シギーのブログ談

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父が昔ピート・シーガーと1967年10月と1986年8月に
愛媛の松山で2度会った時の話題や写真を載せています。
また1970年頃のジョーン・バエズの広島でのコンサートで
彼女と会った話題とやはり写真を載せています。
ジュデイ・コリンズと松山城で一緒に写った写真もあります。
父親に電話で当時の事を聞き何枚か写真を送ってもらいました。


1970年頃地元の南海放送のラジオ番組において
私のデスクジョキーのコーナーに「フォーク・ソングを語る」で父が
ピート・シーガーとジョーンバエズの話題をした
放送に出たことがありました。父はこのテープを思い出し何十年かぶりに
聞こうとして巻き戻したところ古いテープなので端が切れて聞えなくなっていました。
それで私にこのテープを送ってよこしてきました。

修理して聞いたところ私の父ですが結構良い内容の放送番組と感心しました。
父は地方に住んでいる割りになかなかフォーク・ソングについて研究したと思いました。

父は尋常小学校6年生の時からバイオリンを習いハーモニカも好きで
よく吹いていたようです。宇和島商業学校ではブラスバンドに5年間所属して
ピッコロ、フルート、コルネットを吹いていようです。

音楽が大好きでよくバイオリンを弾いていました。
地元の老人会で学校のブラスバンドの後輩達と流行歌などを
バイオリンで演奏した話を楽しそうに電話で私に聞かせたくれました。
6年前に79歳で亡くなりました。

満州と北千島の守占島(シュムシュトウ)で悲惨な
戦争体験をした父なので反戦、平和を求めるフォーク・ソング
などに共感を覚えたのでしょう。送ってきたテープの概要を書きたいと思いました。
 

フォーク・ソングを語る/ 南海放送
 
アナウンサーの声でピート・シガーと手紙を交換したこともあり又
ジョーン・バエズと直接会ったことのあるーーーさんと紹介していました。
(ピート・シーガーの話題)
皆様フォーク・ソングを聞きましょう。父の声でした。

ピート・シーガーの「花は何処に行った」(Where Have All The Flowers Gone)
の曲が流れます。父の声で素朴で良い歌ですねと話し始めていました。
フォーク・ソングのアメリカにおける流行の話題をしてフォーク・ソングは
労働の苦しみからのがれるためにも歌われた
ことも話していました。ピートのプロファイルの話。ピートがニューヨークの郊外の
ビーコンに住んでおり丸太小屋のミュージック・ホールで毎日練習している話題。
あたらしいフォークの曲もここでつくていること。ハバード大学二年中退。
同期にはJFケネディー元大統領もいた話。

奥様はトシ夫人で日系とメキシコ人の混血であり父親は上田さんと言い
愛媛・北宇和郡・長浜町出身です。
ピートは大学の講堂などで歌い大衆の中に入りこみ
フォークを歌っています。アメリカでフォーク・シンガーの神様と言われていても
服装も無頓着でだぼだぼのジャンパーに
どた靴でバンジョを肩にさげて歌っています。フォークの曲は親しみやすく
誰にも歌いやすい。愛と平和を訴えています。等など。

God Bless On The Glass のアルバムの話題があり
ピートがバンジョ奏者としてもアメリカで著名であると言って
A Girl Left Behind というバンジョだけの彼の演奏曲をかけていました。

(ジョーン・バエズの話題)

最近日本の雑誌で話題になっているジョーン・バエズについて
と言いながら彼女の簡単なプロファイルを話していました。
平和と愛を訴えるフォーク・シンガー。現在26才(1970年頃)でニューヨークの
リッチモンドで生まれました。父親はメキシコ人で母親はイングランドと
スコットランドの混血。高校を出てボストンに移り住んでいました。父親と
妹と一緒にコーヒ店に行きそこでアマチュアのパーティがあり
フォーク・ソングを歌っていました。ジョーンはフォークに感動し
それからギターと歌の勉強を始めました。彼女の友人がフォーク・ソングを
もっと勉強したいならビーコンにいるピート・シーガーのもとへ行ったらと
彼を紹介しました。ジョーンは丸太小屋のミュージック・ホールに感動し、また
ピートの奥様のトシ夫人にも感銘しました。ピートの後輩になりそれ以降フォークに
身をゆだね今日の有名なジョーンになりました。

ジョーンの代表曲のドナ・ドナ(DONNA DONNA)が流れる。

何回聞いても言い歌ですねドナ・ドナはと父がしみじみと喋っていました。
その年の1月19日広島でジョーン・バエズのコンサートに行きジョーンと会った
時の話題を始めました。ピート・シーガーの奥様の従兄弟である
父の職場の同僚と一緒にこのコンサートに出かけました。

トシ夫人から特別招待券を送ってもらっていました。ジョーン・バエズは
反戦歌を歌う闘志のイメージよりも実際に会うと口元に微笑みをうかべた
魅力のある女性でした。父は松山のこと、ピートが長浜の小学校で
生徒と一緒にフォークを歌った話題を彼女にしました。ジョーンはよく知っている
といって懐かしがって喜んだと話していました。松山から持っていた
姫だるまの人形と手毬を土産に彼女に上げると「Beatiful」と
大変喜びました。覚えたばかりの日本語で「ありがとう」
とお礼を言いいました。ジョーンのコンサートはステージ衣装を一度も替えずに
2時間ギター一つで綺麗な声で歌いつづけました。妻も身を乗り出した
美しい声に心を打たれて聴いていました。 

「雨を汚したのは誰だ」のジョーンが歌う曲が流れます。

少年が汚れた雨に濡れる内容の曲でドナ・ドナに次いで好きな曲である
と父は話していました。

父の青春時代に話が飛んで昭和18年4月から19年11月まで北千島
の占守島(シュムシュ)で戦争体験した話を始めました。最北端の
岬にはロシアの兵隊が見えました。昆布 60% 玄米 40% の昆布飯をよく食べました。
生野菜がなかったです。侘しい孤島では歌が恋しくなりました。満州から移動してきた
隊で青森、秋田,沖縄,(愛媛)などからの兵隊がいました。沖縄出身の戦友が
バイオリンを作ろうと提案して廃品でなんとかバイオリンを作りました。
父がバイオリンを弾き皆で流行歌を歌いました。

歌は労役など苦しい時に生まれまた慰めてくれるます。
フォーク・ソングは平和と自由を求めている歌。
平和の輪が大切です。最後にジョーン・バエズの歌う
「勝利をわれらに We Shall Overcome」を流してこの

ラジオ番組が終了していました。


父がピート・シガーに2度目に会った1986年の8月には
松山の旅館でピートがバンジョで一緒にお孫さんと歌いそして父もハーモニカで
フォーク・ソングを一緒に演奏する機会があったようです。

父は田舎の元公務員で労働基準局に勤めていて労働者問題に関わっていました。
退官後は社会保険労務士の仕事を72歳までしていました。

ピートはアメリカの労働者の歌を集めた本なども出しており公民権運動、反戦運動、
環境問題などフォークの歌を通して世界的に幅広く活躍しています。

二人の共通なところは音楽が大好きで平和を望んでいるところです。

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