シギーのブログ談

マーチャント・バンク、インベストメント・バンク、投資銀行、航空機ファイナンス、音楽、グルメなど雑談を気ままにしています。

マーチャント・バンク

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マーチャント・バンク(Merchant Bank)
という言葉が昔に比べて金融関係の記事
等で見ることが少なくなっています。

投資銀行の中にマーチャント・バンキング
(Merchant Banking )部門を置いている
のはGoldman Sachsなどのホーム・ページ
で見ていました。

リーマン・ブラザーズの話題で投資銀行
(Investment Bank)の言葉がよく使われて
いますがこの言葉も変容していきそうです。


最近では米国の著名投資家ウォーレン・バフェット氏
の担当だったゴールドマン・サックスの元副会長
Byron Trott 氏がMerchant Banking Fund を
立ち上げるという記事を見たぐらいです。

ネットでチェックしてみると外資ファンド会社の中に
Merchant Banking Fund というのは
結構ありました。

先週もブルームバーグの記事にロンドンの
クラインオート・ベンソン(Kleinwort Benson)
のMBOの話題がありましたがPrivate Bank
の会社の方でした。

Kleinwort Bensonはかつては名門のマーチャント・
バンクの一社でした。

投資銀行についての本は数多くありますが
マーチャント・バンクに関してはあまり
ないようです。

1987年初版、スタンリイ・チャップマン著
「マーチャント・バンキングの興隆」という本を
かつて読みました。

マーチャント・バンクの先達として
ロスチャイルド商会とベアリング商会
の話題がありました。

マーチャント・バンクの古い歴史、
変容が書かれていました。

ベアリングズ銀行(Barings Bank )
は1762年にロンドンで設立された最も
古いマーチャント・バンクのようです。

「女王様の銀行」とも呼ばれていた
ようです。

1997年初版「私がベアリングズ銀行をつぶした」
という本が興味深かったです。

著者のニック・リーソン(Nick Leeson)は
同社のシンガポール・オフィスのトレイダーで
先物取引部門責任者だったようです。

彼の父親は左官でありどうも大学卒では
なかったようです。

イギリスに比べると家柄、学閥にあまり関係ない
アジアのインドネシア、シンガポール
のオフィスで実績を上げて頭角を
現していたようです。

阪神大震災の影響を受けて日経平均の先物、
日本国債のポジションなどで大損したようです。

マーチャント・バンカーにはオックスフォード大学卒
やケンブリッジ大学卒など名門大卒が多いです。

私のかつてのイギリス人上司や親しかった
亡き元イギリス人の同僚も上記の
大学卒でした。

損失隠しの事件の発覚する半年前に
私はもしかするとニック・リーソンの上司
ではないかと思われる役員にベアリングズ社の
ロンドン本店で会いました。

莫大な金額の損失が発覚して
老舗のBaringが倒産するとは
予想外でした。

当時は何故にイギリスの中央銀行が
助けなかったかと話題になりました。

イギリス中央銀行にはベアリングの
長年のライバルであるロスチャイルドからの
影響が強いとのことで陰謀説など
もありました。

真偽は分りません。

本などによると同社の上層部の商品知識不足と
リスク管理の不備が原因だったようです。

本のカバーでは1763年設立となって
います。

230年の歴史があったマーチャント・
バンクが1995年に崩壊しました。


投資銀行のリーマン・ブラザーズと
同様にショックな出来事でした。

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スペインの電力会社FECSAではニュー・ヨークでの案件締結(Closing)に幹事会社担当者として
出席しました。アメリカの弁護士事務所M&Tで事前の契約書類のチェックをFECSA担当者、PA氏、弁護士を交えて行いました。調印日には契約書の調印、資金決済の確認も終わり順調にClosingしました。

夕方にはスペイン側の人達が宿泊している高級なウォルドーフ・アストリア・ホテルに
集まって地下にあるバーで夕食前の酒を飲み談笑しました。ほろ酔い加減になってホテルの外に出るとPA氏がリムジンをアレンジしてあり車の中のソファーに座ってまたウイスキーなどを皆で飲みながらグリニッジ・ビレッジ辺りにあったスペイン・レストランに向かいました。

