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これが実用化されると、何処でも乗り入れ可ですね。
四国へも乗り換え無しでいけるようになるのですかね。
山形や秋田の新幹線と同じなのかな?
夢のフリーゲージトレイン公開
「フリーゲージトレイン」を見学する来場者ら
JR予讃線で試験走行を行っている「フリーゲージトレイン」の2次試験車両が30日、伊予西条駅(愛媛県西条市)で公開され、鉄道ファンや家族連れ約千人が見学に訪れた。同車両の一般公開は四国では初めて。
フリーゲージトレインは、車輪の幅を変えながら、レール幅1435ミリの新幹線と1067ミリの予讃線の双方を走ることができる。 試験車両は3両編成で、ブルーと赤のラインが印象的な“近未来デザイン”。車輪の幅が変わる台車や、供給される電力に対応できるパンタグラフ、さまざまなデータを収集する測定器類などを備えている。 この日は同駅で歓迎式典が行われた後、さっそくお披露目された。 同市の市立橘小学校2年、藤原壮吾君(7)は「きれいな車両で乗ってみたい。」と話していた。
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四国
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なかなか粋ですね。
しばらく公開してくれないのかなぁ。
せめて7月いっぱい。
そしたら、見に行けるのに・・・・・・・・・・・・。
結婚後も描く?
武市半平太の美人画見つかる
初公開された武市半平太の美人画(右)などの掛け軸
坂本龍馬らを同志に土佐勤王党の首領として活躍した武市半平太(武市瑞山)のものとみられる掛け軸2点が高知市で見つかり、命日の11日、同市内の瑞山記念館で初公開された。
うち1点は美人画で、半平太は愛妻家として有名で結婚後、美人画は描かなくなったとされていたが、今回の発見で結婚後も描いていた可能性が指摘されている。
公開は13日まで。
見つかった掛け軸は、美人画(高さ約165cm、幅約60cm)と、子供がお手玉で遊ぶ様子を描いた「童女遊戯図」(高さ約115cm、幅30cm)。 2点は武市家と交流のあった高知市内の旧家に所蔵されており、明治維新関係の多数の著書で知られる松岡司・高知県佐川町立青山文庫名誉館長の鑑定で、筆づかいなどから半平太の作と分かった。 このうち美人画は、烏帽子(えぼし)を被った女性が舞っているような姿が描かれている。ていねいな筆づかいが特徴で、保存状態が良く、朱や緑の色も鮮やか。 半平太の美人画は数点現存しているが、いずれも名前や判は押されておらず、愛妻家としても知られていたため、描いたのは20歳の結婚前までというのが通説だった。 しかし、松岡名誉館長は、服装などからみて描かれたのは土佐の女性とは考え難いと推察。文献に半平太が安政3年(1856)に江戸で芝居を楽しんだとの記述が残っており、その際の女役者だった可能性があるとした。 また、童女遊戯図には、半平太が絵などに用いていた「瑞山」という墨書があり、その下に判が押してあった。 |
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見栄切りたかった!
それから、“ゴ−・ゴ−・ミッフィー展”へ。
そこで、京音ちゃんと寛人君に本を買った。 懐かしい本が、装丁も新しくなってたくさん並んでた。 洋書もあった。 大門をくぐって、参道途中より、旧金毘羅大芝居の金丸座へ。
海の科学館前の坂道を上っていった。 するとすぐ古い建物が見えた。 これかなと思ってみたら、“琴平公会堂”って書いてあった。
昭和7年に建造された物で、現在も使われているらしい。
それにしても古い。 「金丸座」といっても、誰も疑わないくらいの建物。 その公会堂の坂の上に、金丸座があった。
木戸をくぐって中に入ると、ガイドさんが案内してくれた。
「花道」の説明から始まって、「かけすじ」「ぶどう棚」「顔見世提灯」「すっぽん」「明かり窓」と説明。 それから舞台へ。 舞台では、「空井戸」「仮花道」「回り舞台」「セリ」「奈落」の説明をしてもらった。 それ以外には、「舞台裏の部屋」や「貴賓席」のことなども教えてもらった。 それから、舞台裏を通り、奈落に入って、再び玄関前に出て、二階を見学。 結構見応えあった。 1 花道(写真下中央、左下は空井戸)
