軍師の独り言

すっかり日記になってしまいました(笑)

自己改革

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

本当の敵は自分

最近、「自分はこんなにがんばっているのに、評価が低い。」とか「自分はこんなたいへんなことをして

あげたのに、なぜ相手はこちらのお願いを思うように聞いてくれないのだ。」という話をよく耳にするよ

うになったので、この点について記事にしてみようと思う。

まあ、まず会社で自分が評価してもらえないことを不満に思うのはごくごく自然なことである。なぜな

ら、以前も書いたことがあるが「他人が評価するのと自分が評価するのとでは、自分の評価のほうが高い

に決まっているからである。」他人が60点つけるところを自分では大抵70点くらいだと思っている。

もちろん、評価そのものも評価する人間の主観が強く反映されることが多いから、当然評価される側との

認識の違いも出てしまうだろう。だから、他人の評価をどうこう言ったところで、そもそも公正な評価な

どこの世に存在するとは思えないのである。そのことを知っているなら、少しは冷静にもなるだろう。そ

のうえで、他人の評価がどうのこうのというより、自分の志を磨くことが大切である。

会社での評価が低いとすぐに会社を辞めたくなるのは、精神的にはまだ成熟していないと言わざるをえな

い。むしろ、自分の志はどこにあるのか?自分をどこまで高めることができるのか?を考えるべきであ

る。そして、その精進を重ねた結果は必ず自分に跳ね返ってくる。修行が十分ならば、もう会社の評価が

どうのこうのとは言わなくなるだろう。自分の能力に絶対の自信をもって自分が進むべき道を自然に悟る

はずである。

「会社での評価が低いとすぐに会社を辞めたくなるのは、精神的にはまだ成熟していないと言わざるをえ

ない。」ということは、もっと直接的に言えば、会社に所属している理由は会社で評価してもらいたいか

らか?ということになる。それなら、評価されないから辞めるというのはわかる。だが、会社に所属して

いる理由は、本当は自己実現のためではないだろうか?つまり、自分をその所属する会社を媒体として成

長していくということで、自分の存在を確認する作業なのだと思うのである。その会社で学ぶことがもう

なくなったから、次のステージに進みたいという頼もしい言葉を是非聞いてみたい。もちろん、こんな言

葉は自惚れている部分をたぶんに含んでいるが、それでも自己実現の枠の大きさをより大きくしたいとい

う意味でとらえるなら、否定すべきでもないと思えるからだ。

大切なことは、他人にどうしてほしいということが優先しているうちはダメだということだ。他人は関係

ない。自分がどうありたいのか?どうあるべきか?それがすべてだと思う。

そのうえで、なるべく信頼できる人々との交流を深め、信頼できない人々とは疎遠になるように、自然に

振舞えばよいのである。たとえ、どんなに敵が明確であっても、本当の敵は常に自分であることを忘れて

はならない。

ちなみに、この記事は特定の人物を意図していない一般論で書いていることを強調しておく。たぶん、誤

解しそうな人物が数人いるようなので・・・。

最近は簡単兵法ということで、兵法について書いているものの兵法の基礎編は、やはり「愛」がない。兵

法は生きるか死ぬかのぎりぎりのところで、沈着冷静にしかも臨機応変に考えることで最高の成果を得よ

うとするものであるから当然と言えば当然なのであるが、あまり、「愛のない話」が続くのもどうかと思

ったので、愛まではいかないが、「六然四耐」を紹介しよう。

「六然四耐」について、まずは六然から、

1.自分について何かにとらわれることがない。
2.人と接するときには常に好意をもって接する。
3.事が起こったときにはキビキビと行動する。
4.何もしないときには、水のように澄み切っている。
5.得意なときは、あっさりとしている。
6.失意のときは、ゆったりと落ち着いている。

続いて、四耐
1.冷やかなことに耐える
2.苦しいことに耐える
3.煩わしいことに耐える
4.閑(ひまなこと)に耐える
である。

ちなみにこの「六然四耐」は人生の処方箋とも言えるもので、これができればよい人生を送れる可能性が

高いとのことである。

ファン限定で記載した「十カ条」は、私なりにまとめてみたものであるので、よかったらそちらもみてほ

しい。あなたの人生に幸あらんことを!

