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合掌
今日は、あの東北大震災から丸3年です。
震災で亡くなられた方々の冥福をお祈りします。
合掌。
それにしても、国は冷たいですね。
今日、確定申告に行ってよくわかりました。
火災被害の雑損控除の補助資料を持って行くと、
「和服は駄目」とか「琴や三味線は駄目(母はお琴の先生)」とか「本は駄目(僕たちの商売道具なのに)」とか言って、被害総額を削っていく。
可哀想だと思わないのかな?
何とかして、還付を少なくしようとしてる・・・・・・・・。
災害に遭ったのを可哀想に思ってくれないみたい。
これが現実か。
だから、東北の復旧・復興も遅れてるんだ。
今日は腹立った。
これなら自分で書いて、出せばよかった。
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震災・災害
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昨夜のニュースで見たけど、凄い水の量だ。
被害に遭われた方も大変ですね。
それにしても、凄い雨量ですね。
地球全体の気候が変わりつつあるのかな?
山形で豪雨、290人孤立
河川が氾濫、男性行方不明
吉野川の水位が上がり、押し流される資材置き場
日本列島は18日、大気の状態が不安定となり、東北を中心に激しい雨が降った。山形県では各地で河川の水位が上昇し一部で氾濫。同県大江町や南陽市は、付近の住民に一時避難指示を出した。東北は19日にかけて断続的に強い雨が降る見込みで、気象庁は土砂災害や河川の増水への警戒を呼びかけた。 土砂崩れも相次ぎ、山形県は同日夜、道路の通行止めで大蔵村、西川町などで計約90世帯約290人が孤立していると発表した。19日朝から復旧作業を始める。 気象庁によると、山形県鶴岡市ではこの地点の観測史上最多となる1時間に64.5ミリの非常に激しい雨を観測。24時間雨量は同県西川町で観測史上最多の約250ミリに達した。 同県舟形町では18日午後、自宅そばの用水路を見に行った会社員の男性(65)が行方不明になった。 同県南陽市では吉野川が一部氾濫し、市が近隣住民1280世帯に一時、避難指示を出した。川辺にある「赤湯自動車学校」では敷地に水が流れ込み、教習を中断。教習生ら約60人が消防隊の船などで避難した。教習車約50台のうち約15台が流れた。 学校の男性職員(32)は「あっという間に胸まで水がきた。無我夢中でロープで車を流れないようにした。」と話した。 南陽市の川沿いでサクランボを育てていた皆川栄次さん(60)は「まだ収穫が2割残っていた。泥に埋もれてしまい、どうしようもない。」と肩を落としていた。 3つの要因重なる 偏西風蛇行、
ゆっくり低気圧で雨雲急発達
東北に大雨を降らせた気象状況の概念図
18日の東北の激しい雨は、東北付近の日本海上空を東に向かって低気圧が進んだことに加え、北から寒気が流れ込んだことで大気の状態が不安定になるなど、3つの要因が重なり合ったことで発生した。
気象庁によると、 (1)偏西風が南に蛇行した影響で、大陸の寒気が東北付近に流入
(2)日本海上空の低気圧が偏西風の蛇行で流れに乗れず、東北付近をゆっ くり移動
(3)低気圧に向かって流れ込んだ東西の風が山形県付近でぶつかり合い、 上昇気流が生じて雨雲が急速に発達
の3条件が豪雨をもたらした。 今後も東北に梅雨前線が残るといい、同庁は「雨のピークは越えたが、数日はぐずついた天気が続く。」としている。 |
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いやあほんとにこの頃の降りは凄い。
短時間にどっと降る。
僕の所は、まだ時間短いけど、先日は鳥取の米子で1時間に100ミリ降ったみたいだ。
100ミリといえば10cmだよ。
水の集まるところは凄い量になったろうね。
ホント最近はおかしい。
これも温暖化の影響だろうな。
今夏のゲリラ豪雨、昨年の3.5倍
