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初めて見たバビグリン
二日目(8月4日)、朝はぐっすり。
目覚めは爽快。 妻と二人で、ホテル内を散策。 涼しくて、空気が美味しい。 それから朝食。 僕はアメリカンブレックファースト、妻はヘルシーブレックファースト。 朝は、ご飯がいいな。 明日が和食にしてみよう。(なんと和食があるのです) その後一息ついて、シャトルバスでウブドの町へ。 いつもは王宮前まで送ってくれるのだが、今回は途中で止まってしまった。 何故王宮前まで行かないのか聞いてみると、祭りの準備があるからって返事。 仕方ないので、そこから歩いて町へ。 4・5年前に比べて、車が多い、バイクも多い。人も多い。 なんとバイクの数は人口より多いらしい。 以前とは違う。 静かな町がやけにうるさい。 王宮前では、祭りの飾り物の準備。(聞いてみると、お葬式の準備らしい) 予想していたより、大きい。
これじゃ、車止められないの納得。 少し町をぶらぶらして、黒檀のガネーシャ像を買った。 ちょっと値切ったら、2割強まけてくれた。 お金が心許なくなったので、両替。 1万円で、100万ルピア少し。 以前は100万切ってたのに・・・・・・・。 円高の恩恵かな? それにしても、静かだったウブドの町が・・・・・・・・・。 ちょっと幻滅です。 これなら、2年前のサヌールの方が静かでいいな。 次回からは、サヌールだなと思った。 妻も同感だった。 スターバックスでお茶しながら、町行く人を見ながら、そんなこと話した。 2時間ほどで、ホテルに戻ってきた。
ホテルで、ランチして、後は部屋でゆっくり。 ベランダで昼寝。 ホントのんびりしてる。 空を眺める余裕もある。 日々の喧噪から離れて、ホントリフレッシュだ。 夕方になると、ベランダから見えるリバーサイドカフェ(プール併設)の前で、“バビグリン”の調理が始まった。 “バビグリン”とは、豚の丸焼きのこと。
串刺しの子豚を丸焼きしてた。 それを見ながら、ゆっくり休憩。 妻と、今夜食べようかなどと話してた。 ホテルの案内では、バリ料理ブッフェディナーのメインディッシュらしい。 いい匂いだけど、調理の最中を見ちゃうと、食欲がわいてこない。
で、今日もメインダイニング“アユンテラス”でディナー。 今日は、“牛肉とエビの炭火焼き”と“ミーゴレン(インドネシア風焼きそば)”、“野菜入りチャーハン”を頼んだ。 どれも美味しかったので、今日は完食。 美味しかった。 |
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2011年08月10日
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喜び
お盆が近づいて、孫たちが帰ってくる。
まずは、今日東京の息子夫婦が京音ちゃんを連れて帰ってくる。
午後、新神戸駅までお迎え。
楽しみです。
大きくなっていることでしょう。
京音ちゃんが帰ると、今度は長女夫婦が寛人君を連れて帰ってくる。
またまた楽しみです。
こちらも大きくなっていることでしょう。
昨夜の夕食時に、次女から電話。
「今年は仕事が忙しくて帰れないかも」といっていたので、そのことかなと思っていたら違ってた。
どうも妊娠したらしい。
というよりもう妊娠してて、3ヶ月目に入るらしい。
「やったー」です。
ただ、仕事頑張り過ぎて、危機一髪らしきこともあったみたい。
それで、「仕事辞めるかも」といって電話してきた。
僕としては、やめて家に帰ってきて子どものことだけ考えてほしいけど、伸一君のこともあるしそうもいかないような・・・・・・・・・。
安定するまでは、しばらく今の状態でゆっくりすることに決めてるみたい。
元気で生まれてきてほしいので、安定期までの間しばらくは今の状態で安静にすることで、妻も納得です。
おいおい、妊娠が近づく前にこちらに帰ってくるように説得するつもりです。
順調にいけば、来年3月半ばかな?
早速、安産のお守りやお参りのこと調べなくては・・・・・・。
ちょっと気が早いかな?
でも、電話を聞いて、疲れも吹っ飛びました。
嬉しすぎて、なかなか寝付けなくて、今こうしてUpしてます。
どうも今夜は、嬉しすぎて眠れそうにありません。
無事にお腹の子が育ちますように・・・・・・・・・・・・・。
皆さん祈って下さいね。
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今日は、3次予選前のテストマッチ。
しかし、相手は韓国。
八百長問題で揺れる韓国サッカー界だけど、日韓戦は別物。
暗い韓国サッカー界を明るくするためにも勝ちにこだわってくるだろうな。
そんな韓国相手に、スカッと勝ちたいですね。
急逝した松田選手に安心してもらうためにもね。
楽しみですね。
ザック体制で早くも3回目の日韓戦、
システムは4-2-3-1でスタートか?
