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いよいよ2018年度から小学校で「教科としての“道徳”」が始まる。
今までは教科ではなかった。
でも、週1に近い状態で授業はあった。
教科外教科といわれていたが、いい面もあった。
それは、学校教育全体の中で学習できるという点だ。
「すべての学習の土台となるもの。目標である人格形
成の基礎となるもの。」
と、僕は教師時代考えてた。
もちろんそのことは教科になっても変わらないと思う。が、教科になることで、その根本が揺らぐ可能性が見えることを危惧する。
それは、教科となることによって発生する「評価」があると言うこと。
点数でははかれないから記述式になるらしいが、評価することに意義があるのだろうか?
「評価する側」「評価される側」どちらにも危うい点が潜んでいる。
先日、人権擁護委員としてA小学校の1年生の授業参観に行ってきた。
1年生なのでかわいらしい意見が多かった。
でも、ちょうどその日は保護者参観日。
やっぱり保護者が見てると、子供は張り切って発表する。
親に良く思われたいし、帰って褒めてもらいたかったのだろう。
模範解答ばかり。
教師の質問(発問?)に対して、「こう言えばいい答えになる」という発表ばかり。
きっと評価をするとなると、授業も本音や生の経験に基づく声が出にくくなるだろう。
評価される側の自己防衛に対して、評価する側は普段と学習中との違いをどう見抜くかが問われる。
また教科となれば、教科書が存在する。
しかも検定教科書。
そうなると、政治(政府)の姿勢が見えない意図として検定に反映される。
戦前の修身を思わせる。
そこまで過激にはならないと思うけれど、サブミナル効果を狙ったような教材も登場するかもしれない。
現に、安部さんはそのようなことを言っているし、そのような姿勢だ。
文科省検定委員が、「忖度」をしないとも限らない。
教育は公平中立とは言いながら、その尺度は不確かなもの。
ただ世間一般の常識の範囲内ならばよしとするのが普通。
でも、「世間一般の常識の範囲内」ほどあやしいものはない。
だから、問題になった森友学園の教育方針も中立の域らしい。
そんな不確かな価値観尺度のものを教科にするなんて僕的には信じられない。
今の現場の教師も戸惑ってるだろう。
そんな記事を新聞で見つけたので紹介します。
皆さんは、「道徳の教科化」をどう思いますか?
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教育全般
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孫の寛人君(小学4年生)の自由研究。
研究テーマは、「光の色による光電池の発電量について」。
休み後半毎日頑張って実験してやっとまとめた自由研究。
持って行って、展示してもらって2日ほどで持って帰ってきたみたいだけど・・・・・・・・・。
担任理解できたのかな?
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もうすぐ2学期。
“始業式の日=9月1日”がやってきます。
実は教育界では特別な日です。
1年で児童生徒の自殺が一番多い日なんです。
こんな記事を見つけました。
「子どもの自殺が特別多い9月1日」〜子どもが学校に行きたくないと言ったら〜
今年も「9月1日」がやってきます。
昨年ここに書かせていただきましたが、
9月1日は子どもの自殺が突出して多い日であります。
夏休み明けに子どもたちの心と体が不安定になり、不登校になったり、最悪のケースとして命を絶ってしまう子が増えるわけです。
この「9月1日問題」は社会的な認知がだいぶ進みました。
◯学校と社会の対応は?まず学校現場では、文部科学省の旗振りのもと、「児童生徒の自殺予防に関する普及啓発協議会」が各地で開催され、「長期休業明けに注意!!」との情報が各地で共有されています。
学校ではスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置が進み、特にこの夏休み明けは丁寧に対応することがうたわれています。
さらに、社会での動きも進んでいます。
大きなきっかけになったのは2015年の鎌倉市の図書館の下記のツイートでしょう。これにより、「9月1日問題」が知られると共に大きな共感を呼びました。
もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
2015年8月26日 09:11 このようなツイートもきっかけに、社会において「子どもたちの居場所を増やそう!」ということが認知され、少しずつセーフティネットが広がっていると言えます。
学校・社会と対応が進むのは喜ばしいことですし、私たちアフタースクールも対応をますますしっかり行いたいと思います。しかしながらそれだけ良いのでしょうか?
