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8月1日、今朝は靄。
昨日の雨の影響かな、おかげで涼しい。 昨夜は12時前にはぐっすり。 今日から8月。 いろんな意味での暑い夏がまためぐってきました。 今日は朝からゆっくり。 することはあるといえばあるのですが、久し振りに朝ゆっくり。 その後10時前から買い物へ。 ホームセンター等をまわって帰ってきたらお昼だった。 いろいろ買い物して疲れました。 午後はゆっくり。 夕方から少し農作業。 明日は網戸を張り替えるつもりです。 8月2日は「パンツの日」 奈良の下着メーカー磯貝布帛工業(イソカイ)が自社ブランド「シルビー802」の商品名にちなんで制定しました。後に、大坂の下着メーカー、オグランも「パン(8)ツ(2)」の語呂合わせから、この日を記念日にしました。この日は、女性が好きな男性にパンツをプレゼントする日とされています。
ビーズの日 ビーズアクセサリーキットを製造するビーズマニア株式会社が制定。82が「B(ビー)2(ツー)」に見えることから。 ホコ天記念日 1970(昭和45)年、銀座・新宿等で初めて歩行者天国が実施されました。警視庁が、「人間性を取り戻す政策」として週末の銀座・新宿・池袋・浅草で自動車の交通を遮断して歩行者天国を実施しました。 ハーブの日 ハーブを使った化粧品を販売している会社・コスメハーブが制定。「ハ(8)ーブ(2)」の語呂合せ。 博多人形の日 博多人形の生産者の組合が中心となって制定。「は(8)かたに(2)んぎょう」の語呂合せ。 カレーうどんの日 「カレーうどん100年革新プロジェクト」チームが、カレーうどんが全国浸透してから100周年となる2010(平成22)年に制定。6月2日が「カレーの日」、7月2日が「うどんの日」であることから。 バズの日 広告代理店アサツーディ・ケイが制定。広告手法の一つである「バズ(buzz、噂)」について考える日。「バ(8)ズ(2)」の語呂合せ。 金銀の日 1928年のこの日、アムステルダムオリンピックで、陸上三段跳びの織田幹雄が日本人初の金メダル、陸上800mの人見絹代が日本人女性初のメダルとなる銀メダルを獲得した事から。 8月2日の誕生花は“露草” 藍色の花を咲かせる“露草”
花言葉は“尊敬” 今日の一枚:デビュー 仕事柄家にいっぱい電話が掛かってくるので、とうとう携帯持つ羽目になりました。 スマホデビューです。 友達に言わせると、“一生持たないのかと思ってたって”・・・・・・。 |
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2013年08月01日
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京都も夏ですね。
芸舞妓があいさつ回り
「八朔」のあいさつでなじみの店を訪れた芸舞妓たち
京都市東山区の祇園で1日、黒紋付き姿の芸舞妓(げいまいこ)が芸事の師匠やお茶屋などにあいさつ回りをする恒例行事「八朔(はっさく)」が行われた。曇り空で京都独特の蒸し暑さの中、花街に涼やかな京言葉が響いた。
芸舞妓らは数人ずつ連れ立ち、京舞井上流家元の五世井上八千代さん宅や京料理店を訪れ、「よろしゅうおたの申します」とあいさつ。「おきばりやす」などと声をかけられた。 八朔は旧暦の8月1日のことで、日ごろ世話になっている人に感謝の贈り物やあいさつをする習わしがある。 NZ帰りの“国際派”舞妓デビュー
祇園東の舞妓としてデビューする富津愈(とみつゆ)さん
京都五花街のひとつ、祇園東で31日、ニュージーランドで留学経験のある舞妓の富津愈(とみつゆ)さんが、デビューに当たる「店出し」をした。花街にも外国人観光客が増える中、英語に堪能な国際派の舞妓として、活躍が期待されている。 富津愈さんは京都市右京区出身。昨年11月まで約4年間、ホームステイをしながらニュージーランドの学校に通った。日本の伝統文化を深く知ろうと、今年2月から仕込(しこみ)としてお茶屋兼置屋(おきや)の「富菊」(京都市東山区)に住み込み、芸事などの修行を積んできた。 この日は先輩の芸舞妓らに着つけてもらった正装の黒紋付姿。「割れしのぶ」に結った髪に、慶事にだけ身につけるベッコウのかんざしと銀の見送りを飾り、地域のお茶屋や飲食店などをあいさつ回りした。 富津愈さんは「きょうからさっそくお座敷で、どきどきどす。姉さん方みたいに芸事が達者な舞妓になりとおす。」。富菊の女将(おかみ)、富森れい子さん(60)は「おもてなしの気質もある。海外のお客様に親近感をもってもらえれば。」と話した。 |
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世界遺産に登録されましたからね。
今の状態は猫も杓子も状態ですね。