日本代表は10日、キリンチャレンジカップ2011で韓国代表と北海道・札幌ドームで対戦する。
韓国との対決はザッケローニ監督の11カ月の就任期間で早くも3回目となる。ともにアジアのトップを走るチーム同士であり、過去の様々な因縁、ライバル関係が続いている経緯については指揮官も、「2カ国は地理的にも近く、アジアでトップを走り、サッカー的にも進化している国だと思っているので、その流れは当たり前だと思っている。」と捉えている。 だが、今回の一戦は両国の雌雄を決する機会ではない。 「W杯3次予選前の最後の試合になるし、その予選を突破することが目標な ので、本番の北朝鮮戦、ウズベキスタン戦の前の重要な試合になる。」
大事なW杯予選に挑んでいくための最終調整の場。ザック体制になってからの過去2戦、いずれも流れのなかでは互角の結果に終わった強敵相手に、何が通用して何が通用しなかったのか、日本代表の現在地を確認したい。
ザッケローニ監督は6月のペルー戦から3−4−3のシステムを本格的に使用し始めたが、最後のテストの場となる今回は4−2−3−1でスタートすることが決定的。 「明日はこれまでやって慣れてきたシステムが頭にある。現在の代表チーム には基本になるシステムが一つあり、追加して二つのオプションがあるが、明 日は試合のなかでオプションを使う流れになるか確認したい。」
と、アジアカップを制したメインのシステムで戦いつつ、状況に応じて変えていく考えを指揮官は明かした。
監督の要求は強化を進めていくなかで徐々に細かく、難易度の高いものになってきているが、選手たちに不安はない。吉田麻也は「基礎はしっかりやっているので、これからは基礎を確認しながら成熟させていくことになる。」とこれまで積み上げてきたものに自信を覗かせる。 ディフェンスリーダーの役目を担っている今野泰幸も深化と応用の段階に来ていると捉えている。 「監督が細かく言っていて、守備のポジショニングだったり、攻撃のバリエーシ ョンだったりをプレーを止めながら確認しているので、監督の意図をしっかり 出したい。でも試合になれば色々な場面が出てくるので柔軟に対応して、一人 ひとりが個性を出せるようにしたい。」と。
2001年から03年まで札幌に所属していた今野にとって、札幌ドームでの一戦は凱旋試合になることもあり、「今でも応援してくれる人がたくさんいるから、恩返しというわけではないけど、いいところを見せたい。代表選手である以上、日本中に『いいプレーをしている』と思ってもらえるようなプレーをしたいと思っている。」と士気も人一倍高い。 この日韓戦は結果が問われる試合ではないが、勝つに越したことはない。 「W杯は予選は負けられない戦いになるので、その前に勝ち癖をつけられた らいい。」と栗原勇蔵。アジア最強クラスのライバルを倒し、これから長く続く厳しい戦いに向けて弾みをつけたい。
求められる「ゴール」と「底上げ」
ボール回しの練習でカットされそうになり絶叫する本田圭佑(右)。左は内田篤人。
就任から丸1年にも満たない間に、早くも3度目の韓国戦がめぐってきた。
「韓国のことはリスペクトしているし、日本とともに世界的に見てもサッカーが進化している国。」とザッケローニ監督。そんな難敵相手にまず求められるのが、ゴールを奪取することだ。
6月のキリン杯ではペルーとチェコを相手に2試合とも無得点で終わった。指揮官の代名詞ともいえる新システム「3−4−3」の習熟を最優先させたためだが、選手にも少なからずストレスを与える結果だったようだ。 岡崎(シュツットガルト)はいう。
「みんなで勝つ気持ちを表さないと勢いにのまれる。圧倒できる試合をし、自 信を持って3次予選に行きたい。」
慣れ親しんだ4−5−1に戻しての戦いが有力な一戦で、持ち味の連動性を取り戻しておく必要がある。
W杯予選への課題はそれだけではない。長丁場を戦い抜く上で不可欠な選手層の底上げも大きなテーマ。長友(インテル・ミラノ)と前田(磐田)を故障で欠く韓国戦は絶好のシミュレーションの場でもある。長友の代役候補の駒野(磐田)は「ジュビロでいいプレーをしていれば声がかかると思っていた。」と復権へ意欲十分。23人それぞれが強い気持ちを抱き、互いの意地とプライドを懸けた真夏の大一番へなだれ込む。 |
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昨日は、先日急逝した松田直樹選手の告別式でした。
ホントにサヨナラです。
天国で、ボール蹴って下さいね。
松田さん告別式
中田英寿氏やトルシエ元監督らが参列
ファンやサポーター、関係者ら約1700人が参列した。中央は母正恵さん。
4日に心筋梗塞(こうそく)のため死去したサッカーの元日本代表で日本フットボールリーグ(JFL)松本山雅のDF松田直樹さん(享年34歳)の告別式が9日、松田さんの出身地である群馬県桐生市内の斎場でしめやかに営まれた。
