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(父の戦争体験記 「占守の春 」 No.1から続けてお読みください。)
5、がんこうらんのパイプと乾燥かぼちゃの空缶のヴァイオリン
あんな忌まわしい事件が二つも重なり。やがて又吹雪のすさぶ冬期を
迎える準備に追われるようになった。占守島ではその頃兵隊の
間で手製の煙草パイプ作りが流行した。
兵隊は赤ん坊のようなもので何故かこの孤島では食べて
働き寝る、そして楽しみは自分の私物である。
パイプ、スプーン、財布、お守り入れ等の持ち物を出しては
ひっこめ、磨いては眺めたり後生大事にしている習慣
になったものである。
無理もないこの孤島では当然再び容易に手に入らない
品物であるからだ。その内、誰が考案したのか
「がんこうらん」の根っこに焼いた針金を芯通しし、
それに薬莢(やっきょう)をやすりで輪切りにして
口金にし煙草パイプを作るのが流行した。
時々大きい瘤々(こぶこぶ)とした「がんこうらん」
の根っこのパイプは磨きに磨かれて骨董品地味
た価値があった。事実内地でも「がんこうらん」の
ステッキと言えば当時大した値がしたとのことであった。
徳島出身の新矢上等兵が私に良いのを作ってくれたが
当時煙草好きであった私はこれに金鵄(きんし)を
はさみ深々と煙を吸い得意としていた。
(現今では煙草を見るのも嫌いであるが)
「兵長」、と或る日同年輩の竹田上等兵が
ダルマ・ストーブに小枝をくべながら話し込んだ。
占守はもう寒くパネル兵舎の中もストーブが
置かれていた。そして配給の少ない石炭
と小さい植物の枯れたもの、海岸に時々
打ち上げられた流木が燃料であった。
「兵長はヴァイオリンが巧かったの、満州では
記念祭とか演芸会でやったじゃないか。
北千島ではさっぱりだのう、然し俺は考えたんだ、
ヴァイオリンを作れや」と、私は「何っヴァイオリンを作れ、
どうして作るんだ」と思わず答えた。
「なあに出来るぞ大工の村田と長谷部一等兵に
頼めや。弓の毛は俺が山砲隊に公用連絡が
あったときに馬さんの尻から挟(はさみ)で切って
来てやるぜ。「うーん」と私は思わず唸った。
「ほんとうだぞ、うーむ!!ヴァイオリンの弓の
雌馬の尻尾の毛も手に入るぞ。やれば
出来るかも知れない」と作ってみる気分
が私に湧いてきた。
「しかし竹田よ!!ヴァイオリンは胴が曲がっているし
難しいぞ、戸棚を作るのとは訳がちがうぞよ」と
言ったところ竹田上等兵は大柄の身体をゆさぶり
目をくるくるさせて「なあーに曲がったところは
乾燥かぼちゃの空缶のブリキで廻せば
よいじゃないか」と答えたのであった。
なるほど出来るぞと私は思い、その夜は
ヴァイオリンが出来れば長らく離れて
いた音の世界に戻れると興奮で
寝つかれなかった。
翌朝点呼を済ませると早々私は大工の
村田と長谷部一等兵に来てもらい
この話をしたが、二人はヴァイオリン
を見たことはあるがどんな構造か
さっぱり分らないと言っている。
私は絵図面を書いて渡した。
それから二、三日程たって二枚の
どうやらヴァイオリンらしい胴板
が出来上がった。それに指板も、
又一枚の胴板には響孔も出来上がっていた。
二枚の胴板の縁に取り付けた上に小釘を打ちつけて
やっと胴が出来上がったのであった。
絃は通信隊で使用していたピアノ線の古いのを
代用として張り駒も置きぴんと張った。
私は祈る心地で夢中で絃をはじいた。
鳴る、鳴るではないか!!ヴァイオリンの
音に似た可愛いい音だ、私は小踊りして
喜んだ。ピチカットが出来る。
それから竹田上等兵が話したのか間もなく中隊の
平少尉がやってきた。
彼はギターの上手な沖縄出身のどっしりとした色黒の
男であった。彼もよく満州ではギターを弾いて
低音の声で歌っていた。特に「クンパルシータ」
が好きな人であった。
「兵長、ヴァイオリンを作ったそうじゃないか、
一曲聴かせろ」と私の班内に入るなり言われた。
彼もこの占守島で音楽に飢えた一人であった。
「少尉殿、駄目なんです。弓が出来ないんであります。
馬の尻尾の毛を誰か山砲隊からもらってくれれば
いいんでありますが」と私は残念そうに言った。
すると平少尉は「よおし俺が中島隊長に
話してやる」と言ってすぐ帰った。
翌日竹田上等兵が十二キロ程離れた山砲隊に
公用連絡を兼ねて出張し帰りに一握りの
馬の尻尾の毛を掴んで帰ってくれたのである。
私は作っていた弓らしきものに早速くこの黒い
雌馬の尻尾を取り付けた。「あつそうだ松樹脂が
ないぞ、松樹脂をさがさねば音がでないぞ」と
気がついた。幸いなことに樹脂の出る松板が
一枚あった。これをストーブの火で炙(あぶ)り
この板に弓の毛を当て、ごしごしとこすりつけた。
そして私は一寸この弓でヴァイオリンを絃を
こすった。
「鳴った鳴った万歳」と、とんきょうな声で叫んだのは日頃
流行歌の上手な沖縄出身の長嶺一等兵であった。
私の胸は高鳴った。何年振りで手にした自作の
ヴァイオリン!!胸を張ってホーマン(バイオリン
の基本)の姿勢をして!!
早速その頃歌われていた流行歌である「いとしあの星」、
「支那の夜」、「上海の花売娘」等を弾き続けた。
長嶺はじめ班の全員が歌った。小さい音ながら
よく鳴るではないか!!
その翌日から楽しみが一つふえたのである。
私の直接上官杉山班長も「兵長、一曲やれや」
と言って流行歌ばかり弾かされていた。
クライスラーもシューマンもあったものではない
流行歌を聴くことが唯一の慰みであったのである。
ー続くー
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