日々燦々 − はぁ〜、のんびり のんびり -

3月。桜はまだですが、花粉が飛び始めてます。一雨ごとに暖かくなってきました。今年もノンビリボチボチ頑張ります。

平和

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へいわってすてきだね

「平和の詩」(沖縄“慰霊の日”全戦没者追悼式)です。
この声に大人は応えなければいけない義務がある。
「へいわってすてきだね。」と感じる子供の日常を守っていくのが大人の役目。
みんなで頑張りましょう。

 へいわってすてきだね
 
 へいわってなにかな。
 ぼくは、かんがえたよ。
 おともだちとなかよし。
 かぞくが、げんき。
 えがおであそぶ。
 ねこがわらう。
 おなかがいっぱい。
 やぎがのんびりあるいてる。
 けんかをしてもすぐなかなおり。
 ちょうめいそうがたくさんはえ、
 よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
 みなとには、フェリーがとまっていて、
 うみには、かめやかじきがおよいでる。
 やさしいこころがにじになる。
 へいわっていいね。へいわってうれしいね。
 みんなのこころから、
 へいわがうまれるんだね。

 せんそうは、おそろしい
 「ドドーン、ドカーン。」
 ばくだんがおちてくるこわいおと。
 おなかがすいて、くるしむこども。
 かぞくがしんでしまってなくひとたち。
 ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
 このへいわが、ずっとつづいてほしい。
 みんなのえがおがずっと、つづいてほしい。

 へいわなかぞく、
 へいわながっこう、
 へいわなよなぐにじま。
 へいわなおきなわ、
 へいわなせかい、
 へいわってすてきだね。

 これからも、ずっとへいわがつづくように
 ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。
 
     沖縄県与那国町立久部良小1年 安里有生君朗読の詩全文
 
「平和の詩」を朗読する安里有生君
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沖縄慰霊の日

今日の沖縄は鎮魂の日です。
 
戦後68年、犠牲者悼む 慰霊の日
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 「慰霊の日」の23日、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が糸満市摩文仁の平和祈念公園であった。戦後68年を迎え、太陽が照りつけ、海からの風が吹き抜ける中、戦没者に哀悼の祈りをささげ、恒久平和を誓った。
 戦没者名を刻銘した公園内の「平和の礎(いしじ)」や糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」など県内各地の慰霊碑には、早朝から多くの人が訪れ、花束やお菓子を供えたり、刻銘された肉親らの名前を拭いたりする姿があった。
 参加者からは「どこの国も一緒に平和であってほしい」「基地がなく戦没者が静かに暮らせるような沖縄を望んでいる」といった声が聞かれた。
 追悼式の平和宣言で仲井真弘多知事は、沖縄が自らの行動で本土復帰を実現した経緯や過重な米軍基地負担に触れ、米軍普天間飛行場の県外移設と日米地位協定の抜本的見直しを強く求めた。
 式には安倍晋三首相のほか、小野寺五典防衛相、岸田文雄外相が防衛相と外相として初めて参列。米国大使も戦後50年の節目だった1995年以来18年ぶりに訪れた。
 戦後68年たった今も、県内には日本の米軍専用施設の約74%が集中し、基地からの騒音、米兵の事件・事故など危険と隣り合わせの日常がある。日米両政府は県民の多くの意思に反し、米軍普天間飛行場の辺野古移設を推進。8月には、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機が追加配備される予定だ。
 沖縄戦では住民、日米の軍人を含め、20万人以上が犠牲になった。「平和の礎」には今年、新たに62人(県内46人、県外16人)が刻銘され、総数は24万1227人となった。
 
白梅学徒隊の体験を絵本に
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絵本のモデルになった中山きくさん(左から3人目)と編集に携わった
(左から)池宮城けいさん、比嘉美津枝さん、1人置いて磯崎主佳さん