確か犬も登山してたっけ・・・・・・・・・。
ちょっと今は行きたくないですね。
富士山登山者が急増
前年同時期比35%増
混雑する富士山登山道
環境省は1日、7月1〜21日の富士山登山者数を発表した。静岡、山梨両県にある計4登山道の合計は、同時期としては過去最多だった前年の5万8546人からさらに35%増え、7万9057人となった。同省は、富士山の世界文化遺産登録によって注目度が高まったことや、梅雨明けが早かったことが影響したとみている。
登山道別では、山梨県側の富士吉田口が4万7453人(前年同期比25.9%増)。 静岡県側は、富士宮口1万7024人(同32.9%増)、須走口9990人(88.7%増)、御殿場口4590人(同67.6%増)だった。 同省は2005年から各登山道にカウンターを設置し夏山シーズンの7〜8月の登山者数を調査している。昨年は31万8565人だった。 |
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また暑い夏が巡ってきました。
平和大切にしたいのに、憲法改正に関してセメント副総理はまたしょうもないことをいって、世界を騒がせてますね。
もういい年の大人が何考えてるのかな。
頭の中見てみたいね。
平和の灯のつどい
記念公園で祈りささげる
核廃絶を願い平和記念公園を歩く参加者たち
原爆死没者の冥福を祈り、核廃絶と世界平和を願う「ヒロシマ平和の灯のつどい」が31日、広島市中区の平和記念公園であった。原爆慰霊碑前に集まった高校生ら約80人が公園内の「平和の灯」から採火した火を掲げ、平和への祈りをささげた。
【核廃絶を願い歌を歌う参加者たち】 広島市女性団体連絡会議などの主催で今年で15回目。旧ソ連時代に核実験が実施されたカザフスタン出身の留学生で山陽女学園高等部(広島県廿日市市)1年、マディナ・ショムパノワさんらが採火し、参加者が持つろうそくに点火。 カザフスタン被爆者のための鎮魂歌「ザマナイ」をスピーカーで流しながら公園内を歩き、核廃絶への思いを新たにしていた。 |
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68年前の重い記憶をどう伝えるか。様々な思いで広島、長崎を見つめる人々を取り上げ、
できるだけその思いを伝えるべく掲載させていただきます。 第3回目は、映画監督の石田優子さんです。 私と原爆(3)
昨年12月に73歳で死去した漫画「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんが、震える唇の間から無意識に舌を何度も出しながら被爆体験を証言する。薬の副作用とみられる痛々しい姿を「見せればいい」と意にも介さず、漫画が描けなくなっても語ることで原爆や戦争と最後まで戦い続けた。 約80分の記録映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」の監督石田優子さんは「中沢さんの思いが映像の中に生きている。若者たちへのメッセージとして、さらに伝えていくことが恩返しになると思う。」と話す。 東京世田谷区出身。はだしのゲンを初めてアニメ映画で見た小学1年生の時、原爆の熱線でやけどした皮膚が手足の先から垂れ下がる場面がショックで夜眠れなかった。その後、図書館で漫画を読むたび、開いては閉じることを繰り返した。 「こんな私が映画を作っていいのか」とためらう石田さんの背中を、中沢さんは「思いっきりやってみなさい。信じてるよ。」と押してくれた。 もともと撮影は、広島市のNPO法人と、所属する映画製作・配給会社が、被爆者や戦争体験者の証言映像を原爆資料館に寄贈したり講演会で流したりする目的で始めた。4人目に登場したのが中沢さんだ。 6歳で被爆した広島の鮮明な記憶を、聞く人の脳裏に浮かぶように語る力強さに、スタッフのみんながひかれ、映画化が決定。撮影は中沢さんの肺に癌が見つかる2010年9月までの1年間で計約20時間に及び、東京から広島へ何度も足を運んだ。 重い証言が淡々と続く作品のラストシーンは、中沢さんの無邪気な笑顔だった。 「核兵器は絶対いかん。100歳までの30年間で映画を作って訴えたい。よー いスタ ート、言うてね。」 がんの発症が分かる前の映像だ。 編集中に「亡くなってしまうかもしれない」と不安が頭をよぎったが「だからといって私たちの映画を変えたくない。元気な中沢さんで終わらせたかった。」と振り返る。 11年4月の試写会。初めての監督作品に中沢さんは一言の注文も付けず「よくやったな」と、にこにこしてねぎらった。 「きっと、この映画があってよかったと喜んでくれてるんじゃないか。亡くなって も証言が残り、みんなに見てもらうことができるから。」 |
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