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島根県埋蔵文化財調査センターの発表によると、出雲市中野町の中野清水遺跡で出土した弥生時代末期の土器片が、中国の史書「魏志倭人伝」に登場する九州北部の伊都国(いとこく)産(伊都国は弥生時代に現在の福岡県前原市付近で栄えた)であることが判明し、古代出雲と北部九州地域の古代の交流を裏付ける貴重な資料となる、とのことです。 |
古代出雲の豆知識
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皇極天皇の時代(642〜645)になって、冬至の月である旧暦11月中旬の卯の日を新嘗(にいなへ)祭と定め、太陽の復活を祈る祀りと、豊かな実りを感謝する祭が合体されました。また、毎年行なう祭を「新嘗祭」と呼び、新しい天皇が即位された際に行なう一代一回限りの大祭を「大嘗祭」(おおにへのまつり、だいじょうさい)として区別するようになりました。 |
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雲南市大東町の阿用、ここは『出雲国風土記』では、一つ目の鬼が村人を食べた時その村人が「アヨ、アヨ」といったので阿用という地名がついたと記載されているところです。 |
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平安時代のある時期まで、出雲の国造さんは、亡くなると「水葬」によって葬送されていたという伝えがあります。今の出雲大社の「松の参道」の近くまで「入海」が迫っていて、そこから、舟(?)の様なもので、海へと送り出されたそうです。 |
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『出雲国風土記』の阿用郷の条に次のような記載があります。阿用郷の地名起源です。 |