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「きくさんの沖縄戦」の1ページ

 県退職教職員会女性部(大嶺初子部長)が23日の慰霊の日を前に、絵本「白梅学徒隊きくさんの沖縄戦」を完成させた。3日、那覇市の県教育会館でお披露目され、モデルとなった元白梅学徒隊で白梅同窓会会長の中山きくさん(84)は「沖縄戦の事実を絵本に残すのは貴重なこと。多くの若い人に読んでほしい。」と呼び掛けた。文章をまとめた退職教諭の比嘉美津枝さん(65)は「絵本を通して、中山さんがいつも言う『平和のバトンタッチ』ができれば。」と期待した。
 絵本は県立第二高等女学校の生徒で、当時16歳の中山さんが沖縄戦に巻き込まれる様子を描いた。学業半ばで従軍看護婦として戦争に出された中山さんが、負傷兵の看護に従事したり、戦場を逃げる姿を通して戦争の恐ろしさを伝える内容となっている。
 退職教職員会女性部はこれまで9冊の絵本を作成しているが、今回は若い世代に沖縄戦を知ってもらおうと、中山さんの学生時代の戦争体験をテーマに設定した。絵は絵本作家の磯崎主佳さん(41)、全体の構成は児童文学者の池宮城けいさん(70)がそれぞれ担当した。
 中山さんは「戦争中、疲れ果ててしまい、手りゅう弾で死ぬことを考えたが、友人に止められて思いとどまった。」と当時を振り返りながら、「次の世代に命の大切さを伝え、戦争への道を二度と歩ませないことを考えた。」と絵本に込めた思いを語る。
 編集作業は今年1月に始まり、中山さんへの聞き取りや資料を基に、半年で完成にこぎ着けた。磯崎さんは「沖縄戦当時の様子を教えてもらいながら、中山さんが見た風景を描いた。」と話す。中山さんは「私のような戦争のある道を歩ませたくない。戦争は人間にとって一番不幸なことです。」と平和の大切さを強調した。
 絵本は1冊千円(税込み)。
 問い合わせは電話098(867)0161、沖教組教育研究所へ。

「命令とはいえ…」元日本兵、
「始末」を後悔

  「全部始末せよ」。
 上官の命令は絶対だった。沖縄戦末期、米軍の激しい攻撃で追い込まれた旧日本軍の陣地。陸軍の通信兵だった片山省(しょう)さん(90)=兵庫県洲本市=は負傷兵が休む小屋に手投げ弾を投げ込んだ。米軍の捕虜となれば秘密が保てないと、信じて取った行動だった。20万人の犠牲を出した沖縄戦の組織的戦闘が終わった23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。
  「命令とはいえ、えらいことをした。」
 卒寿を迎えた今も、片山さんには68年前の出来事が心に重くのしかかる。
  「4月になれば『米軍が上陸したな』。6月と聞くと『沖縄戦の終結やな』。そ  りゃ、毎年そう思います。」
 沖縄から遠く離れた淡路島。片山さんは6年前に妻に先立たれ、独りで暮らす。
 
 1944年1月、徴兵で満州の陸軍部隊に入り、訓練を受けた。9月、送られた先は沖縄。上官は「お前たちは玉砕要員だ。 」と言った。
 翌年4月、米軍が沖縄本島に上陸。雨のように降り注ぐ砲弾の中、連絡文を手に部隊間を走った。
  「毎日何十人と死んでいった。ああ、今日は命があったと。生きた心地がせ  んかった。」
 
 6月中旬、本島南部に追い込まれた部隊に総攻撃の指示が下った。
  「通信兵のお前らは全てを始末して撤退。」
それが上官の命令だった。
 
  「俺は歩けない。涼しい所に連れて行ってくれ。」
 壕(ごう)に残った同じ隊の兵に頼まれた。太ももを撃たれていた。壕を出て約50m引きずり、道端で手投げ弾を手渡した。
 壕の中の無線機や暗号機は全て破壊した。近くには負傷兵を収容した小屋があった。
  「生きてるのか、亡くなってるのか、何人いたかも分からない。とにかく爆破  せねば 。」
 手投げ弾を投げ入れた。
  「爆発音は聞いていません。米軍がドンドン撃ってくるから。砲弾の嵐でし   た。」
 
 糸満市の摩文仁(まぶに)の集落に着くと、敗走兵が集まっていた。米軍が迫る。断崖で数日過ごし、考えた。自決か、戦うか、投降か。
  「司令官が自決したという話もあり、戦闘はもう終わったと感じた。捕虜にな  るのは恥だが、今さら死ねんと思った。」
崖を降り、投降した。
 
