シギーのブログ談

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先日の金曜日にテレビをつけたら民放の番組で興味の
ある番組がなくNHKにチャンネルを変えました。
ラッキーにもジャズピアニスト、
国分弘子さんのジャズピアノの初回の番組でした。
午前10:30の趣味選というタイトルでした。
ジャズを演奏又は聴く初心者にはためになる番組
でシリーズのようです。

国分弘子さんの演奏は20年前くらいに東京の
1の橋にあったライブ・ハウス「Good Days]
で聴いたことがありました。
有名になってからテレビで何度か演奏を
聴いたこともありまいした。

ベテランのジャズ・ピアニスト前田憲男さんとの共演も
あり良かったです。

「Good Days」ではボーカルの井上真紀さんも
デビュー間もない頃に聴いたことがありました。

私のホーム・ページ「シギーのジャズ的アドリブ道」
の雑記長に1999年と古いですが彼女達の話を
少し載せてます。
テーマは私が大好きな「Beautiful Love」の
曲についてです。曲名がまず気に入りました。

何かの参考になるかも知れないので転載
します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://www5a.biglobe.ne.jp/~shiggy/zakkichou.htm
1999年10月2日
ジャズの新番組・Beautiful Love の曲。

今日早朝の東京テレビでJAZZの番組が10分間だけあった。
予定時間は 0:35 −0:45 A,M.
だったが何かの番組が延長になったためか30分ほど
遅れてスタートした。秋の新番組であった。
定期番組だと思う。

10年前頃にも確かJTB提供でジャズの定期番組が
テレビであり日本の有名なプレヤーが演奏
していた。今も何本か録画したビデオが残っている。J
AZZ番組が復活するのはジャズファンの
私にはとても嬉しい。半年前頃からフジテレビの
11:50P.M.スタートのニュースジャパンの特集で

ジャズの巨人の番組が月に一度程ありクリフォード・ブラウン
の演奏曲を日野てるまさ氏、チャリーパーカー
の演奏曲を渡辺貞夫氏が演奏していた。
特集だけではなくまたジャズの定期番組が
あればと願っていたので本当に嬉しい。

最近の深夜番組はあまりにも低俗な内容が多いので
センスのいいプロデユーサーだと思う。
今日の番組ではMy Foolish Heart を井上真紀さん
が歌っていた。懐かしかった。

7年前ぐらいまで東京の一の橋にGood Days という
洒落たライブハウスがありそこで彼女の歌を何回か
聴いた。Good Daysではやはり有名になった
国分弘子(ピアノ)さんも演奏していた。
弘子さん宛ホームページ
で見つけたURLでメールを送ると返事が来て喜んだ。
彼女の返事にはGood Daysから私を知っているなんて
昔からチェックしていただきありがとうというような
内容であった。Good Days のお店が閉店し残念だ。

番組終了に流れていた曲が私の大好きな ” Beautiful Love” 
の曲だった。トランペットで流麗に吹いていた。
Hiro 川島氏が吹いているようだ。

”Beautiful Love"は私が大学時代に聴いていた
渡辺貞夫のMy Dear Life
のラジオ番組で彼が演奏したのを聴きマイ・フェイバリット
になった。下手だが私もアルトサックスを自己流
で練習していたのでこの演奏を録音してテーマーと
アドリブをコピーをしようとした。テーマはコピーはできたが
アドリブは私の力では無理だった。
この曲は渡辺貞夫の演奏しかずっと知らなかったの
だが昨年御茶ノ水のジャズライブハウス”ナル”で
大学の大先輩の辛島文雄トリオがこの曲を演奏し
感激して聴きいた。

辛島さんは有名なエルビン・ジョーンズ(ドラム)の
メンバーに所属していた。
辛島さんとは話したことがなかったが初めて挨拶をした。
大好きな曲を演奏してもらい感謝した。