鏡の理論

今回は、スタンダードではありますが、孫子の兵法書でいうところの「敵を知り、己を知れば百戦危うか

らず。」について書いてみようと思います。結構、有名ですし内容的にも「敵」というのを漠然と「相

手」と考えると応用範囲も広いものです。

問題なのは、敵を知ることよりも「己を知る」ことです。相手のことや他人については、長所、短所を的

確に把握できるのに、いざ自分のこととなるとなかなかそうはいきません。

本当は自分を知るよい方法としては、もっとも身近な他人に自分の欠点を10個言ってもらうことです。

ただ、自分の精神修養が十分でないと自分からお願いして欠点を言ってもらったのに、思わぬ指摘を受け

て、逆上してしまう人も少なくありません。ですから、方法自体を実際にやってみることはあまりお勧め

できません。

ただし、この点が十分に把握されていないと自分がうまくいくと思ったことがうまくいかなったときに

「なぜ?」という疑問が残ります。以外と「相手」については調べたり、情報が必要であることさえ認識

していれば、「相手」の評価は的確にできるので、結果が失敗するのは、自己評価が甘いことが圧倒的に

多いのです。

また、以前もブログの中で説明しているように、「偶然」と「必然」という意味では、今自分に起きてい

ることのほとんどは「偶然」ではなくて、「必然」です。うまくいっていても、うまくいっていなくて

も、ほとんどが自分で招いたことなのです。例えば、よく「環境が悪い。」、「周りが悪い。」というこ

とを聞きますが、それなら、環境や周りを自分の力で変えればよいのです。「自分の職場にはいい人がい

ない。」と思っている場合には、「自分がいい人でない」場合が多いのです。「周囲が冷たいー自分から

挨拶をしていないから」、「そんなことくらいでそこまで言わなくてもいいじゃないかー自分が普段から

相手に対して礼儀をはらっていないから」といった具合です。

そこで、自己改革として一つ提案です。「周囲との人間関係に苦しんでいる人は、周囲の反応が自分を映

す鏡だと思ってください。」(以後、鏡の理論と呼びます。)つまり、相手が挨拶してくれないとする

と、鏡なのですから、自分が挨拶していないからだと考えてください。相手が強い言い方を自分にしてく

るのは、自分ではそのつもりでなくても自分の言い方が普段強いからだと考えてください。

多少の個人差や個々のケースで違いますが、もし、鏡の理論に該当していない(自分に問題はなく、相手

にのみ問題がある)のなら、特定の1人、2人とうまくいかないとしても他の人たちは自分の味方をして

くれたり、他の人たちから「あの人は変わっているから、気にしないほうがいいよ。」って言ってもらえ

るはずです。つまり、問題のある人のほうが組織では孤立するはずなのです。

相手が孤立しているのなら、問題は相手にある可能性が高いのです。そういう場合はどんなに気になって

も放っておくことです。問題は相手にあるから、何とかして欲しいとかじゃなくて、組織の中で自然に淘

汰されていくのを待つのです。自分が手を下したり問題を指摘したりするのは自分がそれを解決しなけれ

ばならない役職(管理職)についてからです。もちろん、そのまま放置されてしまうこともありますが、

自分で解決しようとすると大変な労力が必要になりますので、要注意です。問題が相手にあることが明確

なら相手にしなくてもそれほど組織の中では問題にならないので、問題のある相手とはなるべく関わらな

いのが良策です。ただでさえ、自分的には人間関係がうまくいっていないと感じているのでしょうから、

波風を立てるのはよくありませんね。

以上をまとめると「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」というのは、「己を知る」のが難しいので、