◯肝心要の「家庭」の対応は?学校と社会、それよりも子育ての最も基本となる場所は「家庭」です。家庭でこの問題が起きた時の対応に注目が集まり始め、悩みも多く聞かれています。もしあなたの子どもが『学校に行きたくない。。』と言ったら、どうするでしょうか?
あるお母様のお話です。そのご家庭は小学5年生の長男が不登校になったそうです。
「5年生でクラス替えがあって、子どもの人間関係がうまくいかなくなり始めました。3・4年生の担任の先生はうまく子どもを扱ってくれましたが、新しい担任は上手に仕切れていないようです。
1学期の6月くらいから『頭が痛い』『お腹が痛い』と言い始め、休んだり、保健室に登校したりが増え始めました。
はじめは自分も『学校に行かなきゃ』と子どもに言ってましたが、自分も仕事をしているし、どうして良いか分からなくなりました。
7月にはほとんど学校に行けなくなり『2学期になったらまた行くから』と言うのでそのままにしておきました。
夏休みに入り、リラックスした様子になりました。旅行にもいったり、弟と遊んだりで表情も明るくなりました。
そんな中、8月21日、月曜日を迎えるあたりから表情が落ち着かなくなりました。うちの子どもの学校は8月25日金曜日に夏休み明けなのです。
息子は月曜、火曜、水曜と進むにつれだんだん落ち着かなくなりました。夜も眠れなくなり始めたようです。前日の木曜の夜はいよいよ眠れなかったようです。私も心配で眠れませんでした。なかなか眠れない中、『明日、別に行かなくてもいいよ。』と言ったらようやく眠ってくれました。」
「『明日、別に行かなくてもいいよ。』との言葉を自分もようやく言えました。
なんとか2学期には立て直す、と信じてきたので、それが崩れるようでなかなかその一言が言えませんでした。
初日の8月25日金曜日、子どもは学校に行きませんでした。今でも自分が正しかったかはわかりません。
でも、大人だって休みたい日もあるし、実際に休むこともあります。小さな子どもならなおさらだと思います。」
「『別に行かなくてもいいよ』と言えたことで自分も吹っ切れた気がします。これから長期戦になりますが、じっくりと子どもの気持ちと付き合おうと思います」 このお母様は正しかったのでしょうか?
私としては、正しかったと思いますし、苦しんでいる子どもに対して、勇気ある一言だったと思います。
「2学期から」「9月1日から」
苦しんでいる親子にとっては、9月1日は分かりやすい目標です。
「夏休みにゆっくり休めば何とかなる」「夏の間に何かきっかけが見つかる」
こんな風に考えて、思わず飛びついてしまう象徴的な目標設定かもしれません。
しかしながら実際には、夏の間に何か問題が解決するわけではないし、長い間休んだあとは大人でも会社に戻るのが少々つらくも感じます。また夏の間の楽しい日々とのギャップも大きいとなおさら学校に行くのがつらい気持ちにもなるでしょう。
そのような意味では「9月1日」は難しい目標設定の日だとも言えます。
◯「子どもが不登校になる」そう聞いた時、親はどう思うでしょうか?そのように聞いて、一番心配なのは「社会から置いていかれる」「まともな就職ができなくなる」という感覚だと思います。でも本当にそうでしょうか。苦しい時に少し休むことがそんなに大きなロスになるでしょうか。また苦しいばかりになってしまった学校に這ってでも行くべきでしょうか。別の学校にするのは難しいでしょうか。
それから「世間や自分の親からなんと言われるか?」と心配していないでしょうか。子どもの心配をしながら自分自身の世間体を気にしていないでしょうか。もちろん全く気にならないと言ったら嘘になるでしょうが、日々色々なことがありますし、ご自身が他人の家庭をどこまで気にしているか考えてほしいと思います。結局他人のご家庭はあんまり気にならないのではでしょうか。