告別式には松田さんがプレーした2002年のワールドカップ(W杯)日韓大会でチームメートだった中田英寿氏や監督として率いたフィリップ・トルシエ氏らが参列。サポーターのために設けられた焼香台に並ぶ列も告別式が終わるまで途切れることはなかった。 トルシエ氏は「W杯で私のチームのキーマンだった。私たちや松田さんの子供たちが、松田さんみたいに頑張れるよう見守ってください。」と語りかけ、中田氏は報道陣の呼びかけには答えられず、沈痛な面持ちのまま斎場を後にした。 喪主を務めた母、正恵さんは「熱狂的なサポーターに応援して頂けるのが私には不思議でしたが、みなさまに愛されていたことに気が付きました。ありがとうございました。」と気丈に感謝の言葉を述べていた。 さらばサッカーバカ一代。
急逝した元日本代表DF・松田直樹選手の愛すべき素顔
在りし日の松田選手
「彼が高校生の頃から知っていますが、昔から打算がなく、自分の感情に正 直な選手でしたね。それを生意気ととられたり、瞬間湯沸かし器的にキレたり して問題児扱いされてしまうこともありましたが、サッカーに対してはとにかくま じめで熱い。チームメイトはもちろん、報道陣にも本当に愛されていた。大き な壁にぶつかったり、失敗したりするたびに『もう俺、大人になったから』と気 持ちを奮い立たせていた姿が印象的です。周囲には『おまえは何回大人にな ってるんだよ』とツッコまれていましたけどね。」
(サッカーライターの寺野典子氏)
受け入れ難い現実に誰もが言葉を失った。元サッカー日本代表でJFL(日本フットボールリーグ)の松本山雅(やまが)FCに所属する松田直樹選手が8月4日午後、長野県松本市内の病院で亡くなった。34歳だった。松田選手はその前々日の2日午前、同市内で練習中に倒れ、病院に救急搬送。急性心筋梗塞と診断され、意識不明のまま人工心肺による治療を受けていた。 松田選手は前橋育英高校(群馬)から1995年に横浜Fマリノスに入団。U−23(23歳以下)日本代表としてアトランタ、シドニーと五輪に2度出場し、2000年にはA代表にデビュー。02年日韓W杯では「フラット3」の一角として全4試合にフル出場。183cmの長身と抜群の身体能力を活かした守備で決勝トーナメント進出に貢献した。 「彼がJリーグデビューした当時は今のように海外挑戦が一般的ではありませ んでしたが、ひょっとして日本人でも欧州でセンターバックとして通用するかも しれないと思わせるスケールの大きさがあった。生まれるのがもう5年遅けれ ば、確実に欧州でプレーできた」(サッカージャーナリストの渡辺達也氏) 松田選手のもうひとつの特徴が、冒頭でも紹介したような、思ったことを口や態度に出さずにはいられないキャラクターだ。 「マリノス入団時には『(先輩で日本代表の)井原(正巳)さんのポジションを獲 る』『20歳でA代表』と宣言していましたね。普通、高卒のルーキーがそんなこ と言えないですよね。でも、実際に1年目から開幕スタメンで、チームの優勝 に貢献していましたから」(前出・寺野氏) そのストレートな性格が原因で数多くの警告(イエローカード)をもらったり、ジーコ監督時代には日本代表から干されたりもした。だが、常に闘志むき出しのプレースタイルはサポーターから圧倒的な支持を受けた。 また2002年の日韓W杯時には、当時すでに代表チーム内でも孤高の存在となっていた同学年の中田英寿を宿舎内のプールに突き落とすなどしてイジり、ムードメーカー的な役割も果たした。日本が惨敗した06年ドイツW杯後、「マツがいれば、あそこまでチームはバラバラにならなかった。」と語る関係者も多かった。 長年所属したマリノスでは、井原ら偉大な先輩の壁を乗り越えてきたという自負があるからこそ、後輩に厳しかった。 「以前、マリノスの若手について『貪欲さがない。試合に出てないヤツ、プロA 契約(年俸上限なし。原則1チーム25人)でもないヤツには、自分で練習着を 洗濯させないとダメ』と話していました。」(前出・渡辺氏) 練習や試合で若手が気の抜けたプレーをすれば鬼の形相で叱る。能力を認める選手ほど厳しく叱る。そして、叱った後には食事に連れていく。だから、兄貴分として慕われた。今回入院した病院にも多くの後輩が駆けつけた。 「08年に乾貴士(ボーフム)が出場機会を求めてマリノスからC大阪に移籍し た後、松田に話を聞く機会があって、『ここでレギュラー獲れなきゃ、日本代表 なんかムリ。俺は認めない』と怒っていたのが印象的です。それだけ乾の素 質を高く買っていて、普段から目をかけていただけに、移籍を残念がってい た。」(渡辺氏) 昨年11月には16年所属したマリノスからまさかの戦力外通告。一時は引退も考えたというが、最終節、別れを惜しむサポーターたちの前で、 「俺、マジ、サッカー好きなんすよ。マジでもっとサッカーやりたいです。」
と号泣しながら現役続行を宣言。
そして、Jリーグ、カタールなど国内外から複数のオファーが届くなか、「お金や環境より、やりがい」と選んだ新天地が、実質3部リーグで、選手が自分で練習着を洗う松本山雅だった。 「必ずJ2に行く」と経験不足の若いチームをプレー面でも精神面でも引っ張っていた矢先の悲劇。その熱いサッカー人生はあまりにも早く幕を閉じた。合掌。
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