日々燦々 − はぁ〜、のんびり のんびり -

3月。桜はまだですが、花粉が飛び始めてます。一雨ごとに暖かくなってきました。今年もノンビリボチボチ頑張ります。

平和

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暑い夏

暑い夏

今年もまた暑い夏がやってきました。
広島は今日一日鎮魂の日です。

鎮魂の日

鎮魂の日


沖縄は今日一日、鎮魂の日です。
なぜなら、『71年前の今日』沖縄戦が終わった日なのです。
沖縄慰霊の日です。
平和の礎(いしじ)を見て、首相は何を思うのでしょう。

翁長知事の言葉に何をどう思ったかな?

追悼式典での小学校6年生の少女の詩に何を思ったのでしょう。

◇「平和ぬ世界どぅ大切」…仲間里咲さんの詩

  「ミーンミーン」

  今年も蝉(せみ)の鳴く季節が来た

  夏の蝉の鳴き声は

  戦没者たちの魂のように

  悲しみを訴えているということを

  耳にしたような気がする

  戦争で帰らぬ人となった人の魂が

  蝉にやどりついているのだろうか

  「ミーンミーン」

  今年も鳴き続けることだろう

  「おじぃどうしたの?」

  左うでをおさえる祖父に問う

  祖父の視線を追う私

  テレビでは、戦争の映像が流れている

  しばらくの沈黙のあと

  祖父が重たい口を開いた

  「おじぃは海軍にいたんだよ」

  おどろく私をよそに

  「空からの弾が左うでに当たってしまったんだよ」

  ひとりごとのようにつぶやく祖父の姿を

  今でも覚えている

  戦争のことを思い出すと痛むらしい

  ズキンズキンと…

  祖父の心の中では

  戦争がまだ続いているのか

  今は亡き祖父

  この蝉の鳴き声を

  空のかなたで聞いているのか

  死者の魂のように思っているのだろうか

  しかし私は思う

  戦没者の悲しみを鳴き叫ぶ蝉の声ではないと

  平和(ふぃーわ)を願い鳴き続けている蝉の声だと

  大きな空に向かって飛び

  平和(ふぃーわ)の素晴らしさ尊さを

  私達に知らせているのだと

  人は空に手をのばし

  希望を込めて平和の願いを蝉とともに叫ぼう

  「ミーンミーン」

  「平和(ふぃーわ)ぬ世界(しけー)どぅ大切(てーし   
  ち)」

この少女の声に、私達はどう答えればいいのでしょう。
平和への思いにどう答えればいいのでしょう。

安部さんはどうするべきなんだろう。
地位協定の見直しもお茶を濁していいと思っているんだろうか?
ポーズやパフォーマンスはもういい、本当の沖縄の声に応える政治をやってほしいのに・・・・・・。
どうも心はそれとは反対のことを思っているように思うのは、僕だけだろうか?

虫干し

虫干し

広島で被爆者名簿の虫干しが始まりました。
何日か後には、長崎でも始まります。
また暑い鎮魂の夏が巡ってきます。

語り継ぐ

平和を語り継ぐ

昨日は、「東京大空襲の日」でした。
東京では、犠牲者を悼む追悼式がありました。
戦争を知らない世代が大半の今、「戦争の風化」が言われています。
今こそ平和の大切さを感じ、戦争の悲惨さを語り継いでいくことが大切ではないでしょうか?

