日々燦々 − はぁ〜、のんびり のんびり -

3月。桜はまだですが、花粉が飛び始めてます。一雨ごとに暖かくなってきました。今年もノンビリボチボチ頑張ります。

平和

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見に行きたいなあ。
 
「はだしのゲン」原画展始まる
「第2部」未公開下書きも
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展示された原画を眺める中沢ミサヨさん
 
 漫画家の故・中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた「はだしのゲン」の連載開始40年を記念して、広島市の原爆資料館で19日、「はだしのゲン原画展−生きて生きて生きぬいて」が始まった。中沢さんが構想していた「はだしのゲン」第2部の未公開の下書きや漫画の原画、パネルなど、同館が所蔵する約100点を展示する。9月1日まで。
 ゲンの第1話は1973年6月4日の週刊少年ジャンプ(集英社)に掲載され、87年に第1部が完結。中沢さんはゲンのその後を描く第2部の執筆に意欲を燃やしていたが、目が悪くなったことなどから断念、昨年12月に亡くなった。
 会場を訪れた中沢さんの妻ミサヨさん(70)は「改めて原爆シーンの迫力を感じた。ゲンはどんなことがあってもくじけず生きていけるという思いが描かれている。世代が代わっても読み継いでほしい。」と話した。
 開館は午前8時半〜午後6時。入場無料。同館(082・241・4004)。
命は続いていくんですね。
これから花が咲く度に、花が平和の大切さを語りかけてくれるのですね。
 
被爆アオギリ、種まき13年 初開花
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種をまいて13年にして、初め咲いたアオギリの花
 
 原爆で焼かれながら再び芽吹いた広島市の「被爆アオギリ」から種を取り、13年前に種をまいた「子の木」が今年初めて、三重県伊勢市二見町松下の「伊勢パールセンター」で花をつけた。小さなクリーム色の花が今月中旬まで見られそう。
 センターの小西蔀(しとみ)社長(77)が代表を務めるボランティアグループ「カラス会」が2000年に種5粒を譲り受け、敷地にまいた。発芽まで2年。5粒のうち1粒が樹高2.8mに育ち、6月28日からつぼみが膨らみ始め、開花した。小西社長は「木の生命力を通じて、子どもたちに平和の尊さを伝えたい。」と話す。

 被爆アオギリは爆心地から約1.5kmにあった「原爆の生き証人」だ。枝葉は吹き飛び幹も焼けただれたが、やがて新芽が出て実も付け、人々に勇気を与えた。今は平和記念公園に移植されている。広島市緑政課によると1992年から苗木や種を配布しており、昨年度は苗木65本を国内外計52カ所に、種は1580粒を各地に贈った。
まだまだ生きて声を僕たちに届けてほしかったですね。
ご冥福をお祈りします。
安らかにお眠りください、
 
山口仙二さん(日本被団協顧問)亡くなる
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1982年6月の国連軍縮特別総会で核廃絶を訴える山口さん
 
 山口仙二さん82歳(やまぐち・せんじ=日本原水爆被害者団体協議会顧問)6日、死去。通夜は7日午後7時、葬儀は8日午後1時、長崎県雲仙市小浜町北本町905の58の来迎舎小浜斎場。自宅は同市小浜町北本町。喪主は妻幸子(さちこ)さん。
 長崎原爆で被爆。1953年、ケロイドの植皮手術で入院中の患者会参加を機に反核運動を始める。56年に長崎原爆被災者協議会(被災協)を結成。同年8月の日本原水爆被害者団体協議会(被団協)結成にもかかわり、81年から2010年まで代表委員。82年6月、被爆者として初めて国連で演説して「ノーモア・ヒバクシャ」と呼びかけ核兵器廃絶を訴えた。82〜98年、被災協会長を務めた。03年に健康上の理由などで長崎市から長崎県雲仙市に移り住み、運動の第一線からは退いていた。今年6月から入院し、肺炎などの治療を受けていた。
 
