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7月12日、今日も朝からよすぎるくらいのいい天気。
今日も猛暑みたい。 今日は週末金曜日。 朝5時前に起床。 すぐ昨日の続き。 新生姜の佃煮作り 1時間ほど煮たら煮汁がなくなってきたので終了。 夕方燃やす予定で、7時過ぎから草刈りした畦の草集め作業。 8時ぐらいまでは、曇ってた。 徐々に暑くなりだしたので、9時前に作業終了。 それから、買い物と友達の家へ“新生姜の佃煮”を届けに行って少ししゃべって帰ってきた。(その友達が昼に早速“美味しい”って電話してきた。) 帰ったら11時頃だった。 それからは夕方までゆっくり。 夕方からは、朝集めた草を燃やしました。 火をつけると汗がぼとぼと。 ホント暑かったです。 明日と明後日は夏祭りです。 今年は宮当番のため、明日は幟立てです。 頑張ります。 7月13日は「オカルト記念日」 1974(昭和49)年のこの日、オカルトブームの火付け役となったアメリカ映画「エクソシスト」が日本で初公開されたことから、オカルト記念日といわれています。ちなみに、エクソシストとは、「悪魔払い師」のことです。この映画では、少女の首が回転するシーンが特に話題になりました。
また、「エクソシスト」とならんで有名なホラー映画に「13日の金曜日」があります。映画の題名にもなった13日の金曜日は、一般的に不吉な日とされています。 その理由として有名なのが、 「イエス・キリストが処刑されたのが13日の金曜日で、その日はキリスト教徒 にとって忌(い)む日である。」 と、いうものですが、キリスト教ではその日を金曜日とだけつたえており、その日付は定まっていません。 ではなぜ、13日の金曜日が不吉な日とされているかというと、それには次のような説があります。 ・13と言う数字は、キリストの最後の晩餐(ばんさん)に13人の人がいたことか ら、不吉な数字とされており、その13とキリストが処刑された金曜日を組み合 わせて、より不吉な日とした。 ・北欧神話で12人の神が祝宴をしていたとき、招かれざる13人目の客のロキ (Loki)が乱入してきて、人気者のバルドルを殺してしまったので、13は不吉な 数字であり、さらに魔女が毎週金曜日に悪事をたくらんでいたことから、その 両方を組み合わせて、より不吉な日とした。 ・イヴによるアダムの誘惑が、13日の金曜日。 ・大洪水からノアが脱出した日が、13日の金曜日。 ・バベルの塔が壊されたのが、13日の金曜日。 ・フィリップ4世がフランス全土において、キリストの騎士とよばれるテンプル騎 士団のメンバーたちを一斉に逮捕したのが、1307年10月13日の金曜日。 優生保護法の日
1948(昭和23)年、「優生保護法」(現在の「母体保護法」)が公布されました。戦前にナチスの「断種法」を元にして制定された「国民優生法」が、戦後の日本の状況にあわせて1948(昭和23)年7月13日に「優生保護法」に改正されました。この法律により経済的な理由を含めた母性保護のための人工妊娠中絶等が可能となりました。 生命尊重の日 医師・法律家・教育者・主婦等で構成される実行委員会が1984(昭和59)年から実施。1948(昭和23)年、「優生保護法」(現在の「母体保護法」)が公布されました。「お腹の中から生命が尊重されること」を願って、講演等のイベントが行われます。 日本標準時刻記念日 1886(明治19)年、勅令第51号(本初子午線経度計算方及標準時ノ件)が公布され、1889(明治21)年1月1日から東経135度の時刻を日本の標準時とすることが定められました。 ナイスの日 「ナ(7)イ(1)ス(3)」の語呂合せ。ナイスなこと、素敵なことを見附ける日。 盆迎え火 盆の初日。夕方に祖先の精霊を迎える為に、芋殻、麻幹などをを門口で燃やして、煙を焚きます。 7月13日の誕生花は“ヒルガオ” 淡紅色の花が咲く“ヒルガオ” 花言葉は“情愛” 今日の一枚:冷凍マンモス、世界初公開 シベリアの永久凍土から全身がほぼ完全な状態で発掘された少女マンモス「ユカ」。明日13日から9月16日まで冷凍保存されたまま横浜で公開される。 今日は一般公開を前に報道陣に公開された。 ※ 凄いですね。
