオクニヌシが国を譲るべきか否かを尋ねたとされる、オオクニヌシの子神として登場します。

コトシロヌシは、水鳥と遊び、魚釣りが好きな神だったとされています。国譲りの談判の際も、「美保ヶ崎」で釣りをしていたとあります。・・・『御大(みほ)の前(さき)で「鳥遊(とりのあそび)をし、魚取りて」いた』・・・とされているのです。

そして、『恐し(かしこし)。この国は、天つ神の御子に立奉らむ。』と譲るべきだと答えながらも、「天の逆手」という怨みを込めた拍手(かしわで)を打って、海中の青柴垣(あおふしがき)に消えたとされています。

次に、『そこでまた、建御雷神(タケミカヅチ)は大国主神(オオクニヌシ)に、「今お前の子である事代主神(コトシロヌシ)はこのように申した。他にまた意見をいうような子供はいるのか。」と問うた。それに、「まだ私の子、建御名方神(タケミナカタ)がいます。彼を置いてはいないでしょう。」と答えた。』という形で、タケミナカタが登場します。

そう言っている間に、建御名方神(タケミナカタ)は、千人の人の力で引こうとしても無理なほど大きな岩だとされている「千引(ちびき)の石(いわ)」を、「手先に指し挙げながらやって来た」とされています。

そして、『「誰だ、我が国に来て、こそこそとそのように物を言っているのは。だったら力競べをしよう。まず私が先にあなたの手を掴もう。」そしてその手を掴もうとすると、タケミカヅチは氷柱と化し、また剣の刃に化した。それを恐れて引き下がってしまっていた。そこでタケミナカタが逆に私の手を取ってくれと所望したのでその手を掴むと、若い葦を取るように掴み潰して投げ放ち、そしてタケミナカタは逃げ去った。

それを追って、信濃国の諏訪湖で追い付いて殺そうとした時、タケミナカタは、「恐れ多いことです。私を殺さないで下さい。もうこの地より他の所には行きません。また私の父の言葉に背きません。コトシロヌシの言葉にも背きません。この葦原中国は天つ神の御子の言葉通りに献上します。」と言った。』とされています。

そうしたことから、タケミナカタは、皇孫の守り神として大和の葛城に祀られていませんが、長野の諏訪大社に主祭神として祭られています。

さて、この神話は全く別の見方ができるのではないかということを空想してみましょう。

実は、『コトシロヌシは、出雲の海に関する呪術や信仰を支えていた神だったのではないでしょうか。次に、タケミナカタは、出雲の陸・大地に関する呪術や信仰を支えていた神だったのではないでしょうか。そして、オオクニヌシは、そうした現世とあの世との両方に関わる統合神だったのではないでしょうか。』という見方です。

まず、コトシロヌシは水鳥とたわむれたり、魚と話しができたといった形で「海」と関係していますが、海中・海底といえば地上を支配する者にとっても手の届かないところ、あるいは不思議な神秘の世界が広がるところなのです。現代でさえ海中や海底の神秘は解き明かされていないのです。

また、タケミナカタは大岩を指先で回しながら登場し、さらに諏訪という山深い場所に逃げています。タケミナカタが千引石を持ち上げながら登場したということは、まさしく出雲の磐座(いわくら)・大岩信仰を背負って登場したということではないでしょうか。また、山深い山林の地は、深い海底と同じく日常からはかけ離れた神秘の世界なのです。

そして、さらに共通点があるのです。コトシロヌシは自分から海中に没し、タケミナカタも自分から諏訪に逃走し、さらに「もうこの地より他の所には行きません」と言っていることです。タケミカヅチが、海中や山中に押し込めたのではないのです。自ら海中に隠れ、自ら山中に逃れているのです。何かしら大きな意味が含まれているように思えます。

多紀理比売(タギリヒメ)はオオクニヌシの妻神とされています。タギリヒメは、オオクニヌシとの間に、「阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)」と「下照比売(シタテルヒメ)」の兄妹をもうけたとされています。

タギリヒメは、アマテラスとスサノヲが「天の安河」で誓約(ウケイ)合戦をした際に、スサノヲの剣をアマテラスが三つに打ち折って生まれた女神です。妹神にタギツヒメとイツキシマヒメがいて、この三姉妹を宗像三女神と呼んでいます。

アジスキタカヒコネは、『荒ぶる神、雷神として出雲神話の主宰神であるスサノヲとも共通した神格』とされる一方で、『鋤を神格化した農耕神』とか、『鋤とは鉄製の農具であることから製鉄と関係する神』といった神格を持っています。出雲では『阿須伎(あずき)神社』に祭られ、奈良では『高鴨(たかかも)神社』に祭られています。

『古事記』においては、『アジスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。アジスキタカヒコネは穢(けがら)わしい死人と一緒にするなと怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。』という神話を残しています。