今年横浜の伊勢崎町の中古CD店でMcCoy Tyner(ピアノ)
のNew York Reunion のCDを買った。
好きなテナーサックス・プレヤーのジョー・ヘンダーソンも
加わっており嬉しい事に”Beautiful Love ”の曲が
入っていた。すごく綺麗に歌っているラブソングである。
Jazzには本当に恋愛を主題にした素敵な
曲が多いと思う。

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「Beautiful Love」の演奏ではジャズ・ピアニストで
有名なビル・エバンス、辛島文雄の演奏が入った

のCDがあります。



女性ボーカルではケイコ・リー、古いですが

アニタ・オディも素敵です。

イメージ 1

イメージ 2

アルト・サックス、ソプラリーノ、フルートのジャズ演奏家の
渡部貞夫の長年のファンです。

1960年代後半に父親が買った雑誌に海岸の岩の上だったかでサックスを
吹いている写真がありました。かっこいいと思いました。
小学校6年生の頃でした。

高校の頃だったか父親が彼のボサノバの曲などを集めたレコード
を買っていました。マシュケナダの曲など乗りがいいなあと
思っていました。

1972年に大学に入ってからはFM福岡で渡辺貞夫が多様なジャズを
演奏する「My Dear Life」の番組をほぼ4年間ずーと聴いていました。
また彼のコンサートを1973年に福岡で初めて聞きました。上下茶色のビロードの
服装で決めいて洒落ていました。

大学4年の時にジャズ喫茶行脚した際に東京の新宿にあるジャズ・ライブ・ハウス
「Pit In」で彼の白熱のライブを聞いたこともありました。

東京で勤めるようになってからは六本木の「Pit In」で彼のライブ
を聴いたりや渋谷の文化村の「オーチャードホール」
で彼のクリスマス・コンサートを楽しむこともありました。

ブルーノート東京で渡辺貞夫とアルト・サックスの巨人である
ジャッキー・マクリーンとのジョイント・ライブが2000年
にありました。ブルノート東京にライブの感想を私が
投稿した記事を掲載したいと思いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(掲載記事)

「渡辺貞夫ミーツ・ジャッキー・マクリーン」のライブを感動もので
楽しんできました。公式には初めての共演ということで期待
していました。

二人のアルト・サックスプレイヤーは大学生時代からの
私のアイドルで夢の共演でした。まず「Groovin' High」の
曲から演奏が始まりました。初演ということもあり最初どちらから
テンポをとるか譲り合っているようでした。

渡辺貞夫の方がカウントをはじめました。
両人の4バース演奏(4小節づつ交互に吹き合う)
は圧巻でした。聴いたことのある曲が何曲か続きました。
ほとんどチャリー・パーカーのナンバーだったと思います。
二人のサックス演奏者はパーカーを敬愛しています。

分かったのは「Confirmation」、「Parker's Mood」でした。
あとバラードになりマクリーンが「Left Alone」を切々と
哀感を帯びた音色で吹きました。アドリブが素晴らし
く中音、高音と歌っていました。日本人がこの曲が
大好きなので相変わらずの私達へのサービスでした。

渡辺貞夫のバラードも音色が美しく流麗でした。
残念ながら曲名は分かりませんでした。

渡辺貞夫と握手ができないかと願っていましたが
チャンスは訪れました。演奏前に彼がブルー・ノート東京の
雰囲気になれるためか入り口近くに座って会場の様子
を眺めていました。この時にサインをいただき30年ぐらい
のファンだと話しました。

演奏後も妻と一緒に少しまた話す機会がありました。
もう一つサインしていただきました。

最初の演奏のためか「せっかく初日でたくさん
来ていただいたのに乗らなかったです。」
のようなことを言っていました。

本当にファンのことを気遣う心優しい人柄だと感じました。
戻ってからチャリー・パーカーのCDと渡辺貞夫のCDを聴きました。
アドリブ、音色が両者に何となく似ていました。
二人のサックスプレイヤーの素晴らしい
ブルー・ノート東京での演奏をまた思い出しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は秋になってジャズが心地よく
聴けるのでブログを書きながら
「Sadao Watanabe Deluxe」
のCDをかけて聴いています。
大好きな曲ばかりです。

