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人生、波瀾万丈
私のこと、語ります・・・。本当にあったことと創作が混ざってます・・・。

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2人の若者が見た町

この間、facebookの曽ヶ端さんのページでシェアされていて、
なるほどーと感じたお話をこちらでもシェアします。

シェアしていたのでした。

イメージ 1














ある町の入り口に一人の老人が座っていた。

そこに、よその町から一人の若者がやって来た。

若者は老人に尋ねた。
「この町はどんな町ですか?
どんな人たちが住んでいますか?」

老人
「君はどんな町からやって来たのかね?」

若者
「僕がいた町は、利己的で悪賢い人が多かった。
安心して住めない、ひどい町でした」

老人
「この町も同じようなものじゃよ」

若者は疑いの目で老人を見ると、
町に入っていった。
そして間もなく、
老人が言ったとおりの町であることを知った。

そのしばらく後、別の若者がやって来て、
老人に尋ねた。
「この町はどんな町ですか?
どんな人たちが住んでいますか?」

「君はどんな町からやって来たのかね?」

「僕がいた町は、やさしくて親切な人が多かった。
とても住みやすい、素敵な町でした」

「この町も同じようなものじゃよ」

若者は老人にお辞儀をすると、
町に入っていった。
そして間もなく、
老人が言ったとおりの町であることを知った。

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イメージ 2













この寓話は、講演などでもよく耳にする話なので、
ご存知の方も多いかもしれませんね。

僕たちはものごとをありのままには見ていません。

ものごとに自分が意味づけをして、
その意味を見ています。

ものごとに自分の心を投影して、
その投影を見ているのです。

つまり人は、外界を通して、
自分の内面を経験しているのです。

ということは、僕たちは、
自分の内面にないものは経験できない
ということですね。

たとえば、
僕たちが花を見て「美しい!」と感動するのは、
心の中にある「美」を投影して、
「美しい」と感じているのです。

「美」は僕たちの心の中にあるのです。

犬や猫は、花を見ることはできても、
花の美しさを感じることができません。

犬や猫の内面には、
「美」という理念がないからです。

これはつまり、犬や猫が生きる世界には、
「美しい花」は存在していないということです。
(植物の一種としての花は存在するでしょうけど)

また、僕たち人間も、
執着心に囚われているときや、
競争心・闘争心で心がいっぱいのときは、
花の美しさに気づかないまま、
見過ごしてしまいます。

そんなときは、僕たちが住む世界に
「美しい花」は存在していないのです。

僕たちは、
自らの内面を投影した世界に住んでいます。

自らの心の“ありよう”を映し出した世界に
住んでいます。

周りの人が善意の人ばかりに見えるときは、
僕たちの心の中の善意が周りに投影されているのです。

周りの人が悪意の人ばかりに見えるときは、
僕たちの心の中の悪意が周りに投影されているのです。

物理的には、
「一つの客観的な世界に、すべての人間が住んでいる」
という見方ができますが、

心理的には、
「それぞれの人間は、
それぞれの主観を投影した世界に住んでいる」
という見方ができるわけです。

それぞれの人間が、
それぞれの主観を投影した世界に住んでいるのであれば、
「僕たち一人ひとりの数だけ世界がある」
ということになります。

つまり、自分が住んでいる世界と、
相手が住んでいる世界は、
実は“違う世界”であるということになります。

しかし僕たちは、
自分が見ている世界こそが客観的な一つの世界である
と勘違いしていて、
その客観的世界(実は自分が見ている主観的世界)に
相手も住んでいるものだと思い込んでいます。

そのため、相手の「感じ方、ものの見方」が
歪んで見えるのです。

「君は何を見ているんだ? 何を考えているんだ?
私が提供した情報を知れば、結論は明らかだろう。
どうしてそれが理解できないんだ?
君には事実が見えないのか?
君は『ものの見方』が歪んでいるよ」
なんて言ったりするのは、

「相手も自分と同じ世界が見えているはずだ。
だって、世界は一つしかないんだもん」
という、おそるべき思い込みがあるからなんです(^^;

「相手は自分と違う世界に住み、違う世界を見ている」
という真実に気づくと、

相手の「感じ方、ものの見方」を、
「私には計り知れないもの」として
敬意をもって尊重することができます。

河合隼雄先生が、ご著書の中で、
「人の話を聴くときは、
『相手にとっての真実(その人にとっての真実)』に
耳を傾けることが大切」
と述べておられます。

「自分にとっての真実」と「相手にとっての真実」は
違っていて当然なのですから、

「自分こそが客観的な真実を見ている」
という思い込みを手放し、

「相手にとっての真実」に、
畏敬の念をもって耳を傾けることが大切なのですね。

<自分本来の力を発揮する生き方>

今、期間限定で、僕の講演の動画を公開中です。




イメージ 3













自分の見方が世界に反映していると言ったらいいのか
自分が見ているように、世界は現実化する・・・って
最近、しみじみと感じます。

前々から、そうじゃないかな、とは思っていたのですが、
実感できる出来事が続いたので、やっぱり・・・という
感じなんです。

私は、接している人々をみんな家族や兄弟のように
思っているので、みんなも私を家族や兄弟のように
接してくれます。
ほんと、居心地がいいです。
子供のときに戻ったような、そんなほっこり感をいつも
感じています。

こんなに居心地が良くていいのかなぁ〜って感じるときも
ありますがそれでいいんだ、って思います。

じゃぁ、今のこの境地に至る前に、なんだか居心地の
悪い感じがいつもしていたのは、なんだったんだろう?!
って思うんですよね。

私自身が、距離を置いていたのか、居心地が悪いとか
なんか違う、という風に世界を見ていたから、そのような
雰囲気になっていたのでしょうか・・・?!

それとも、一緒にいる人の感覚に私が同調してしまって
そういう感じがしていたのでしょうか・・・?

まぁ、どちらの要因もが複合的に合わさって作り上げ
られた状況だったような気がしています。。。
このことは、また、ゆっくり書きたいと思います。

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