そこでこんな記事を見つけました。
毎日新聞の【戸上文恵】の記事です。
掲載させていただきます。

<東京大空襲70年>惨禍、次世代に語り継ぐ…犠牲者悼む
 一晩で約10万人の命が奪われたとされる1945年の東京大空襲から、10日で70年を迎えた。猛火の中を生き延びた人々の高齢化が進む中で、惨禍をどう語り継いでいくのか。東京都内の各地では犠牲者を悼む法要や平和を祈る集いが開かれた。
 墨田区の都慰霊堂で午前10時から、東京大空襲と関東大震災の犠牲者を追悼する「春季慰霊大法要」(都慰霊協会主催)が営まれ、遺族ら約600人が参列した。
  法要には秋篠宮ご夫妻が参列され、安倍晋三首相も歴代首相で初めて出席した。都慰霊協会の檜垣正已会長が「今日、私たちが享受する平和と繁栄は多くの尊い犠牲とご遺族のご苦労の上にあることを忘れてはならない」と式辞。読経の後、安倍首相は「平和への誓いの下、過去に対して謙虚に向かい合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら、世界の恒久平和のために、あたう限り貢献してまいります」と追悼の辞を述べた。その後、遺族代表らが焼香し、犠牲者の冥福を祈った。
  都によると、昨年1年間で新たに174人の犠牲者名が判明、慰霊堂隣の平和祈念碑に納められた犠牲者名簿の人数は計8万324人になった。
 ◇東京大空襲◇
 第二次世界大戦末期の1945年3月10日未明、米軍の爆撃機B29約300機が東京・下町に約1700トンの焼夷(しょうい)弾を投下。隅田川両岸一帯が猛火に包まれ、現在の江東、墨田、台東区を中心に約26万戸の家屋が焼失した。死者は約10万人、負傷者約4万人と推定される。米軍は日本の戦意喪失に効果があるとみて同様の無差別攻撃を各地で行った。

また、毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師の坂東太郎さんの記事も興味深いものでした。

「東京大空襲」から70年 どんな空襲だったのか
 真夜中の東京に突然B29爆撃機の大群が現れ、大量の焼夷弾で首都を焼き尽くす――。今年の3月10日で70年を迎える「東京大空襲」では、短時間で多くの一般市民の命が失われました。太平洋戦争末期にアメリカ軍によって行われたこの空襲は、広島や長崎の原爆投下に比べると、被害状況や凄惨な実状が決してよく知られているとはいえません。どのようなものだったのでしょうか。

◆100回以上あった東京空襲
 1941年(昭和16年)の日本軍によるハワイ真珠湾攻撃で実質的に始まった対米戦争は、翌年のミッドウェー海戦で海軍が敗れ主導権を失い、43年初頭のソロモン諸島ガタルカナル島の敗北で劣勢となり、厳しい戦局となりました。1944年のレイテ沖海戦で海軍は実質的な戦力を喪失し、北マリアナ諸島のサイパン島も米軍に奪取されました。この島から日本のほぼ全土を直接空爆できるので、以後一層、日本本土への「空襲」は盛んに行われるようになります。主役となったのはボーイング社製造のB29大型長距離爆撃機。対抗するには陸上からの高射砲や陸海軍の戦闘機ですが、高々度を飛べるために防空は困難を極めました。
  サイパン島やグアム島が陥落して以降、米軍は速やかに飛行場を整え、44年11月ごろからしきりに東京へも空襲をかけています。最も被害が大きかった東京大空襲以外にも首都圏を襲った空襲は日本がポツダム宣言を受諾した1945年8月15日当日まで断続的に行われ、通算すると100回以上あったとされています。

