|
司馬遼太郎の大ファンであった亡き父が
残していた雑誌「司馬遼太郎 伊予の足跡」
です。
愛媛県、松山のアトラス出版が1999年に
初版で出した本です。
愛媛(伊予)を舞台にした「坂の上の雲」、
「花神 かしん」、「街道をゆく 南伊予・
西土佐の道」などの本、短編に関しての
豊富な話題の雑誌です。
司馬遼太郎 「宇和島人について」
の寄稿もあります。
「福田みどりさん 特別インタビュー」
で奥様の司馬さんの追想の話も
あります。
前にこのブログで話題にした「父の戦争体験記」
の際にも述べましたが司馬さんと父は
大学が同窓でした。今の大阪外語大学で
彼は蒙古語専攻で父は英語専攻
だったようです。司馬さんが一年先輩になった
ようです。
年令もほぼ同じで同窓ということで親近感が
あり彼の小説、エッセイ等が好きだったようです。
司馬さんのお手伝いさんが4代に続いて
宇和島出身の方々だと宇和島との
深い縁を父が嬉しそうに何度か
話していました。
最近に母から聞いたのですが
父が宇和島の某署長をしている時に
司馬氏と何かの集まりで会う機会
があったようです。
司馬遼太郎の愛した宇和島の「木屋旅館」
の話も何度か父から聞いた記憶が
あります。司馬さんが泊まって
本を書いていたようです。
母に最近「木屋旅館」の話をしたところ
母の実家の祖父と「木屋旅館」の
ご主人とは縁があったことが
判明しました。
実は母方の家の庭や山に
植木が多いのにちょっと
不思議だなあと子供の頃に思って
いました。
理由が何十年も経って
分りました。
「木屋旅館」のご主人は前は
花屋さんをされていたようです。
話は「坂の上の雲」に変わります。
主人公達である正岡子規、秋山好古(よしふる)
と秋山真之(さねゆき)兄弟は私の高校
と同窓になるので嬉しく思っています。
高校時代には秋山兄弟の話は
記憶では学校で聞いたことが
なかったです。
「坂の上の雲」がちょうど高校時代
に産経新聞・夕刊で連載中だったようで
当時はまだ秋山兄弟は今ほど有名で
なかったのかもしれません。
奥様が雑誌で述べられているのには
「司馬さんが惹きつけられる人が四国には
多かったということでしょう。特に
松山に多かったーーー」
正岡子規など松山のゆかりの人たちに
大変興味があったようです。
|