舞台下手より直角に客席を貫き、鳥屋に通じている。(幅約1.3m、長さ約14 m)
2 すっぽん 花道の七三の位置にある切穴のこと。「スライド」式で、忍術使いや妖怪のたぐ いがこの穴からせり上がる。 3 かけすじ 役者などが宙乗りするための装置。(幅約65cm、長さ約17m) ↓ 4 廻り舞台
舞台中央にある直径4間(7.3m)の円形に刳り抜き、回転させることのできる 舞台。 5 セリ 廻り舞台にあり、「スライド」式に奈落と舞台を上下できるようになっている。 6 空井戸
舞台と花道の付け根に講じた半間四方の空枠。舞台下の奈落に通じており、 ここから出入りしたり、早替わりなどに用いられる。 7 明り窓 開閉することで場内の明るさを調整する。 8 顔見世提灯
興行の際、役者の番付の代わりをしている。(高さ約1.2m、幅約45cm) 9 仮花道 舞台上手より、直角に客席を貫いている。(幅約0.8m、長さ役14m) ↑
10 ブドウ棚
竹で編んだ格子状の天井。桜吹雪も散らすことができる。約500本の竹を使 用。 11 奈落
舞台や花道の床下の総称で、地獄の奈落を連想して、名付けられた。廻り舞 台やセリ・すっぽんの仕掛けを動かすための場所で、今でも全て人力で動かして いる。 《舞台からみた客席》
《客席2階から舞台をのぞむ》
《貴賓席から眺め》
《図面》
金丸座を見学した後、再び参道に戻って、参道口にある「虎屋」へ。
饂飩を食べた。(虎屋のかけうどん)↓ ホントは釜玉が食べたかったけど、ここは昔からの饂飩しかない。
「かけ」が、昔からの味だと聞いて、それにした。 まあまあだった。 店でて、隣のうどん屋で「生饂飩」買った。 帰りは、瀬戸大橋経由で帰ってきた。 結構見所満載の旅だった。
心残りは、「鳴門 ガレの森美術館」を見学できなかったこと。 まあ、近いから今度プチ旅行で行ってきます。 と思って考えてたら、7月に高知赤岡の「絵金祭り」に、今年こそ行く予定なので、その帰りに見てくることにします。
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表書院(5)
最後に裏側の「富士一之間」「富士二之間」
一之間の床の間には、雪を頂く富士の雄大な姿が、淡墨で瀟洒に描かれています。南側襖まで引かれる富士の稜線の先には、濃墨・淡墨であらわされた樹木が低く林立し、室内を取り囲むかのように東側襖へと続きます。
富士の裾野は、鎌倉武士たちによる巻狩が行われた場所として知られていますが、一之間に続く二之間には、源頼朝の一行が鹿を追う様子が描かれています。
室中にひろがる裾野を駆け巡る武士たちは、鮮やかな著色によって描かれ、力強く躍動感にあふれています。 この二室は、邨田丹陵(1872〜1940)が、伊藤紅雲・吉沼晩汀・佐藤千浦とともに明治35年(1902)に来訪した折に描いたものです。丹陵は、東京生まれで、はじめ吉沢素山に学び、のち川辺御楯のもとで土佐派を学んだ歴史画家として知られています。
表書院の西側になり、「山水之間」「上段之間」に面して、池泉鑑賞式庭園 「林泉」がありました。
象頭山十二勝の一であり、「前池躍魚」と称されて、よく文人墨客の詩歌にも詠まれました。 ホントよかったです。
欲を言えば、裏書院の若冲もみたかった。 |
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表書院(4)
「七賢之間」の奥に進むと、「山水之間」「上段之間」
この部屋は、諸大名が来訪した際の席でした。 《上段之間》
表書院の障壁画のうち最高傑作とされ、また応挙の画業を代表する山水図としても知られているのが、上段の床の間に描かれた瀑布図です。
《瀧》 右辺の瀧から勢いよく垂下し、中央の渓からの細流とともに激しく波打ちながら左へと流れ込む河川が描かれています。
《楼閣》 そして、上段の間の東側には楼閣が建ち、そこから臨む水辺の景が下段の間に広がっています。
《人家》 続いて、南側の襖の渓谷には点在する人家がみえます。
《山水之間》 あたりには金砂子の霞が漂い、深山幽谷の幻想的な世界を醸し出しています。
これはホントに素晴らしかった。
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