見てみたいな。
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2013年07月12日
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沖縄から平和の発信ですね。
貞子の折り鶴、沖縄へ
9月7日「市民平和の日」に寄贈
志賀賢治・原爆資料館長(右)から返却を受けた折り鶴を
手にする佐々木雅弘さん(左)
広島原爆で被爆し、12歳の時に白血病で亡くなった佐々木禎子さんが作った折り鶴のうち、1羽が沖縄市に寄贈されることになり、禎子さんの兄雅弘さん(71)が12日、約140羽の折り鶴を保管・展示している広島市の原爆資料館から返却を受けた。9月7日の「沖縄市民平和の日」に合わせたもので、沖縄市役所に常設展示される。 禎子さんは2歳で被爆し、小学生の時に白血病を発症。回復を信じて千羽鶴を折り続けたが、亡くなった。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになっている。 沖縄市民平和の日は、旧日本軍が米軍との間で降伏文書に調印したことにより沖縄戦の戦闘が終結した日を記念し、1993年に同市が定めた。昨年、同市の平和大使として広島を訪れた中学生が雅弘さんの朗読劇に出合ったのがきっかけで、折り鶴の寄贈が決まった。 雅弘さんは「戦争の悲惨さや禎子の思いやりの心を沖縄から世界に発信するきっかけになれば。折り鶴とともに永久に伝えてほしい。」と話している。 |
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もう20年ですか。
この奥尻島の教訓を東日本大震災でも生かしてほしいですね。
描けなかった“島の姿”
「義援金、基金で残せば…」
奥尻島では、マスコットキャラクター「うにまる」(右)を登場させるなど観光振興に躍起だが、島を訪れる観光客は年々減少している
「当初は本当に奥尻を再生できるのか不安だった。」
昭和30年に完成後、一度も建て替えていない奥尻町役場。年季の入った庁舎内で、新村卓実(しんむら・たかみ)町長(60)は、「ここまで歩んできたのはたくさんのご支援のおかげ。」と感謝しつつ、こんな思いも口にした。 「もっと違うやり方があったのでは、という気持ちもある。」
北海道南西沖地震で甚大な被害を受けた奥尻町は、復興基本計画を策定するにあたり3本の柱を打ち立てた。 (1)生活再建
(2)防災まちづくり
(3)地域復興
−だ。
当時島で最も懸念されていたのは「島民の島外離脱」。それゆえ、力点は家や家財を失った島民に手厚い支援をすることで生活再建を促し、島に残ってもらうことにあったという。 土地を準備し、自宅を再建した場合は最大で約1400万円助成、商工業者にも約4500万円を上限に助成した。漁業者には漁船を用意し漁再開を助けた。 その結果、地震を理由に島外へ離れた住民はわずか3世帯。地震から5年を前にした平成10年3月、当時の町長は定例議会で「完全復興」を宣言した。 12日で地震から20年を迎える島は今、衰えを隠せない。 約4700人いた島民は高齢化が進み、現在3千人弱。当初の復興景気は徐々にしぼみ、復興事業にともなう多額の借入金返済が町財政を圧迫。観光客数は15年度の約5万8千人をピークに右肩下がりを続け、昨年度は約3万2千人まで減少した。 「過疎や高齢化は地震に関係なく、日本各地で同じ問題を抱えている。」 新村町長はこう弁明しつつ、「復興を考えていた当時、島では、将来の島の姿を考えることができていなかった。」と反省を口にする。