「己を知る」ヒントとしての鏡の理論を知ったうえで、どう行動すべきかを考える。自分に問題があれば

直せばいいし、相手に問題がある場合にはなるべく放っておき、組織の中で淘汰されるのを待つのが良策

である。

とはいえ、自分に問題があっても直せないかもしれませんね。そういうときには「心がけること」です。

そうすれば、心がけていることだけでも周囲が理解すれば、よい方向に向かうはずです。よほどひどい問

題(自身の欠点)でなければ。

ちなみに鏡の理論というのは、書いてて思いつきで付けた名前ですので、一般的ではありません。

あしからず。

私の逃げた経験

私は幼少の頃病弱だったわりに学生時代には野球をやっていた。そういう人は世の中にたくさんいると思

うが、1ヶ月間だけの高校球児だった。練習が厳しかったこともあるがその厳しい練習に耐えるだけの精

神力がなかった。もっと楽だったら最後までやり遂げたのかというとそんなことはないと思う。結局、辞

めていただろうと思うのである。

だが、高校の野球部を辞めるときに私の人生を貫く教訓を得た。私にとっては、伊達政宗の「家臣の前で

は横にならない。」に匹敵するくらいの教訓となっている。それは野球部を退部するときに監督にその旨

を伝えたところ、監督から「今回はお前が決断したことだから、俺は何も言わない。しかし、辛いから苦

しいからといって逃げてばかりいたら、逃げ癖がついてどんなときでも逃げることしかできなくなるぞ。

だから、次に何かを始めたら何があっても途中で投げ出すな!いいな!」と言われて退部した。私は何人

も退部しているから「ああそうか。」くらいの反応しかないと思っていたので、心に響いた。以来、私は

この言葉が頭から離れないし、この言葉を人生の教訓としてきた。

この後、私は物事を途中で投げることをしていない。途中で投げるくらいなら、それまでの倍の時間をか

けてもやり遂げようとする。それでもダメならそこで寝泊りする。それでもダメならそこで死ぬ。真剣に

こう考えてやってきた。だが現実はそう簡単に死なせてはくれない。もちろん万策尽きる前に死ぬという

決断をするのならともかく「人間死ぬ気になれば何でもできる。」ってことで何とかなってしまうもので

ある。

さて、「この後、私は物事を途中で投げることをしていない。」といっても、過去に今いる会社を辞めよ

うとしたことはあった。恩人ともいえる上司に「時期尚早」と言われ、断念したことがある。だが、この

ときに自分で辞める決断をしたときも「自分は逃げていないのか?」ということを自分に問い続けた。し

かも基準は簡単である。辞める前と辞めた後でどちらが自分にとって辛いと今の自分が思っているか、で

ある。次の職場が決まっていないというのは、明らかに現状から逃げたいのである。なぜなら、次が決ま

っていないのなら辞めた後の比較の対象がないのだから、今が嫌なだけであることは明白である。これで

は辞めてはいけないことになる。

あくまで自分がステップアップするためにより辛く厳しい環境に身をおくことが明らかな場合にのみ、転

職を許すというのが私の流儀になる。当時の野球部の監督は、二十代の若者だったと思うが、よくぞ私に

人生の教訓を与えてくれたものである。感謝の気持ちは20年以上経った今も私は持ち続けている。

「中庸」について

今回は「中庸」という言葉について、話してみようと思う。私はこういったことを専門的に勉強したこと

はなく、独学で本を読んだりして学んでいるので時として意味が本来とは違うかもしれない。しかし、私

がその言葉を題材に伝えようとしていることは私の過去の実体験によるものであることが多いので、人生

においては大いに役立つはずである。

さて、「中庸」という言葉だが、要するに「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということである。物事は多

すぎても少なすぎてもいけない。ちょうどよいのがよいという意味である。自己改革をしたい人は是非こ

の言葉をよく味わってほしい。

おそらく、「多すぎても少なすぎてもいけない。ちょうどよいのがよい。」というと、テストの点数に例

えると多すぎるのが80点から100点で、少なすぎるのが0点から20点

で、ちょうどよいのが40点から60点くらいかと思われてしまう。これでも間違いではないのだろう

が、いろいろな視点があってその視点ごとに内容が違ってくるものと思われる。

すなわち、本来的には「ちょうどよいのは100点で、少なすぎるのが99点以下、多すぎるのも結果的

に点数にすると99点以下になるのだろう。多すぎるのに99点以下になるのが、まさに「過ぎたるは及

ばざるがごとし」である。ただ多すぎるといっても何が多すぎるのかがよくわからないので、ここでは勉

強時間と考えればよいであろう。」という説明になると思う。しかし、これは純粋に学問を理解すること

をテーマにして考えるとそうであるが、処世術がテーマだと話が変わってくる。

処世術がテーマだと「ちょうどいいのは平均点くらいであり、それを越えていれば多すぎる。特に100

点は多すぎる。また、0点も少なすぎる、」のである。つまり、100点をとれば目立ってしまう。いく

ら勉強ができるからと周りが一目置いたところで人間の妬みは恐ろしい。そういう感情のターゲットにな

りやすいのだから、100点なんて取るもんじゃない。また、0点も目立ってしまう。しかも100点の

ときは妬みだったが、今度は純粋にバカにされる。特に人間は自分より劣るものを攻撃しやすい傾向があ

るから、いじめに合う確率はかなり高いのである。

この2点だけをクリアするなら、点数が公表されない試験でのみいい点をとればいいということになる

が、世の中はそんなに簡単じゃないし、0点をとったからと言って必ずいじめられるわけでもない。どん

なときでも、状況分析の正確性が要求されるのであり、状況分析の結果によって、自分がテストで何点を

とるべきかを決める必要がある。

もちろん、現実の学校においてそんなことを考えてテストを受けている生徒はほとんどいないと思うが、

状況によっては、そんなことを考えなければならない状況もありうると思われる。

また、このようなことはテストについてばかりではなく、実生活のありとあらゆるところに適用可能であ

る。「出る杭は打たれる。」し、「弱いものはいじめられる。」というのは、社会の掟のようなものであ

るから、常に対策は必要である。中庸な生き方はまさにその対策になるのだと言える。

今回は「中庸」という言葉の本来の深みが出ない説明でたいへん申し訳ない。ただ、少なくとも何事も

「過ぎたるは及ばざるがごとし」であることを心に刻んで欲しい。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
shi*eh*ru01
shi*eh*ru01
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事