 戦後、淡路島に戻り、定年まで中学校の教師を勤め上げた。孫もできた。定年後、沖縄を訪れ、「始末」を命じられた地に立ち、思った。
  「あの時、みんな一緒に出て行って、捕虜になっていれば……。むごいこと  をした。戦争はもう二度としちゃいかん。」
 
大田元知事、高校生に戦争体験語る
平和訴え

 太平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者を悼む慰霊の日を23日に控え、元沖縄県知事の大田昌秀さん(88)が21日、県立知念高校(与那原町)で講演した。平和学習の一環として同校から招かれ、全校生徒約1000人を前に戦争体験を語った。98年の知事退任後、沖縄戦や平和をテーマに今も研究を続ける大田さん。沖縄戦で学ぶ機会を奪われたことを挙げ「皆さんのような十代の若者を、二度と戦場に引っ張り込んではならない。」と訴えた。
 大田さんは沖縄師範学校の生徒だった19歳のとき「鉄血勤皇隊」として学徒動員され、旧日本軍とともに首里から本島南端の摩文仁(まぶに)に追い詰められた。組織的戦闘が終わったとされる1945年6月23日以後も潜伏し、一緒にいた旧日本兵が大学で英文学を専攻しており、米兵が残した英字新聞や雑誌を訳してもらい、8月の日本の敗戦を知ったという。
 
 「沖縄戦を通して日本国憲法を考える」と題した講演で、大田さんは敵性語とされた英語の教育を受けられなかった当時の背景を説明。そのうえで、戦後、英語を学び直したのはこの旧日本兵から「生き残ることができたら、勉強しろよ」と言われたことがきっかけ
 
 また憲法をめぐっては、「平和憲法の下に入るため、米国統治下で復帰運動が始まった。沖縄にとって憲法ほど大切なものはない。」と憲法を守る重要性を訴えた。
 
 講演後には、生徒会長の玉城拓也君(3年)が花束を手渡し「戦争の悲惨さと残酷さが心に残りました。」とあいさつ。大城徳恵さん(2年)は「生々しい証言で、普通の少年が軍隊に組み込まれていく恐ろしさを感じた」。と話した。
 
 大田さんは知事だった95年、摩文仁に沖縄戦戦没者らの名前を刻む「平和の礎(いしじ)」を建てた。また、在任中には「大田平和総合研究所」を設立し、今年衣替えしたNPO法人「沖縄国際平和研究所」で研究を続けている。
みんな同じ戦争の犠牲者じゃないか。
こんなおかしな事がまかりとおっていいはずがない。
 
東京大空襲訴訟
最高裁 審理なく棄却
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講演する大阪空襲訴訟原告団代表世話人、安野輝子さん
 
 1945年3月10日の東京大空襲の被災者や遺族ら77人が国に謝罪と1人当たり1100万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第一小法廷(横田尤孝裁判長)は5月8日付で原告側の上告を棄却した。これで原告敗訴とした一審、二審の判決が確定した。

 最高裁が上告を棄却した理由は「民事訴訟法の上告と上告受理の条項に当たらない」というもので、実質的な内容はなかった。事実上の門前払いである。

 東京大空襲訴訟の原告団と弁護団はそろって抗議文を発表。

 最高裁決定は「原告らが裁判所に強く求めた被害者の被害と権利侵害に向き合い、人権侵害と被害回復を判断するという司法の本来の任務を放棄したものであり、基本的人権と平和主義を基調する憲法に反する不当決定であり、到底受け入れることは出来ない。」と訴えた。
 さらに、安倍内閣が前日の5月7日、東京大空襲について「当時の国際法に違反したと言い切れないが、国際法の根底にある人道主義には合致しない。」とする答弁書を閣議決定したことに触れ、「最高裁は内閣の新しい動向を無視して、閣議決定の翌日に本決定を出したのであり、この点でも極めて不当である。」と抗議した。

 国は52年4月に「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を制定。翌年には「軍人恩給」を復活させるなど、旧軍人・軍属とその遺族にはこれまでに総額50兆円もの恩給や年金を支給している。
 一方で、民間の空襲被害者については「戦争という国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民は等しく耐えねばならない」という「戦争損害受忍論」を押しつけ、何の補償もしていない。戦前、戦中には戦災に遭った民間人を補償する「戦時災害保護法」があったというのに、である。
 その後、広島や長崎の原爆被害者に対して医療特別手当などが支給されるようになり、中国残留孤児やシベリア抑留者にも援護の手が差しのべられたが、民間の空襲被害者だけが取り残されたままになっている。

