シギーのブログ談

マーチャント・バンク、インベストメント・バンク、投資銀行、航空機ファイナンス、音楽、グルメなど雑談を気ままにしています。

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司馬遼太郎の「街道をゆく 南伊予・
西土佐の道」の本です。

地元の呼び方では「南予 なんよ」が
一般的だと思います。

この本を読んだきっかけで愛媛にある
歴史のある町並みの景観の良さに
気がつきました。

特に卯之町(うのまち)を評価
していたようです。

車では何度も松山から宇和島に行く途中に
卯之町を通ったり卯之町が目的
で寄ったこともありました。


何か古めかしい建物のある町だなあとの
記憶がありましたが特に感動はそのとき
は覚えませんでした。

本で司馬さんと同行している須田画伯
が卯之町の中之町(なかのちょう)の
町並みを見て感嘆の言葉を発して
いるのに注目しました。

「ここは大変な町(ところ)です。京都だって
奈良だってこんな一角がありますか」
との言葉でした。

私は本当かなあと思う反面、私はよく
見ていなかったことに少し後悔を
しました。

卯之町の町並みHP

http://www.city.seiyo.ehime.jp/kanko/uwa_bunka.html#02


松山からもっと近い内子町(うちこ・ちょう)
の話も少し述べていました。

江戸末期、明治に蝋燭(ろうそく)の商売で
栄えた町です。蝋燭店の商家が
かなり残っており風情のある
町並みです。

4年半前に内子を再訪しました。

幾たびか訪れた町ですが
蝋燭店のあった商家の町並み
のところは初めて寄りました。

いやあ昔にタイム・スリップした
感じの歴史のある通りを
歩きました。

この十数年ぐらいで有名になった
芝居小屋の「内子座」にも
寄りました。

内子町観光協会HP

http://www.we-love-uchiko.jp/


本では内子から南へ下る大洲の城下町の
話がありました。

大洲には春にはツツジの花で小さな山全体が
ピンクや赤色にそまる富士山(とみすやま)
があります。この山の話題も
されていました。

車で山頂まで登ったり、JR予讃線 に
乗った際には窓際からよく眺めて
いました。

伊予の小京都・大洲市HP

http://www.city.ozu.ehime.jp/outer/ss/index.php




大洲から先ほど述べた卯之町を
とおり吉田町(よしだ・ちょう)
そして宇和島のことが
詳細に案内され昔の
エピソードなどが語られて
いました。



宇和島を好んだもう一人の
作家の獅子文六(しし・ぶんろく)
の本「てんや わんや」です。

オリジナルは「毎日新聞」に
連載小説として昭和23年から
24年に書かれたようです。

大変に人気のあった小説
だったらしいです。

若い世代の方は知らない人が
多いと思います。

私自身も名前は父からよく
聞いていましたがこの本
を読んだのは10年ほど前でした。

父の書棚に獅子文六
の全集らしきものがあったのは
覚えていましたが長年の間、読んだ
ことはありませんでした。

宇和島の岩松(後の津島町)が舞台
で大変ユーモアに富んだ面白い
小説です。

獅子文六の奥様が岩松の出身
だったようです。家族で宇和島に疎開
していたようです。

かつての漫才コンビ「獅子てんや・瀬戸わんや」
の芸名はこの小説からとったみたいです。
若い世代の人達は知らないと思います。

映画もあるようです。古いですが。

第二次大戦の戦後間もない頃での
宇和島あたりでの奇想天外な
話のようですがかなり宇和島人
のタイプを上手く表している面も
あると思いました。

この本で宇和島近くにある
桃源郷のような町や
鰻(うなぎ)の話を知りました。

松野町の鰻は美味で
有名なことも後に
知りました。

今は高知の四万十川が
有名ですがJR宇和島から
四万十川へ行ける
トロッコ列車などがあります。

愛媛県側の松野町は途中にあります。

松野町の天然鰻の参考HP

http://www.tabite.net/shikoku/food/11/index3.htm

私は知らずに鮎の料理を
食べましたが家族は鰻
をいただいていました。

後から鰻が旨いと聞き
残念に思いました。

家族はたまたまテレビ番組
を見て情報を得ていたようでした。

1999年の再刊本「てんや わんや」を
東京で買って読みました。

作家の村松 友視( ともみ)
さんが後書きとして「解説 戦後日本人の
原型を描く」のタイトルで説明しています。

大衆小説でいっきに読める
愉快な本です。

少し艶(つや)のある話題もあります。

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司馬遼太郎の大ファンであった亡き父が
残していた雑誌「司馬遼太郎 伊予の足跡」
です。

愛媛県、松山のアトラス出版が1999年に
初版で出した本です。

愛媛(伊予)を舞台にした「坂の上の雲」、
「花神 かしん」、「街道をゆく 南伊予・
西土佐の道」などの本、短編に関しての
豊富な話題の雑誌です。

司馬遼太郎 「宇和島人について」
の寄稿もあります。

「福田みどりさん 特別インタビュー」
で奥様の司馬さんの追想の話も
あります。

前にこのブログで話題にした「父の戦争体験記」
の際にも述べましたが司馬さんと父は
大学が同窓でした。今の大阪外語大学で
彼は蒙古語専攻で父は英語専攻
だったようです。司馬さんが一年先輩になった
ようです。

年令もほぼ同じで同窓ということで親近感が
あり彼の小説、エッセイ等が好きだったようです。

司馬さんのお手伝いさんが4代に続いて
宇和島出身の方々だと宇和島との
深い縁を父が嬉しそうに何度か
話していました。

最近に母から聞いたのですが
父が宇和島の某署長をしている時に
司馬氏と何かの集まりで会う機会
があったようです。

司馬遼太郎の愛した宇和島の「木屋旅館」
の話も何度か父から聞いた記憶が
あります。司馬さんが泊まって
本を書いていたようです。

母に最近「木屋旅館」の話をしたところ
母の実家の祖父と「木屋旅館」の
ご主人とは縁があったことが
判明しました。

実は母方の家の庭や山に
植木が多いのにちょっと
不思議だなあと子供の頃に思って
いました。

理由が何十年も経って
分りました。

「木屋旅館」のご主人は前は
花屋さんをされていたようです。

話は「坂の上の雲」に変わります。

主人公達である正岡子規、秋山好古(よしふる)
と秋山真之(さねゆき)兄弟は私の高校
と同窓になるので嬉しく思っています。

高校時代には秋山兄弟の話は
記憶では学校で聞いたことが
なかったです。

「坂の上の雲」がちょうど高校時代
に産経新聞・夕刊で連載中だったようで
当時はまだ秋山兄弟は今ほど有名で
なかったのかもしれません。

奥様が雑誌で述べられているのには
「司馬さんが惹きつけられる人が四国には
多かったということでしょう。特に
松山に多かったーーー」

正岡子規など松山のゆかりの人たちに
大変興味があったようです。

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