これからジャズを聴いてみようと
思われる方にはお勧めです。


Disc 1.
イパネマの娘、黒いオルフェ
マシュケナダ
いそしぎ
フライミー・ミー・トゥ・ザ・ムーン
等17曲

Disc 2.
カリフォルニア・シャワー
モーニング・アイランド
デサート・ライド
マイ・デア・ライフ
等12曲

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Phil Woods Quartet
Keystone Korner
June 1979

今から約30年前のライブ・体験記であるがサンフランシスコに旅行した時に
乗ったタクシーの黒人の運転手にライブの店を尋ねました。私がジャズが好きだと言うと
えらい彼が乗ってきてサッチモ(ルイ・アームストロング)がどうのこうのと彼は
黒人ジャズメンのことを喋りぱなしでした。

私があまり英語を聞き取れないのと現地の黒人のくせのある英語でさらに
分からないので喋るのに任せていました。ジャズの生演奏が
聴ける店を教えて欲しいと頼むとKeystone Korner まで走ってくれました。
運転手は相変わらず目的地に着くまで私に語りかけてきました。
私の頭の中はどんなライブ・ハウスかと考えていました。

嬉しいことにPhil Woodsカルテットのライブでした。私が大学時代最初に
福岡のジャズ喫茶Comboで聴いたAlto Sax プレヤーで大好きな
演奏家の一人でした。本当に何か縁があるなと思いラッキーな
一日だと思いました。

もうすでに観客が列をなして壁絵のある場所に並んでいました。
やっと入店したところ身分証明の要求がありパスポートの
提示をしました。私が多分だいぶ若く見られ成人かどうか疑わしかった
のかも知れません。手にスタンプを押してもらい
アルコール(酒)もオーダーしていいとの烙印を貰いました。

店内に入りステージを見ると風変わりな絵が描かれていました。
暫らくしてしてフィル・ウッズがサックッスを持って現れました。
髭を生やしており少し腹が出ていました。最初の何曲かは知らない曲でした。

チュニジアの夜の曲を演奏したころからPhil Woodsのプレイを目の前で聴いている
と思うと体が熱くなり涙が出てきてハンカチで拭いました。
(涙もろい性格です。)

彼のサックスの音色は輝くように綺麗でアドリブは流麗でした。
彼がアルト・サックス演奏家で神様的な存在のチャリー・パーカーを
慕っており白人の中でも最もパーカー派であることを
感じました。バラードも吹いていましたがBody And Soul だった
ように記憶しています。

演奏の休息中にピアノの腰掛けに載せているPhil Woods のAlto Sax
を写真に撮りました。絵になる写真であり額にいれ私の部屋に
今も飾っています。下から遠慮がちにフイル・ウッズの
写真も撮りました。

それから彼の生演奏はずっと聴いていませんでした。
Phil Woods の演奏はBenny Carterが1995年5月に
来日した時のメンバーとしてまた聴く事が出来ました。

Blue Note 東京がオープンしてから大学時代には想像もしていなかった
有名なプレーヤーが今はすぐ目の前で見られますが私のように
当時愛媛の松山に住んでいた者にはKeystone Konrorの
ライブ体験は忘れがたいものでした。

(現在 Keystone Korner は閉店しています。)

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黄金のJohn Coltrane のカルテット時代にピアノを
演奏していたマッコイ・タイナーのライブを2000年2月にBlue Note 東京で又
体験することが出来ました。特に今回は演奏前にバーのカウンター
近くに彼をたまたま見つけ私が嬉そうに彼を見つめると
マッコイも微笑んでくれました。優しい顔だったです。 

前回の1999年12月にザ・ラテン・ジャズ・オール・スターズと
の演奏で見たときよりもマッコイは少し痩せており
老けた感じでした。握手のお願いをしました。気持ちよく
応じてくれました。昨年エルビン・ジョーンズとも握手を
することが出来たと彼に話しました。
前も使ったフレーズですががあなたの手を通して
コルトレーンに触れたいと伝えました。
ニッコリとまた微笑んでくれました。

