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(父の戦争体験記 「占守の春 」 No.1から続けてお読みください。)
3、トッカリ狩りと鴨叩き
島の生活も苦しいことばかりではない。
その頃は生活にも慣れ勿論、演習、作業もあり
また米軍上陸にそなえて対戦車の「池溝堀り」、それに
又「洞窟堀り」各班で交替でやっていた。
それでも日によっては身辺手入れ休みも
あり、その時はトッカリ狩をやるのである。
トッカリとはアイヌ語で「あざらし」のことである。
北千島に占守島近海にはこのトッカリが多い。
時により群れをなしてキーキー啼いて泳いでいる。
また海岸に上がってくることもさえあった。
然し、なかなか神経質な動物で人は近づけない。
時たま、この群れに出会うと小隊はこれから実弾
演習を行うと称え海岸から遠く米粒ほどの
トッカリを狙い撃ちするのである。
必ず一、二頭はが捕れた。
少し魚くさく大味であったがこのトッカリの
肉を各班に分け合ったものである。
時々食料補充として特別にトッカリ狩に
出される分隊があったが、このトッカリ狩に
運良く当った分隊はその頃天好(てんはお)、
天好隊と言われていた。天好(てんはお)
とは満語で上等と言う意味である。
ある寒い大嵐のあった翌朝のことである。
食料班付として村上崎の浜辺に昆布拾いに
出ていた村本二等兵が驚いた様子で一羽の
鴨をぶら下げて隊に駆け込んだ(私は
鴨と言っているが動物学的には鴨でなく
何か別名があるかもしれないがとにかく、
私には鴨と見られる渡り鳥の一種である)。
「班長殿!!大変です浜辺で鴨がたくさん
座ったまま飛べずにおります直ぐ来てください」
と「こくない、そんな馬鹿なことがこの世に
あーるかーにだ」東北出身の岩根班長は
大笑いしたが、あまり彼、村本二等兵が
熱心に訴えるので「どれどれ」と半信半疑で
5、6名の兵隊が班長の許可を得て夫々
手に棒を持って村上崎に出かけたのである。
いるわいるわ、あちこちに夜中の寒さと
大嵐の為か動けなくなった鴨共が?
或いは前に述べた通り鴨に似た
渡り鳥だったかも知れないのが座り込んで
波打際に又岩の陰に群れそして涙顔になった様に
ちょこんと座っていたではないか。
「それい鴨叩きだ、鴨叩きだ」と大声で夢中で
棒で叩く、ばたばたと暴れるのを一人が
十羽以上もさも重たそうに腰にぶら下げえ
意気揚々として引揚げて帰隊したのは、
ものの三十分も経ってからの事であった。
「それい所初年兵さんよ鴨汁だ!、今夜は鴨汁だ!」
と各班に分られて舌鼓を打ったが事実
北千島の孤島占守にもこんなユーモラスな
状況もあったのである。
その内中島中隊中村小隊では大工の経験兵
を集めて専属でパネル兵舎を建設する
ことになった。このパネル兵舎とは北千島
特有のもので簡単な梁組おした上に現今でも
建設工事に使用されているパネル板の古物を
内地から輸送しこれを梁に打付けて何とか
兵舎の形にしたものである。
この屋根の上には例の「がんこうらん」の
速成煉瓦を積み重ねて重しとしているのである。
すさまじい風と吹雪に備えて兵舎の土台は
掘り下げて屋根だけが外見表面に出るように
造られている。この時の梁木は総て村上崎の
古ぼけた缶詰工場の古木を肩で運んで神馬川
の基地に降しこつこつと造られたのである。
やっとこっさで中隊全員が入れる現地自活
第一歩の住家が出来上がったのである。
永かった幕舎生活を終わり新しい兵舎に移り
それからは何等の大した変化もなく訓練に
又洞窟堀に毎日が過ぎていった。
ー続くー
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