◯もしかしたら悩んでいる君へ夏休みが明け、「学校に行きたくない」と思っているかもしれません。学校に行かないことが親の期待を裏切るように感じているかもしれません。約束を守れないように感じているかもしれません。でも親は最終的には子どもが無理して学校に行って暗い顔をしているより、少し休んででも元気な顔をしている方が嬉しいものです。人間一日中起きていることはできません。眠る時間があるから起きていられるのです。人生は長いので少しくらい休む時期があっても全然大丈夫です。世界は広いし、想像をはるかに超える色々な生き方があります。どうか悩んだら無理をせずに、素直な心を親御さんや社会の大人たちに話してみてください。きっと受け止めてくれる大人がいます。
◯保護者の方へお子様がもし悩まれていたら、すべきことは1つだと思います。それは「ただ子どもの話を聴くこと」です。
できるだけ途中で遮ったり、自分の意見を言わずに相槌を打ちながらじっくり付き合ってただ聴きましょう。それだけで100点です。聴いたあとで、自分が小さい頃からの悩んだエピソードや今の仕事や家庭でも悩むことがあることを伝えてあげるのも良いと思います。「大人だって悩んでいる」「親だって悩みながら大きくなってきた」このことは子どもの心を少し励ましてくれるかもしれません。もちろんアドバイスすることもあっても良いでしょう。でもご自身を思い出してください。「自分は親御さんのコピーだったでしょうか?」「親御さんとまるで同じ価値観だったでしょうか?」きっと大なり小なり親御さんと自分は異なるはずです。一人ひとり歩みの速度は違いますので、どうか子どもの歩みを尊重しましょう。それが子どもの自立を促す第一歩なのです。
家庭・学校・地域が三位一体となって、子どもたちを応援したいと願っています。
子どもが心から安心できる居場所があってこそ、外で頑張れるのだと思いますので、少しでも子どもたちの「心の安全基地」を増やしてあげたいと思います。また悩む親御さんも支えてあげることが極めて重要だと感じています。
今年も「9月1日」が来ます。子どもたちが悲しい決断をしないように心から願っています
とにかく親も子も無理はしない。
学校だけが全てではない。
気になることがあれば、子供は「素直に気持ちを親に言う」勇気を持とう。
親は「休ませる」勇気を持ちましょう。
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今朝の新聞に出てた記事が、ヤフーにも夕方になって掲載された。
どんな内容かというと以下の通り。
教諭がアンケの書き直し強要か 兵庫・加古川の小学校 児童6人が「担任信頼できない」
兵庫県加古川市内の小学校で6年生を担任する30代の男性教諭が、児童対象の選択式アンケートで、「担任教諭を信頼できない」との内容の項目を選んだ児童6人を呼び出し、直接理由を問いただしていたことが21日までに分かった。うち2人が書き直したという。学校や男性教諭は「強要はなかった」としているが、校長は「書き直しを迫ったと受け取られても仕方がない不適切な行為だった」と話している。
市教育委員会によると、アンケートは学校生活への適応度を調べる目的で、市内の小中学校で5月下旬に実施。回答は各問5段階の選択式で「担任の先生は信頼できる」という問いに、同小の児童6人が「あてはまらない(信頼できない)」などに丸を付けた。男性教諭は用紙を回収後、6人を呼んで「先生のどんなところが悪いのか」などと尋ね、1人は「話したら気が晴れた」、もう1人は「選び方を間違えた」などとして、信頼度がより高い回答に変えて提出し直したという。 保護者から学校に相談があり、確認したところ男性教諭は「自分の悪い点を直すために聞いただけ。書き直しが目的ではなかった」と説明。指導を受け、教諭はパソコンに入力する際に元の回答に直したという。 校長は「子どもらの信頼を取り戻せるよう、学校としても厳しく指導していきたい」としている。 夕食時この話を妻にすると、一言。
「しょうもないことしてー!」
で、片付けた。
「誰が−?」
って聞くと、
「決まってるやろ。わかってるくせに−。」
「しょうもないアンケート、実施した市教委。」
と矢継ぎ早に・・・・・・。
同感。
僕は10年、妻は退職まで40年勤めた市教委をバッサリ。
そりゃそうです。