 東京大空襲訴訟に続いて、2008年12月に集団提訴した大阪空襲訴訟の原告たちも「戦争損害受忍論を空襲被害者だけに押しつけるのは、法の下の平等をうたった憲法14条に違反している。」と訴えてきた。東京と同様、一審、二審とも訴えは棄却され、最高裁へ上告したばかりである。

 大阪空襲訴訟原告団代表世話人の安野輝子さん(73)は、東京の最高裁決定の知らせを受けて、「参議院選挙が近いからなのか、あまりにも早い決定に驚きました。空襲被害者にも補償を、という署名を集めても国は受け取ってくれず、陳情もダメ。このまま黙っていてはいけない、と裁判に訴えましたが、やはり私たちの声を聞き入れてはもらえないのかと思うと、情けないですね。」と語る。

 東京や大阪の空襲被害者らは、同時に、国会での「空襲被害者援護法」(仮称)の制定を目指し、運動を続けきた。「このままでは死ねない」という思いが国会の厚い扉をこじ開けられるだろうか。残された時間は少ない。 
平和を願う気持ちがひしひしと伝わってきますね。
 
中沢さん未発表の詩 「愛の川」
妻が朗読へ
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中沢啓治さんの未発表詩について語る妻ミサヨさん
 
 広島原爆を描いた漫画「はだしのゲン」の作者で、昨年12月に亡くなった中沢啓治さん(享年73)の未発表の詩が、広島市内の自宅で見つかった。同市内では1日から「ゲン」の週刊少年ジャンプ連載開始40周年を記念するイベントが始まり、その一環で4日、中沢さんの妻ミサヨさん(70)が朗読する。

 詩のタイトルは「広島 愛の川」で、「水の都の広島」から、世界の海を通じて平和を届けたいと願う内容。
 市内中心部を流れる太田川の堤を駆けた少年の日の思い出や、子を持つ親となった心境を優しい言葉で表現し、歌詞形式で3番まである。
 3番(一部)では

  愛する我が子に頬(ほお)ずりし
  姿川面に写す日々
  誓おうよ川に向(むか)って
  怒り、悲しみ、優しさを

とつづる。

 ミサヨさんによると6年ほど前、手術のため入院した中沢さんが、幼なじみの友人に「広島の歌を作れよ」と持ちかけられ、ベッドの上で書いた。友人らが曲をつける構想もあったが、実現しなかったという。自宅の本棚を整理していたミサヨさんが最近、詩を見つけた。
 ミサヨさんは「ゲンを愛する皆さんが集まる機会だから、お礼の気持ちを込めて披露したい。夫は歌が好きで作品にもたくさんの歌や替え歌を書いた。良い曲をつけてくださる方がいればお願いしたい。」と話している。
 詩の朗読は4日午後6時半から、広島市中区の原爆資料館である映画上映とトークイベントの中で行われる。

平和行進始まる!

この声、政府に届け−!
 
平和行進、沖縄本島で始まる 
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辺野古の海岸からシュプレヒコールを上げながら行進する参加者ら
 
 1972年5月15日の沖縄本土復帰を記念して沖縄を歩く「5・15平和行進」(沖縄平和運動センターなど主催)が17日、今年も沖縄本島で始まった。今回で36回目で県内外から計約1200人(主催者発表)が参加する。

 那覇市、名護市、読谷村を出発する3コースに分かれ、1日十数kmを歩いて19日に宜野湾市である数千人規模の集会に参加する。
 名護市をスタートするコースは、日米両政府が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先にする辺野古の海岸で出発式があり、約400人が参加した。沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「中央では憲法改悪の嵐がやまない。私たちは戦争の体験、米軍支配の長い歴史を経て、そのようなことを許してはならないという決意に燃えていることを示していきたい。」とあいさつした。
 参加者たちは「辺野古新基地の建設反対」「平和憲法を守ろう」などとシュプレヒコールしながら砂浜を出発した。

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