派手なもてなしであり映画の「WalL Street」の上映前でしたがマーチャント・バンカーやインベストメント・バンカーの華やかな姿を見聞できました。

もう一人は別のやはり大手米銀のグループC社のPA氏でスペインの電力会社向けのファイナンスやギリシャやハンガリーの中央銀行などの数百億円にのぼる資金調達に関する案件をリース会社にアレンジしていました。彼は幻のオリンピック選手だったようです。元ボート選手でモスクワ・オリンピックに出る予定がオリンピックの開催が政治問題でながれた時の選手だったようです。体のがっちりしたエネルギシュな若いアメリカ人でした。電力公社の場合は電力設備などを使って割賦販売(Sale&Buy Back)の形をとって融資をしていました。ハンガリーの中央銀行の場合いも割賦販売の形をとっていましたが実質はシンジケート・ローンであり邦銀の担当者からは後に篭脱(カゴヌケ)リースと呼ばれ始めました。仲介のAsset 資産は膨大な数の自動車を使っていました。資産の売却代金がローンの資金に変わります。

邦銀が海外への長期の円ローンが出せない時期であり日本のリースが仕組みを作ることにより円建ての長期のファイナンスが出来ていたのを非難するものでした。

リース会社は通産省の管轄であり同省は当時の日本の国際化の時代的な背景もありリース会社の国際的な取引にサポートしていたと思います。直接ローンだとリース会社でも当時の大蔵省に許可を得るために届けなければいけませんでした。届けても許可は得られないと思われていました。

マーチャント・バンカーは欧米や日本の弁護士などと相談して法律、規制の問題のない(抜け穴的な場合もある。)契約形態を知恵をだしてつくっていました。非常にスマートだと感心していました。海外との契約の時に活躍する渉外弁護士(国際弁護士)というのを知ったのもこの頃でした。日本人の渉外弁護士が100人ぐらいいるかいないかの時代でした。

ニューヨーク州を扱う当時は数少ないアメリカのM&Tという日本の東京事務所で航空機や篭脱けのリースの契約書を日本のリース会社のために作成していました。 代表幹事の担当者としてスペインの電力会社FECSAとFENOSA2社の円建て100億円、と150億円の割賦販売案件(実質シンジケート・ローン)に携わりました。

一人は米銀CM社のバンカーでアジアでトップクラスであるC航空会社向けBoeing747-レバレジッド・リース(節税効果を得られる取引)を初期にアレンジしたPN氏です。大手日本のリース会社が幹事の地位が欲しくて彼のところに日参していました。調印式はいつも第三国のフィリピンで行われ日本側の調印関係者は招待券で同社の航空機に乗って参加していました。契約書に添付する印紙税が第三国ではかからなく航空券を無償で提供しても印紙税を考えると割安になるのでフィリピンのホテルで調印式が行われていました。

フィリピンのペニンシュラー・ホテルでのC航空会社向けジャンボ・ジェット機
案件クロージングに幹事会社の担当者の一人として私も参加したことがありました。契約書調印式の数分前まで航空機のエンジンに保険がかかっていなことが問題になり他の保全策をイギリスCT法律事務所弁護士、当事者間で必死に検討していたことを記憶しています。

調印式で挨拶をするPN氏は背が高くハンサムで立派でした。
調印式が無事終了し出席者全員でシャンペンを飲み干すときは幹事会社担当者の一人として忙しかった疲れも忘れ喜びを感じました。金のサインペンを記念品として今も持っています。

海外の政府、政府系機関、大企業との取引をアレンジするマーチャント・バンク( Merchant Bank )という金融機関があることを知ったのは1980年代初めにリース会社の国際部で仕事をするようになってからです。ロンドンが本拠地の伝統的なクライオート・ベンソン、ヘンリー・シュローダー、SGウォバーグなどのマーチャント・バンクなどが日本でも活動していました。

海外の航空会社向け航空機のリースの商売やハンガリー、ギリシャ、アルジェリアの政府機関やスペイン、ポルトガルの電力公社などに実質シンジケート・ローンを提供するビジネスを日本のリース会社が行っていました。国際的に活躍し始めた日本のリース会社に米銀系のマーチャント・バンクが目をつけそれらの海外案件をリース会社に仲介していました。マーチャント・バンカーは航空会社や借入先からの契約条件の交渉、案件マンデート(Mandate 委任)の取得、契約書の作成(ドキュメンテーシヨン Documentation)、調印式のアレンジ、Closing (契約締結) までを幹事リース会社のためにアレンジャーとして行なっていました。

1982年頃に出会った二人の米銀系マーチャント・バンカーのことが特に印象に残っています。当時、米銀はロンドンにあるマーチャント・バンクを真似てマーチャント・バンクの子会社をロンドンに設立していました。そしてアジアの拠点として香港にマーチャント・バンクの子会社もつくっていました。

彼らはその駐日代表事務所勤務であり名刺にはCapital Market Group (資本市場グループ)となっていました。今では日本の金融機関でもキャピタル・マーケットとは当たり前に部署としてありますが当時はまだ日本では珍しく私にはかっこいいひびきでした。彼らは日本のリース会社に海外向けリース案件をアレンジャーとして紹介した先駆者達でした。

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