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3月。桜はまだですが、花粉が飛び始めてます。一雨ごとに暖かくなってきました。今年もノンビリボチボチ頑張ります。

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来年度から

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いよいよ2018年度から小学校で「教科としての“道徳”」が始まる。
今までは教科ではなかった。
でも、週1に近い状態で授業はあった。
教科外教科といわれていたが、いい面もあった。
それは、学校教育全体の中で学習できるという点だ。
 「すべての学習の土台となるもの。目標である人格形 
 成の基礎となるもの。」
と、僕は教師時代考えてた。

もちろんそのことは教科になっても変わらないと思う。が、教科になることで、その根本が揺らぐ可能性が見えることを危惧する。
それは、教科となることによって発生する「評価」があると言うこと。
点数でははかれないから記述式になるらしいが、評価することに意義があるのだろうか?

「評価する側」「評価される側」どちらにも危うい点が潜んでいる。

先日、人権擁護委員としてA小学校の1年生の授業参観に行ってきた。
1年生なのでかわいらしい意見が多かった。
でも、ちょうどその日は保護者参観日。
やっぱり保護者が見てると、子供は張り切って発表する。
親に良く思われたいし、帰って褒めてもらいたかったのだろう。
模範解答ばかり。
教師の質問(発問?)に対して、「こう言えばいい答えになる」という発表ばかり。

きっと評価をするとなると、授業も本音や生の経験に基づく声が出にくくなるだろう。
評価される側の自己防衛に対して、評価する側は普段と学習中との違いをどう見抜くかが問われる。

また教科となれば、教科書が存在する。
しかも検定教科書。
そうなると、政治(政府)の姿勢が見えない意図として検定に反映される。
戦前の修身を思わせる。
そこまで過激にはならないと思うけれど、サブミナル効果を狙ったような教材も登場するかもしれない。

現に、安部さんはそのようなことを言っているし、そのような姿勢だ。
文科省検定委員が、「忖度」をしないとも限らない。

教育は公平中立とは言いながら、その尺度は不確かなもの。
ただ世間一般の常識の範囲内ならばよしとするのが普通。
でも、「世間一般の常識の範囲内」ほどあやしいものはない。
だから、問題になった森友学園の教育方針も中立の域らしい。
そんな不確かな価値観尺度のものを教科にするなんて僕的には信じられない。

今の現場の教師も戸惑ってるだろう。
そんな記事を新聞で見つけたので紹介します。

皆さんは、「道徳の教科化」をどう思いますか?

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