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タイムスリップ!?
2日目、高梁の町散策へ。
宿を出て、無料と思っていた観光協会の駐車場へ。 実は有料だった。 早速市内観光へ。
まず最初に行ったのが、郷土資料館。
その前に紺屋川沿いにあるキリスト教会堂へ。 ここは、岡山最古の教会堂とのこと。 外からの眺めでしたが、風情がありました。 高梁基督(キリスト)教会堂
高梁基督(キリスト)教会堂は明治22年の建築。現存する県下最古の教会で、県の史跡に指定されています。
明治12年に始まった高梁でのキリスト教布教活動は、翌13年に新島襄(にいじまじょう)が来高すると急速に発展し、信者の浄財によって教会が建築されました。 県下初の女学校・順正女学校を創設した福西志計子(しげこ)や社会福祉事業家の留岡幸助(とめおか こうすけ)らを育てた教会でもあります。 紺屋川筋
『時代に守られてきた、美しい景観を歩く。』
高梁川に流れ込む紺屋川は、かつて備中松山城の外堀の役割を果たしていました。河畔には美しい桜と柳の並木道が続き、県下最古の教会・高梁キリスト教会堂や藩校有終館跡など情緒豊かな町並みが広がっており、「日本の道100選」にも選ばれています。春には満開の桜を見ることができます。
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岡山・倉敷
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天空の城塞 備中松山城
吹屋を後にして、一路高梁市へ。
まだ、少し時間があったので、備中松山城へ。
その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化しますが、な かでも天正2年(1574)に起こった「備中兵乱」時は「砦二十一丸」と呼ば れた出丸が築かれていたことが記録として残っており、臥牛山全体が 一大要塞となっていたことが伺えます。 当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の当方進出の拠点 として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行とし て赴任していた小堀政次・政一(遠州)父子により修改築がなされるな ど、備中の要衝としての役割を担っていたようです。以降、池田氏、水 谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が変わり明治維新を迎えます が、現存する天守などは天和3年(1683)に水谷勝宗により修築されたも のと伝えられています。 高梁市街地の北端にそびえ、「おしろやま」の愛称で市民に親しまれ ている「臥牛山(標高480m)」。北から「大松山」・「天神の丸」・「小松山」・ 「前山」の四つの峰からなり、南から見た山容が、草の上に伏した老牛 の姿に似ているとして、「老牛伏草山」とか「臥牛山」などと呼ばれ、備中 松山城はその頂を中心に全域に及んでいます。
現在、一般に「備中松山城」と呼ばれるのは、このうちの小松山の山 頂(標高430m)を中心に築かれた近世城郭を指し、天守の現存する山 城としては随一の高さを誇ります。場内には天守、二重櫓、土塀の一部 が現存し、昭和25年に重要文化財の指定を受けています。 また平成9年には、これら重要文化財を中心に、本丸の正面玄関とも いえる本丸南門をはじめ、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の 平櫓、土塀等が史実に基づいて復元されました。さらに傷みが進んだ 天守も平成15年には保存修理が行われて現在にいたっています。 山城なのと、土日祝日はシャトルバスが運行しているため、城下の8合目のふいご駐車場まで車が行かない。5合目の城見橋公園駐車場に車を置いて、シャトルバスでふいご駐車場まで。
そこからは歩き。 約20分の道のり。 登りはきつかった。 大手門は石垣だけ。
山城なので、規模は小さい。 でも、よくぞここにという天守はたたずまい。
ホントに登りはしんどかった。 広場から、城を見ると
同じ場所から、反対を見ると、
どうです。
眼下に広がる町、高梁市。
高いところにあるの分かりますか?
ホントに、高かったです。
麓から歩くと、片道1時間かかるそうです。
今度は、歩いてみようかな? |
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城か? 豪邸! 広兼邸
城かと見間違うばかりの石組みの屋敷。
これがかの有名な広兼邸です。
広兼氏は、大野呂の庄屋で、同家2代目元治が共和・文化の頃小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み巨大な富を築き、徳川末期に建てられた母屋・楼門、城郭とまがうばかりの石垣は、今もそのままに当時の富豪を偲ばせている。
映画「八つ墓村」のロケが行われ全国に放映され、有名になりました。 門に続く坂を登っていくと、物見櫓のような門が。
実際に、見張りを立てていたようです。
見張りの人がいる小屋のようになってました。
城の大手門のようでした。
誰に攻められるんだろう?
それにしても凄いお屋敷でした。
玄関や離れ、居間にはお雛様が飾ってありました。
お庭も広くはないけど、ちょっとした庭園でした。
昔は下働きの人がたくさんいたようです。
それを彷彿させる台所でした。
それにしても、昔の豪商というのは凄いですね。
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昔を偲ぶベンガラ館
正面:ベンガラ館入り口 右側:ベンガラ陶芸館
ベンガラは江戸中期(宝永4年:1707年)、全国で初めて吹屋で生産されて以来、江戸後期、明治、大正と大いに繁盛を続け、吹屋の街並みの基礎をつくりました。
ベンガラ館は、明治の頃のベンガラ工場が当時の姿に復元されたもので、資料館としてリフォーム。 ベンガラ景気にわいた頃の吹屋の町の姿や製造工程などを知ることができます。 《ベンガラ工程》
隣には、ベンガラ陶芸館がありました。 というのも、ベンガラは赤色顔料として古くから九谷焼・伊万里焼・京焼などの陶磁器の赤絵、輪島塗などの漆器、衣料の下染め、家屋・船舶の塗料などに使われてきた経緯があります。今は、体験教室などが行われているようです。 |
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笹畝坑道
昭和53年に復元、校内を見学できるようにしたもの。年中15℃前後で、外気とは別世界です。
ヘルメットをかぶって、入るのは初めてです。
これは、僕です。
ここは広かったですが、天井の低いところもたくさんありました。
所々にこういった人形があり、当時を偲ばせてくれます。
なんとこの奥には、日本酒の長期熟成倉庫もありました。
気温が一定してますからね。 |