シタテルヒメは、安産の神・織物の神とされ、出雲の「乙見(おとみ)神社」、伯耆の「一の宮」である「倭文(しとり)神社」、奈良の「長柄(ながら)神社」などに祭られています。

『古事記』においては、高天原から遣わされて「8年たっても高天原に戻らなかった」という「アメノワカヒコ」と結婚したとされ、アメノワカヒコが亡くなった時、天上にも届くほど大きな声で泣いたとか、兄神のアジスキタカヒコネをたたえて詠んだ歌は、和歌の始まりだといわれています。

さて、ここからが空想です。
「8年たっても高天原に戻らなかった」という「アメノワカヒコ」は、オオクニヌシの娘神であるシタテルヒメと結婚し、出雲に留まって、高天原に反抗しようとしたとされています。シタテルヒメの兄神であるアジスキタカヒコネもアメノワカヒコととても仲良しになっていたとされています。しかし、アメノワカヒコの企ては、高天原の知る所となり、高天原からの「返し矢」によって亡くなってしまいます。

もし、オオクニヌシ(父神)とアジスキタカヒコネ(子神)とアメノワカヒコ(義理の子神)が、がっちりと手を組んで、高天原と対決したらどうなっていたことでしょう。

実は、このことは神代の神話として語られていますが、ある意味では神話ではなく、似たようなことが出雲と筑紫と大和との間にあった出来事ではないかとも読めるのです。

まず、オオクニヌシとタギリヒメとの神婚は、出雲と筑紫(宗像)との連携であり、その間にアジスキタカヒコネとシタテルヒメが生まれたことは、出雲と筑紫(宗像)との絆(きづな)がより強固なものとなったということではないでしょうか。

次に、シタテルヒメが国譲りの使者であるアメノワカヒコと結婚するには、父であるオオクニヌシの承諾が必要ですから、オオクニヌシは、アメノワカヒコが高天原(大和)を裏切るということで、結婚させたとも考えられます。

また、アジスキタカヒコネとアメノワカヒコが、とても仲が良く、二人が見間違えられるほど似ていたということは、アジスキタカヒコネもアメノワカヒコの企てを知っていたということではないでしょうか。

とすれば、出雲と筑紫(宗像)が手を結んで、大和に対抗しよう、あるいは対抗していたという時期が実際にあったのではないかと考えられるのです。『古事記』をつくるにあたって、こうした事実を隠すことが出来ないので、しかたなく神代の出来事として語ったのではないでしょうか。

出雲国造の祖となったアメノホヒは、アメノワカヒコの前に、国譲りの交渉に派遣されていますが、この神もオオクニヌシに心服し(媚びて)、3年経っても高天原に何の報告もしなかったとされています。出雲は、それほど魅力的な国だったからではないでしょうか。

オオクニヌシとお子神

大国主には、多くの妻神がいたとされています。しかし、その割にお子神は、あまり多くないのです。

正妻の須勢理比売(スセリヒメ)との間には、お子神はできませんでした。もし、出来ていたらスサノヲとオオクニヌシの血を引くお子神として、かなりの地位を占めたことでしょう。

一方、出雲以外の地域の比売神との間には、次のようなお子神が生まれたとされています。

1. 越の国の沼河比売(ヌナカワヒメ)との間には、「建御名方神(タケミナカタ)」が生まれています。
2. 九州の宗像の多紀理比売(タギリヒメ)との間には、「阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)」と「下照比売(シタテルヒメ)」の兄妹神が生まれています。
3. 因幡の八上比売(ヤカミヒメ)との間には、「木俣神(コノマタ)」が生まれています。
4. また、どこの地域の女神なのかよくわかりませんが、神屋楯比売(カムヤタテヒメ)との間に「事代主神(コトシロヌシ)」が生まれています。さらに、よくわからない女神との間に「加夜奈留美比売(カヤナルミ)」という女神が生まれたともされています。

これらのお子神は「加夜奈留美比売(カヤナルミ)」をのぞいて、それぞれ『出雲国風土記・古事記・日本書紀』に登場して、さまざまな物語として語られています。

そして、「建御名方神(タケミナカタ)」と「木俣神(コノマタ)」をのぞいて、大和葛城の高鴨神社(アジスキタカヒコネ)、長柄神社(シタテルヒメ)、下鴨神社(ヤエコトシロヌシ)、中鴨神社(カヤナルミヒメ)にそれぞれ祭られています。

これらのお子神が、大和の神社に祭られているのは、「国譲り」のあと、大国主が自分の和魂(にぎたま)を三輪山に置き、お子神たちを大和の守り神としたからだと、『出雲国造神賀詞』に書かれています。「建御名方神(タケミナカタ)」は国譲りに反対したから、「木俣神(コノマタ)」は正式な子神ではないとして除かれているのではないでしょうか。


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