例えば被災者支援。原資は全国から集まった約190億円の義援金だった。 「島民のさまざまな要望を受け入れた結果、義援金を全て配りきった。後の産 業振興や住民サービスなどに充てるため、20億〜30億円を基金として残し ておけなかったことが悔やまれる。」 問題は次から次へと噴出してくる。島内42カ所に張り巡らせた緊急避難路は「5分以内の避難」を重視し、傾斜を急にした結果、高齢化が進んだ住民からは「これでは上りにくい」という声が上がる。 充実した復興支援が、結果的に今の生活を苦しめているとの声もある。ある町関係者はこぼした。 「土地や住宅の購入資金の援助を受け、分不相応な大きな家を建ててしまっ た結果、固定資産税や住宅ローンに苦しんでいる家庭もある。」
観光も同様だ。「震災当初は震災復興の作業員や奥尻を元気づけようという観光客も多数訪れた」と、島観光協会の佐野由裕(よしひろ)主任(31)。 「しかし、復興が進むとともに作業員は減り、応援してくれる観光客も去った。 そこまでに観光地として、島に人を呼べるものを打ち出せなかった。」
東日本大震災の被災地が得られる教訓は何か。 「未来を見据えた復興が必要なことは、みな頭ではわかっている。だが、被災 者の側に立てば立つほど半年先の復旧に取り組まざるを得なくなる。」 そう分析するのは災害復興に詳しい明治大学危機管理研究センターの中林一樹(いつき)特任教授(65)だ。 「奥尻では住民の離島を防いだことに行政が満足し、住民らと子供や孫にど んな島を残すか議論しなかった。」 190億円の義援金や764億円に及ぶ復興資金を奥尻に一極集中できた北海道南西沖地震とは違い、被害が広範囲な分、使える予算が限られる東日本大震災の被災地。すでに人口流出も始まっており、状況は奥尻よりも厳しい。
中林特任教授は言う。 「行政が苦手とする、地域の担い手や新たな地場産業の育成を、民間と連携 しながら進めて“被災地の未来”を描く作業を急ぐべきだ。奥尻から得るべき ヒントを防潮堤整備に求めるなら、過ちは繰り返される。」 11日で東日本大震災から2年4カ月。奥尻の20年は、被災地で流れる時間の速さも如実に伝えている。 津波から完全復興 今過疎の波津波からの避難施設「望海橋」の下で作業する漁師たち
死者・行方不明者230人が出た北海道南西沖地震から、12日で20年を迎える。津波に襲われ、198人が犠牲になった北海道・奥尻島(奥尻町)には、巨額の復興資金や義援金が投じられて防災施設が整えられたが、過疎に直面している。 町の被害総額は約664億円で、投入された復興事業費は約764億円。別に義援金約190億円が寄せられた。総延長約14kmの防潮堤が築かれ、漁港には海面からの高さが8mある人工地盤「望海橋(ぼうかいきょう)」が設けられた。津波の際に約2300人が避難できる。住民の高台移転も実現し、発生から5年後、町は「完全復興」を宣言した。 しかし、人口は地震前から4割近く減り、3千人を切った。主産業の漁業も資源回復がなかなか進まず、高齢化や後継者難もあって漁協組合員は400人から半減。東日本大震災の被災地から視察が相次ぐが、寂れように驚きの声が漏れる。 町は12日、追悼式を町立青苗中学校体育会で開く。 |
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また若い命が散った。
何故そんなに死に急ぐのか。
いじめらる等で学校が嫌なら、行かなくていいじゃないか。
不登校・転校大いに結構。
自分で自分の未来を閉ざしてしまうな。
死んで花実が咲くものか。
生きてるだけでいいじゃないか。
それだけで家族は幸せなんだよ。
学校なんてくそ食らえ!