2012年8月、大阪市を襲った豪雨で冠水した道路
局地的に強い雨を降らせる「ゲリラ豪雨」について、民間気象会社「ウェザーニューズ」(千葉市)は17日、今夏は全国で昨年より3.5倍多く発生するとの予想を明らかにした。 同社は地方別に今年9月までのゲリラ豪雨の発生回数を予想。全国平均は200回で、関東甲信では前年同期の実測値と比べて3.2倍の250回、東北は同5.3倍の170回とした。 今後、7月下旬にかけては太平洋高気圧が強まるため大気の状態は安定する。しかし、8月上旬から中旬にかけ高気圧が弱まることで、大気の状態が不安定になり、全国でゲリラ豪雨が多発する見通し。 今夏は太平洋高気圧が例年より強いため、大雨の元となる湿った空気を引き込みやすく、昨年よりゲリラ豪雨が発生しやすいとみられる。 |
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農家の人が大変だね。
自然災害の影響は計り知れないね。
淡路島地震発生3カ月
ため池や井戸が干上がる
兵庫県・淡路島付近を震源とした4月の地震から13日で3カ月。震源に近い淡路市野田尾の摩耶地区では、ため池や井戸がほとんど干上がり、農業に影響が出ている。地震の影響で地下水位が低下したためとみられている。昭和南海地震(1946年)や阪神大震災(95年)の後にも同様の現象があり、三つの地震を体験した住民は「数年前にようやく元に戻ったのに」とため息をついている。 同地区は淡路島の東海岸から約3km内陸に入った標高300m前後の丘陵地にあり、18世帯が暮らす。摩耶山(359m)も近い。住民らによると、今回の地震後、地区のため池や井戸の水位が下がり、約20カ所あるため池はほとんどが干上がったり、水量が減ったりした。逆に、ふもとでは山からの湧き水が増えている。 昭和南海地震の時は、ため池や井戸の水が回復するのに7〜8年かかり、阪神大震災後は14〜15年後から水がたまり始めた。そのため、農地や水路などが荒れ、稲作を断念した農家もあったという。 井戸水でカーネーションを栽培してきた土井栄さん(78)は「4年ほど前からようやく水が戻ってきたが、また枯れてしまった。水道水を使うしかない。」と表情を曇らせた。 自宅近くのため池の水を田んぼに使っている農業、田尾満太郎さん(64)は「6月にまとまった雨があり、水がたまったので田植えをした。しかし2、3日でため池が干上がってしまった。これから出穂期にかけて差し水をしなければならないが、水が確保できない。」と困惑している。 産業技術総合研究所活断層・地震研究センター(茨城県つくば市)の松本則夫チーム長は「摩耶地区は花こう岩層のため、阪神大震災の時と同じように、今回の地震によって岩盤が伸び縮みして亀裂がいくつもできた。そのため新しい水の道ができて、ため池の水が流出しやすくなったのだろう。」と分析している。 |
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もう20年ですか。
この奥尻島の教訓を東日本大震災でも生かしてほしいですね。
描けなかった“島の姿”
「義援金、基金で残せば…」
奥尻島では、マスコットキャラクター「うにまる」(右)を登場させるなど観光振興に躍起だが、島を訪れる観光客は年々減少している
「当初は本当に奥尻を再生できるのか不安だった。」
昭和30年に完成後、一度も建て替えていない奥尻町役場。年季の入った庁舎内で、新村卓実(しんむら・たかみ)町長(60)は、「ここまで歩んできたのはたくさんのご支援のおかげ。」と感謝しつつ、こんな思いも口にした。 「もっと違うやり方があったのでは、という気持ちもある。」
北海道南西沖地震で甚大な被害を受けた奥尻町は、復興基本計画を策定するにあたり3本の柱を打ち立てた。 (1)生活再建
(2)防災まちづくり
(3)地域復興
−だ。