マッコイは日本語で「今晩はありがとう。」と喋って
くれました。大学時代にアルバムのジャッケットやスイング・ジャーナル誌
で彼の演奏する顔を見て大学の友人の顔に似ていると
思ったことがありました。一本気な性格の友人でした。
目が鋭い感じも似てました。
若い頃のマッコイはワイルドな感じのイメージでした。

ビデオの「コルトレーンの世界」でマッコイがピアノを演奏
するのを見ると全身全霊をこめてピアノに向かって演奏しています。
ライブで見ても彼のピアノを弾く手の早さには驚いてしまいました。
大きな体ですが小川のせせらぎのような華麗な音を
弾いたり彼特有の左手で力強く鍵盤をたたきコードなどの音階
の音を出し曲を盛り上げたりしていました。

コルトレーン・カルテットのメンバーであるマッコイと
直接握手し会話する事ができ前のエルビンと
同様に学生時代には信じれない体験ができました。
ラッキーな一日でした。

マッコイ・タイナー・ピアノトリオにチコ・フリーマン(サックス)
がゲストに加わったライブでした。

演奏は4ビートの曲のメロウ・マイナー(Mellow Minor ?)で始まりました。
チコ・フリーマンのSax がソウルフルでよくスイングしてました。
4小節づつピアノ、サックス、ドラムと
掛け合い演奏をして4ビートの曲を楽しみました。

次はジョン・コルトレーンのレイジー・バード(Lazy Bird)の演奏で
マッコイのモーダルなアドリブがコルトレーンの演奏を彷彿させました。

マッコイの母への曲のように聞えたミスビーはバラードのような部分もあり
綺麗なメロデイーでした。マッコイがより心を込めて引いているように感じました。

ジャズ・サンバの曲が続きチコが前に座った客席の綺麗な女性を見ながら
セックシーに激しく演奏していました。アーロン・スコットのドラムソロも
サンバのリズムを延々とやっており強弱をつけたすごいテクニックでした。
ちなみにベースはエブリィ・シャープでした。
マッコイのラテンのリズムでプレイする演奏を又体験して
コルトレーン時代とは違った彼独自のピアノスタイルのすごさに感銘しました。

チコ・フリーマンの曲のエボルーシヨン(Evolution?)はサンタナのブラック・
マッジック・ウーマンのようなラテンのリズムでマッコイ、チコの激しいアドリブに魅了されました。
チコはテナーからソプラノに持ち替えていました。相変わらず一人の日本人の
女性に向かって吹いていました。黒人の立派な体格と激しい演奏に
どうも女性も魅惑されているようでした。日本人の男性の一人と
してこれはマズイと不安に感じました。

マッコイのリリカルなピアノ演奏もありました。曲名は分かりませんでした。
最後の演奏とアンコールの曲が続きました。
黄金のコルトレーンのメンバーであった老熟した
ピアニストとコルトレーンを敬愛しているサックスプレヤーの
ライブに酔いしれた一夜でした。

エルビンの時と違ってマッコイの楽屋に行くチャンスはなかった
ですがチコとは会ってサインをもらい話す機会がありました。
彼が女性を見ながら演奏していた
話題をすると笑っていました。やはり彼も女性を愛する
典型的なジャズマンでした。(言葉を変えるとスケベです。)
録画したジャズ・フェステイバルの中で大西順子がジョニー
グリフィンをスケベなおじさんと喋っていたのを思い出しました。

ただRikoのSax演奏はコルトレーンのように同時に2音だす
奏法や長々と吹き続ける循環奏法や楽器を完全に鳴らしている
(Blow Out)いいSax Playerです。グロバー・ワシントン・ジュニアを
よりワイルドにいやらしくした顔つきでした。
 