世の中の親たちへ。
世間体などにとらわれないで、子供の幸せだけを考えようよ。
学校へ行くことが全てじゃない。
勉強が全てじゃない。
生きてることが大事なんだ。
それを子供に伝えようよ。
同級生いじめ証言
担任教諭「認識」無く
名古屋市立中学の2年男子生徒(13)=同市南区=が10日、マンションから飛び降りて死亡した問題で、男性生徒の同級生らは11日、新聞の取材に「(男子生徒は)以前から、複数の同級生に『死ね』と言われていた。」などと、いじめがあったことを証言した。
一方、担任の女性教諭(31)は市教委の聞き取り調査に対し「いじめられているという認識はなかった。」と話したという。
なぜ男子生徒は、自ら未来を断ち切らなければならなかったのか。同級生や保護者らが注視する中、市や教育委員会による真相究明が始まった。 複数の同級生によると、男子生徒が自殺した当日、クラスメートが終業時のクラス会で「(男子生徒は)自殺するらしい」といった趣旨の発言をしたという。担任教諭も聞いていたが、自殺を防ぐような指導はなかったといい、証言した同級生は、聞くに堪えず「耳を塞いだ」と話した。 同級生らによると、男子生徒は以前から特定の複数の同級生に「死ね」と言われていたという。ただ、こうした行為が始まった時期や原因は、同級生の間でもはっきりしない。 男子生徒は、東日本大震災の直後にまとめられた小学校の卒業文集で、「人の役にたつロボットをつくる」と将来の夢をつづっていた。「災害の時に人を助けるロボット」「お年寄りの手伝いをするロボット」を作りたいとし、「人のかわりにロボットが人を助ければ、多くの人を助けれると思います。」と書いた。 小学6年の時に同じクラスだった生徒によると、男子生徒は積極的に手を挙げて回答する「賢い子」だった。中学校では目立つことはなかったが、「ソフトテニス部で頑張っていた」という。 校長によると、男子生徒は秋の合唱祭の指揮者に志願するなど、活発な学校生活を送っていた。学校では11日午前8時半すぎから体育館で全校集会を開いて経緯を説明し、泣き出す生徒もいたという。 ◇自殺した生徒の父「話すことない」 自殺した生徒の父親は11日午後4時半ごろに帰宅し、「お話しすることは何もありません。全て学校に話してあります。」と言って、家の中に入った。 校長「いじめ把握せず」 市教委会見で
名古屋市の河村たかし市長は11日の記者会見で「貴重な命を失った。何事も隠さず報告するよう指示した。二度と起こらないよう、不退転の気持ちで取り組む。」と述べ、全力で真相究明に当たる姿勢を示した。6月6日付で副市長に任命したNPO法人「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち(CAPNA)」の元理事長、岩城正光弁護士を真相究明の責任者にするという。 会見には校長、市教委の森和久・学校教育部長、金田慎也・指導室長も出席した。終始硬い表情で、男子生徒を巡るトラブルなどについて「調査中」「今後、詳しく調査したい」と繰り返した。 校長は「生徒がいじめに関して担任教諭に相談していたとの情報がある」との質問に、「全く把握していない。きちっと調査したい。」と述べた。いじめについて全く知らないのかと問われると「はい」と答えた。一方、担任教諭の認識について「残念がっている。動揺しているので、落ち着いたら確認する。」と繰り返した。 市教委は、生徒が残したノートの記載について「自殺やいじめをうかがわせる記述があった」と述べたが、「保護者は動揺しており、最初は調査をしてほしいというよりもそっとしてほしいという意向が強かった」などとして、詳しい説明を控えた。具体的な場所や個人名はなかったとしている。 |
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水害から立ち直って、今年もヒマワリが咲きました。
ヒマワリ、休耕田活用、
114万本咲き誇る
見ごろを迎えたヒマワリ
兵庫県佐用町で、休耕田などを活用して栽培しているヒマワリが見ごろを迎えた。
1990年から旧南光町の6地区計約23ヘクタールで、約114万本を栽培している。2009年8月の台風水害で被害を受けた地区もあったが、町ではヒマワリを「水害からの復興のシンボル」としている。 19万本を栽培する宝蔵寺地区の休耕田(約3.8ヘクタール)では、ヒマワリが人の背丈ほどに成長。同町では13日から28日まで「南光ひまわり祭り」が開催され、他地区でも順次見ごろを迎える。 開花状況は町のホームページで確認できる。 問い合わせは町商工観光課(0790・82・0670)へ。 |
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