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(父の戦争体験記 「占守の春 」 No.1から続けてお読みください。)
2、あっ青い海が見える
帰隊して早々私は中島中隊でも最も老齢の士官、山本中尉の小隊に配された。
病気上がりの為である。それから山本隊は先発隊となって分屯し、
中島中隊の幕舎を設営することになったのである。
いずれ自力で各隊はパネル兵舎を建設するのであるが、
一時しのぎに幕舎を何ヶ所も作って行った。そのうち
やがて本隊がやって来た。この新しい駐屯地名は西出より
約20キロ離れた「神馬川 かんばがわ」と言われる
地点であった。
本隊が到着してから「全員整列」が
かけられ、中島中隊長は暮れかかった火山地帯特有の
ゆるやかな丘に立って、これからの北方の守りに
つぃての心構えを厳に注意した。そして現地に
パネル兵舎を作るまでは幕舎生活である旨付け加えた
のであった。その後約一週間の間は身辺手入
を兼ねて休養に入ったがこの間に思わぬ事件が
起きたのである。
中島中隊傘下松本隊の山田二等兵は実によく
働く男であった。元外国船の乗組員をして
いたとか船員にしては珍しい程のやさしい男であった。
事件のあった前夜である、何よりも島の私物で
大切な一士官の腕時計が紛失したのである。
この事が班長を経て週番士官に知れ
中島中隊全員が調べられたが結局その紛失の
夜に軍歌演習を休んでいたこの山田二等兵に
嫌疑がかかったのである。
時計を盗んでも直ぐ判るではないかと思われるが、
若し他隊と合流した場合、何より欲しい煙草
とか甘味と交換出来たのである。
中隊人事係の小石准尉は一見鼻高のハンサム
であったが能面のような顔の男であった。
彼は東北の農家の出身者であったが神経質
なところはあっても根からの悪い男ではなかった。
この小西准尉が山田二等兵を尋問したのである。
軍の人事係としては立場上責めざるを得なかったの
であろう。私は小隊も別であったし、どんな状況か
知らなかったが当日一人残っていた山田二等兵を
相当責めたらしい。
その翌朝、「山田二等兵が自殺した」と言うニュース
を点呼に際し聞かされたのである。
何でも彼は嗽水(うがいみず)に使用していた
過マンガン酸カリの粉末を大量に
飲み幕舎の近くの草原で虫の息となっていたのである。
大隊本部から軍医が駆けつけ衛生兵が飛び手当て
をしたが、温和な山田は苦しみながら息絶えていた。
私と親しい木下衛生兵の話では彼が息絶える直前に
「あっ海が見える、青い海が見えるーー星ーー」
と何回かうわ言を言いながら冷たくなっていった
とのことである。マドロス当時を思い浮かべて
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この時の時計の犯人はその後も出なかったが
何でも誰か古兵の一人であると噂されていた。
ー続くー
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