McCoy Tyner のサイン
Shiggy 宛

Afro Blue, Blue Bossaなど大好きな曲があり
その他Festival in Bahia,Poinciana,
A Song For Love, La Habana Sol
We Are Our Fathers' Sons

1999年12月のBlue Note 東京のメンバーと
ほとんど同じ。フルートのDave Valntinの
音色とパワーのすごさに驚嘆した。
Gary Bartz (Sax)の演奏も凄かったです。

Chico Freeman のサイン

シギーの最近のお気にいりのCD

大好きなBeatiful Love の曲も入っており
他にはRecorda Me, Miss Bea,
What is this thing called love, My romance, Ask me now,
A quick sketch, Home と 8曲。

McCoy Tyner (Piano)、Joe Henderson(Tenor Sax)
Ron Carter (Bass)、Al Foster(Drums)
とメンバーも豪華です。

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父が昔ピート・シーガーと1967年10月と1986年8月に
愛媛の松山で2度会った時の話題や写真を載せています。
また1970年頃のジョーン・バエズの広島でのコンサートで
彼女と会った話題とやはり写真を載せています。
ジュデイ・コリンズと松山城で一緒に写った写真もあります。
父親に電話で当時の事を聞き何枚か写真を送ってもらいました。


1970年頃地元の南海放送のラジオ番組において
私のデスクジョキーのコーナーに「フォーク・ソングを語る」で父が
ピート・シーガーとジョーンバエズの話題をした
放送に出たことがありました。父はこのテープを思い出し何十年かぶりに
聞こうとして巻き戻したところ古いテープなので端が切れて聞えなくなっていました。
それで私にこのテープを送ってよこしてきました。

修理して聞いたところ私の父ですが結構良い内容の放送番組と感心しました。
父は地方に住んでいる割りになかなかフォーク・ソングについて研究したと思いました。

父は尋常小学校6年生の時からバイオリンを習いハーモニカも好きで
よく吹いていたようです。宇和島商業学校ではブラスバンドに5年間所属して
ピッコロ、フルート、コルネットを吹いていようです。

音楽が大好きでよくバイオリンを弾いていました。
地元の老人会で学校のブラスバンドの後輩達と流行歌などを
バイオリンで演奏した話を楽しそうに電話で私に聞かせたくれました。
6年前に79歳で亡くなりました。

満州と北千島の守占島(シュムシュトウ)で悲惨な
戦争体験をした父なので反戦、平和を求めるフォーク・ソング
などに共感を覚えたのでしょう。送ってきたテープの概要を書きたいと思いました。
 

フォーク・ソングを語る/ 南海放送
 
アナウンサーの声でピート・シガーと手紙を交換したこともあり又
ジョーン・バエズと直接会ったことのあるーーーさんと紹介していました。
(ピート・シーガーの話題)
皆様フォーク・ソングを聞きましょう。父の声でした。

ピート・シーガーの「花は何処に行った」(Where Have All The Flowers Gone)
の曲が流れます。父の声で素朴で良い歌ですねと話し始めていました。
フォーク・ソングのアメリカにおける流行の話題をしてフォーク・ソングは
労働の苦しみからのがれるためにも歌われた
ことも話していました。ピートのプロファイルの話。ピートがニューヨークの郊外の
ビーコンに住んでおり丸太小屋のミュージック・ホールで毎日練習している話題。
あたらしいフォークの曲もここでつくていること。ハバード大学二年中退。
同期にはJFケネディー元大統領もいた話。

奥様はトシ夫人で日系とメキシコ人の混血であり父親は上田さんと言い
愛媛・北宇和郡・長浜町出身です。
ピートは大学の講堂などで歌い大衆の中に入りこみ
フォークを歌っています。アメリカでフォーク・シンガーの神様と言われていても
服装も無頓着でだぼだぼのジャンパーに
どた靴でバンジョを肩にさげて歌っています。フォークの曲は親しみやすく
誰にも歌いやすい。愛と平和を訴えています。等など。

God Bless On The Glass のアルバムの話題があり
ピートがバンジョ奏者としてもアメリカで著名であると言って
A Girl Left Behind というバンジョだけの彼の演奏曲をかけていました。