担任と合わない児童生徒もいるのに、そんな質問したらダメ。
アンケート実施後に児童を呼んだ担任もおかしいけど、それ以前にこんなアンケートを実施した市教委が一番悪い。
もうちょっと設問考えりゃよかったのに。
お粗末です。
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今日、アメリカがシリアをミサイル攻撃。
それを安倍さんは、「化学兵器の拡散と使用は絶対に許さないとの米国政府の決意を日本政府は支持する。これ以上の事態の深刻化を防ぐための措置と理解している」と表明。
でも、よくよく考えると事態は深刻化どころか泥沼かしそうな様相。
“トマホーク”が飛んでいく様子は、イラク戦争を思い起こさせた。
「こんなことはやめようと」いえない首相も情けない。
どうも世界は不穏な様相を見せ始めてる。
それと同様に、日本国内も不穏に満ちている。
今声を上げなければ・・・・・・・・・・・。
そう思わずにはいられないような新聞記事があった。
神戸新聞の4月6日朝刊の正平調。
その中の一文に、
“「だるまさんがころんだ」という子どもの遊びがある。
鬼役の子は短い掛け声を唱える間は振り返らない。
その背後から少しずつ近づき、背中にタッチする。
日々の暮らしに追われ、振り返ることなく過ごすうち、
背後から少しずつ近づいてくるものがありはしない
か。教育勅語をめぐるこのところの動きを見るにつ
け、心配性の胸は騒ぐ。”
この部分を読んだ時、昔読んだ本の一節を思い出した。
ナチスドイツが台頭してきたドイツの詩人の一節だったかな?
“教会の牧師が迫害された、私のことではない。
他の宗教も迫害された、私のことではない。
教師も迫害され始めた、私には関係ないと思って
た。
何かおかしいと気づいた時、もう遅かった。”
こんなことにならないように、今声を上げよう。
本当にオリンピックやパラリンピックのために、「テロ等準備罪(共謀罪)」が必要なんだろうか?
それなら時限立法でも良いはずなのに・・・・・・。
なんか昔治安維持法を決めた時のような言い訳だ。
その時も「一般人には影響はありません。」と言ってたのに・・・・・・。
その後を見れば、どうなったか一目瞭然だ。
ちゃんと説明できないトップ(法相)も情けない。
“教育現場の毎日の朝礼で子どもたちが教育勅語を朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思います」”
と答弁する文部科学副大臣。
“「どういう教育を行うかは一義的にそれぞれの学校で創意工夫しながら考えることであり、問題があるかどうかは法令等に照らし、所轄庁である都道府県が適切に判断される」”
と答える文科省の審議官。
「これが教育に携わる者の言うことか」と言いたくなる。
かつて、「教育勅語を朗読しない、学校教育において使わないことで今日まで(全国の学校に)指導してきた」と述べた文部科学大臣もいたのに・・・。
教育勅語なんて使わなくても教育できるし、使うこと自体おかしい。
それが持つ意義を考えた時に・・・・・・・・。
すぐそばでミサイルが飛んできて戦闘が起こっているのにそれを認めないで、言葉の言い回しで言い逃れようとする防衛大臣。
現地で命の危険と隣り合わせで働いた日々の記録を都合が悪いから破棄せよと命令する自衛隊幹部。
それを知らない大臣を初めとする事務官僚。
ひょっとしたら官僚が破棄を指示したのか?
“原発避難は自己責任”
と言い放つ復興大臣。
批判にさらされて、謝罪と撤回で済まそうとする。
そんな国の姿勢がいじめを生んでるんだよ。
とにかく今世の中は変な方向に動いてる。
服の下に、鎧を着込んで戦争を始めたくて仕方の無い政治家が多い。
首相以下の言葉に、危ういものを感じてるのは僕だけなんだろうか?
僕1人じゃないはずだ。
1人1人が何かしらの声を上げなくては。
行動しなくては・・・・・・・・・・・。
気づいた時には遅かったなんてことの無いように。
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