◆「3月10日」の大空襲
 今の墨田、江東、台東区など下町地区を対象として行われました。本来、爆撃の目的は軍需拠点の破壊ですが、町工場が点在し、有効な拠点攻撃が難しいという点を踏まえて、道路などのインフラもまとめて破壊し尽くすというエリア爆撃を採用しました。午前0時から約2時間、300機以上のB29が飛来して約10万人の死者を出したのです。
  この攻撃の主な特徴は夜間に、凄い数の爆撃機が、超低空からもっぱら範囲を焼き払うのに徹したという点です。米軍は攻撃地域を事前に十分に研究し、関東大震災のケースも踏まえて何よりも木造家屋が多いので「火」に弱いと確信し、日本の家屋用に開発したM69焼夷弾を圧倒的な量投下しました。都市を焼き尽くす作戦と言ってもいいでしょう。
  狙いはズバリと当たり、死者数の約10万人は奇しくも関東大震災の被害と匹敵します。墨田区と江東区に一番大きな被害が出ました。当時は北西の強風が吹いていたために、燃えさかる炎同士が合流して大火災を生み出しました。亡くなった方の多くは焼死や窒息死です。難を逃れようと隅田川や荒川に飛び込んだまま溺死した人も大勢いました。被災家屋は約27万戸。通常兵器を用いた単独の空襲で記録された死者数は世界最大です。
  真夜中に突然、とんでもない量の火災のみを目的とした焼夷弾が低空から密集地帯にばらまかれたのですから阿鼻叫喚の地獄絵図と化しました。死者の7割が身元不明で、65%が男女の区別すらつかなかったとされているのを考えるだけでも、いかに凄惨な状況であったかわかります。焼失面積は東京ディズニーランドの約80倍です。
 東京以外の都市へ空襲は拡大され、終戦までに150前後の都市が襲われて犠牲者は50万人に上っています。その最終盤に起きたのが1945年8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下でした。広島では約14万人、長崎では約7万人が亡くなりました。

◆「戦争犯罪」ではないのか
 東京大空襲は戦闘に参加していない者も多く命を落としました。米側で指揮をとった大空襲のカーチス・ルメイ司令官は「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と後に語っています。
  米軍を主導とする戦争が「敵の市民」の死を明らかに気にかけるようになったのは91年の湾岸戦争ぐらいからでしょう。アメリカは東京大空襲について「戦争を少しでも早く終わらせるため」と原爆投下と同じ論理で正当化しています。しかし空襲に軍事的意義があったとする研究者はアメリカでも少ないのが現状です。あったとすれば心理的影響でしょう。
  それに対してエリア爆撃しか当時有効な策はなかったという意見もあります。残忍とされる大量の爆撃機による超低空攻撃も、裏を返せば本来得意とする高々度からの爆撃では精度を欠き、戦果が乏しかったからともいえます。超低空攻撃そのものも米兵が慣れておらず、危険を冒してまで結果を出すにはこの方法しかなかったと。現在はピンポイントでの空爆ができるようになり、ひとえに軍事技術の向上が、もはや東京大空襲のような作戦を採らなくて済むようになった理由との解釈もあるのです。

◆「風化」が進む東京大空襲
 作家の早乙女勝元さんらの努力で大空襲の記憶を残そうという運動はあります。しかし同程度の被害を受けた原爆投下に比べて「3月10日」の知名度は低く、風化は間違いなく進んでいます。
  理由はいくつか考えられるでしょう。先に述べた通り米軍の空襲は約150か所で行われていて、「ヒロシマ・ナガサキ」の2か所だけの原爆投下に比べて印象が拡散しやすい傾向があります。また戦後の連合国軍(中心は米軍)による占領下で総司令部が発した「プレス・コード」(新聞遵則)や「ラジオ・コード」(放送遵則)で連合国への批判の禁止が発せられていて占領終了まで続いたのも空白期間を作ってしまった原因といえそうです。
 その間に首都東京はめざましい復興を遂げていきました。いったん焼け野原になった後での復興なので結果として大空襲のつめ跡を残すというより消し去っていく方向に進んでいき、正確な記録を多数残すといった作業が後回しになったのは否めないでしょう。
  でも、たった2時間の空襲で10万人の命を奪った悲惨さは今も昔も変わりません。イデオロギーを超えて「あの空襲は何だったのか」を考えるのは日本だけでなく世界中で意味のある行為です。忘れたくないものです。

間違わないで!

「の」がついてる

今日は、“建国記念「の」日”で、祝日です。
朝、ラジオを聞いてると、“今日は、建国記念日です。”と言ってた。
誰かは言わないけど・・・・・・・・・・・・・・。
間違わないで!
「の」がつくんだよ。

「の」がつくか、つかないかで、意味が違ってくる。

今日も「平和」に感謝して、一日過ごしたいと思います。


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