(ジョーン・バエズの話題)

最近日本の雑誌で話題になっているジョーン・バエズについて
と言いながら彼女の簡単なプロファイルを話していました。
平和と愛を訴えるフォーク・シンガー。現在26才(1970年頃)でニューヨークの
リッチモンドで生まれました。父親はメキシコ人で母親はイングランドと
スコットランドの混血。高校を出てボストンに移り住んでいました。父親と
妹と一緒にコーヒ店に行きそこでアマチュアのパーティがあり
フォーク・ソングを歌っていました。ジョーンはフォークに感動し
それからギターと歌の勉強を始めました。彼女の友人がフォーク・ソングを
もっと勉強したいならビーコンにいるピート・シーガーのもとへ行ったらと
彼を紹介しました。ジョーンは丸太小屋のミュージック・ホールに感動し、また
ピートの奥様のトシ夫人にも感銘しました。ピートの後輩になりそれ以降フォークに
身をゆだね今日の有名なジョーンになりました。

ジョーンの代表曲のドナ・ドナ(DONNA DONNA)が流れる。

何回聞いても言い歌ですねドナ・ドナはと父がしみじみと喋っていました。
その年の1月19日広島でジョーン・バエズのコンサートに行きジョーンと会った
時の話題を始めました。ピート・シーガーの奥様の従兄弟である
父の職場の同僚と一緒にこのコンサートに出かけました。

トシ夫人から特別招待券を送ってもらっていました。ジョーン・バエズは
反戦歌を歌う闘志のイメージよりも実際に会うと口元に微笑みをうかべた
魅力のある女性でした。父は松山のこと、ピートが長浜の小学校で
生徒と一緒にフォークを歌った話題を彼女にしました。ジョーンはよく知っている
といって懐かしがって喜んだと話していました。松山から持っていた
姫だるまの人形と手毬を土産に彼女に上げると「Beatiful」と
大変喜びました。覚えたばかりの日本語で「ありがとう」
とお礼を言いいました。ジョーンのコンサートはステージ衣装を一度も替えずに
2時間ギター一つで綺麗な声で歌いつづけました。妻も身を乗り出した
美しい声に心を打たれて聴いていました。 

「雨を汚したのは誰だ」のジョーンが歌う曲が流れます。

少年が汚れた雨に濡れる内容の曲でドナ・ドナに次いで好きな曲である
と父は話していました。

父の青春時代に話が飛んで昭和18年4月から19年11月まで北千島
の占守島(シュムシュ)で戦争体験した話を始めました。最北端の
岬にはロシアの兵隊が見えました。昆布 60% 玄米 40% の昆布飯をよく食べました。
生野菜がなかったです。侘しい孤島では歌が恋しくなりました。満州から移動してきた
隊で青森、秋田,沖縄,(愛媛)などからの兵隊がいました。沖縄出身の戦友が
バイオリンを作ろうと提案して廃品でなんとかバイオリンを作りました。
父がバイオリンを弾き皆で流行歌を歌いました。

歌は労役など苦しい時に生まれまた慰めてくれるます。
フォーク・ソングは平和と自由を求めている歌。
平和の輪が大切です。最後にジョーン・バエズの歌う
「勝利をわれらに We Shall Overcome」を流してこの

ラジオ番組が終了していました。


父がピート・シガーに2度目に会った1986年の8月には
松山の旅館でピートがバンジョで一緒にお孫さんと歌いそして父もハーモニカで
フォーク・ソングを一緒に演奏する機会があったようです。

父は田舎の元公務員で労働基準局に勤めていて労働者問題に関わっていました。
退官後は社会保険労務士の仕事を72歳までしていました。

ピートはアメリカの労働者の歌を集めた本なども出しており公民権運動、反戦運動、
環境問題などフォークの歌を通して世界的に幅広く活躍しています。

二人の共通なところは音楽が大好きで平和を望んでいるところです。

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