幸太の資料&ノート

幸太のコラムlivedoor の資料編です

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大田黒元雄は嫌悪をあらわにしている。
1916年12月3日の、久野久子《恢復祝賀音楽会》

雑誌『音楽と文学』で当日の記録として書いているが、そうした感想記事をまとめ、1920(大正9)年2月に『第二音楽日記抄』と題して出版している。

以下は1916(大正5)年12月3日の全文である。


會は全くの滿員だつた。そして非常な拍手と數多の花輪や花籠を演奏者は受けた。けれど、此の演奏会は實際のところ、今年中での最も徒(いたず)らに雜然とした不愉快なものだつた。

第一にそれは非藝術的な集まりだつた。亂暴な冩眞師の燃したマグネシウムの煙に満ちた場内でブラームスのラプソディーを聴くのはどう考へても不愉快だ。

それから當日第二洋琴を演奏する筈に成つて居たショルツ氏が、判然としない理由のもとに出演しなかったのは猶不愉快だつた。

會の當事者が單に「都合が悪くで出演ができない」といふ簡単な説明だけしか與へなかつたのは明らかに聴衆に對する誠意を缺いて居たと云つていゝ。

大切な樂器の調子が狂つて居るのも不愉快だつた。そして此れは演奏者に氣の毒だつた。

久野氏の演奏はショルツ氏の出ない事などから心の平静を缺いて居たものと見えて、すべて安定を缺いて来た(ママ)。そしてそれは情熱的といふよりもヒステリックだつた。

久野氏の演奏は其のタッチに於て研究が足りない。それは音に對する感性の鈍い人の演奏だ。だからそこには少しも霑(うるおい)がない
。匂ひがない。

物のわからない好樂家ぐらゐ始末にいけないものはない。かういふ人達は久野氏の今日の亂暴な演奏をきつと「情熱に燃えて居る」とでも形容するに相違ない。

然し、まあそんな人はどうにも仕方ないとして、一番困るのは、久野氏自身が、さういふ風に自分の演奏を考へて居さうな事だ。

(大田黒元雄『第二音楽日記抄』 音楽と文学社 1920年 38-39頁)

12月3日記録の全文である。
インターネット用に改行して見やすくし、また漢字に読み仮名も付しているが、文章そのものは変更していない。






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