当時島で最も懸念されていたのは「島民の島外離脱」。それゆえ、力点は家や家財を失った島民に手厚い支援をすることで生活再建を促し、島に残ってもらうことにあったという。 土地を準備し、自宅を再建した場合は最大で約1400万円助成、商工業者にも約4500万円を上限に助成した。漁業者には漁船を用意し漁再開を助けた。 その結果、地震を理由に島外へ離れた住民はわずか3世帯。地震から5年を前にした平成10年3月、当時の町長は定例議会で「完全復興」を宣言した。 12日で地震から20年を迎える島は今、衰えを隠せない。 約4700人いた島民は高齢化が進み、現在3千人弱。当初の復興景気は徐々にしぼみ、復興事業にともなう多額の借入金返済が町財政を圧迫。観光客数は15年度の約5万8千人をピークに右肩下がりを続け、昨年度は約3万2千人まで減少した。 「過疎や高齢化は地震に関係なく、日本各地で同じ問題を抱えている。」 新村町長はこう弁明しつつ、「復興を考えていた当時、島では、将来の島の姿を考えることができていなかった。」と反省を口にする。
例えば被災者支援。原資は全国から集まった約190億円の義援金だった。 「島民のさまざまな要望を受け入れた結果、義援金を全て配りきった。後の産 業振興や住民サービスなどに充てるため、20億〜30億円を基金として残し ておけなかったことが悔やまれる。」 問題は次から次へと噴出してくる。島内42カ所に張り巡らせた緊急避難路は「5分以内の避難」を重視し、傾斜を急にした結果、高齢化が進んだ住民からは「これでは上りにくい」という声が上がる。 充実した復興支援が、結果的に今の生活を苦しめているとの声もある。ある町関係者はこぼした。 「土地や住宅の購入資金の援助を受け、分不相応な大きな家を建ててしまっ た結果、固定資産税や住宅ローンに苦しんでいる家庭もある。」
観光も同様だ。「震災当初は震災復興の作業員や奥尻を元気づけようという観光客も多数訪れた」と、島観光協会の佐野由裕(よしひろ)主任(31)。 「しかし、復興が進むとともに作業員は減り、応援してくれる観光客も去った。 そこまでに観光地として、島に人を呼べるものを打ち出せなかった。」
東日本大震災の被災地が得られる教訓は何か。 「未来を見据えた復興が必要なことは、みな頭ではわかっている。だが、被災 者の側に立てば立つほど半年先の復旧に取り組まざるを得なくなる。」 そう分析するのは災害復興に詳しい明治大学危機管理研究センターの中林一樹(いつき)特任教授(65)だ。 「奥尻では住民の離島を防いだことに行政が満足し、住民らと子供や孫にど んな島を残すか議論しなかった。」 190億円の義援金や764億円に及ぶ復興資金を奥尻に一極集中できた北海道南西沖地震とは違い、被害が広範囲な分、使える予算が限られる東日本大震災の被災地。すでに人口流出も始まっており、状況は奥尻よりも厳しい。
中林特任教授は言う。 「行政が苦手とする、地域の担い手や新たな地場産業の育成を、民間と連携 しながら進めて“被災地の未来”を描く作業を急ぐべきだ。奥尻から得るべき ヒントを防潮堤整備に求めるなら、過ちは繰り返される。」 11日で東日本大震災から2年4カ月。奥尻の20年は、被災地で流れる時間の速さも如実に伝えている。 津波から完全復興 今過疎の波津波からの避難施設「望海橋」の下で作業する漁師たち
死者・行方不明者230人が出た北海道南西沖地震から、12日で20年を迎える。津波に襲われ、198人が犠牲になった北海道・奥尻島(奥尻町)には、巨額の復興資金や義援金が投じられて防災施設が整えられたが、過疎に直面している。 町の被害総額は約664億円で、投入された復興事業費は約764億円。別に義援金約190億円が寄せられた。総延長約14kmの防潮堤が築かれ、漁港には海面からの高さが8mある人工地盤「望海橋(ぼうかいきょう)」が設けられた。津波の際に約2300人が避難できる。住民の高台移転も実現し、発生から5年後、町は「完全復興」を宣言した。 しかし、人口は地震前から4割近く減り、3千人を切った。主産業の漁業も資源回復がなかなか進まず、高齢化や後継者難もあって漁協組合員は400人から半減。東日本大震災の被災地から視察が相次ぐが、寂れように驚きの声が漏れる。 町は12日、追悼式を町立青苗中学校体育会で開く。 |