「大事な人を亡くした」
悲しみに包まれる被爆者ら
 
 山口仙二さんの訃報が伝わった6日、長崎市の平和祈念式典で読み上げる平和宣言文の起草委員会が同市の原爆資料館であり、参加した被爆者らは悲しみに包まれた。
 長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄(すみてる)会長(84)は「初めから被爆者の運動を進めてくださった大事な人を亡くした。」と悔やんだ。昨夏に会った際には「お互い頑張ろう」と話し合ったといい、「直接、原爆の熱線を浴びた被爆者はどんどん減っていく。いつも『次は自分の番ではないか』と考えながら、頑張らなければいけないと思っている。」と語った。

 長崎原爆遺族会顧問の下平作江さん(78)は「あの廃虚の中からはい出して立ち上がり、一生懸命生きてこられた命が消えてしまった。」と泣き崩れた。「二度と私たちのように苦しむ人間を作らないでほしい、と願いながら、山口さんは息を引き取られたと思う。」と語った。

 また、日本被団協の活動に共に携わった広島県被団協の坪井直(すなお)理事長(88)は「残念でならない。若い時から頑張ってくれた人だし、海外でも命をかけて活動してくれた人。被爆者仲間からも『仙ちゃん』と親しまれていた。『安らかに眠ってください。残っている我々が頑張ります』というのが仙ちゃんへの送り言葉になる。」と語った。
残念です。
空から見守ってください。
ご冥福をお祈りいたします。
安らかにお眠りください。
 
中村文子さん
「1フィート運動」元事務局長亡くなる
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中村文子さん
 
 中村文子さん99歳(なかむら・ふみこ=「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」元事務局長)27日、呼吸不全のため死去。葬儀は29日午後4時、沖縄県浦添市伊奈武瀬(いなんせ)1の7の1のいなんせ会館。自宅は那覇市首里久場川町1の118。喪主は三男彰(あきら)さん。
 元小学校教師。平和運動に取り組み86年、米国立公文書館に保管される記録フィルムを買い取って上映する1フィート運動の会事務局長に就任した。会は今年3月に解散。

語り継ぐ

また暑い夏が巡ってきますね。
不戦の誓いを語り継いでいきたいですね。
 
大阪空襲・慰霊法要
犠牲者に誓う不戦の思い
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児童たちに語りかける東浦さん
 
 1万人近い死傷者を出した第3次大阪大空襲から68年目の6月7日、大阪市旭区の城北公園の北側にある「千人塚」前で慰霊法要が営まれ、空襲被害者や遺族ら100人が犠牲者の冥福を祈った。

 大阪は6月に入って相次ぐ無差別爆撃に見舞われた。1日、7日、15日、26日と、 計4回の大空襲によって大阪は廃墟と化した。7日の第3次大阪大空襲は午前11時9分に始まり、1時間半続いた。409機ものB29爆撃機が来襲し、大阪市北東部に焼夷弾と爆弾など2594トンを投下した。旭区や都島区から城北公園へ逃げ込んだ市民を、世界最強の戦闘機と言われたP51ムスタングの機銃掃射が狙い撃ちした。死者2759人、不明者73人、重傷者数は6682人に上る。

 法要の協賛会長である東浦栄一さん(83)も城北公園へ逃げ込んだ一人。「頭を打ち抜かれ、手足を飛ばされた人など、まるで地獄絵でした。」と振り返る。放置された身元不明の遺体は千数百体あまり。淀川堤防に運ばれ、火葬された。

 「鬼哭啾々 黒煙天に柱し、三日三晩に及ぶ」と伝えられ、東浦さんの父、栄二郎さんが庭石に「千人つか」と刻み、翌46年から慰霊法要を営んできた。
 父の遺志を受け継いだ栄一さんが私費を投じて法要を続けている。
  「命ある限り、続けていくことが私のつとめだと思っています。」

 栄一さんは「平和学習」で市内の小学校などで体験を語り、平和の尊さを訴えている。この日も高殿小や生江小の児童らが参列。小さな手を合わせていた。毎年、松山市から参列している愛媛県立松山城北(じょうほく)高等女学校の卒業生、川原節子さん(83)は体調を崩したため、欠席した。
 この日、東淀川区の崇禅寺でも慰霊祭が行なわれた。崇禅寺は6月7日の大空襲で全焼し、境内には多数の戦災死者が運び込まれて埋葬された。その後改葬、戦災死者慰霊碑が建立され、518人の名前が刻まれている。

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