人生、波瀾万丈

私のこと、語ります・・・。本当にあったことと創作が混ざってます・・・。

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真の母性

いつごろからでしょう・・・
母性に大きく分けて2種類あるということに
気づいたのは・・・。

その答えのようなものを見つけました。
核心に触れる内容なので、心がざわつきます。
現在の一般的な常識では、理解できない内容かも
しれません。

でも、私の中で、以前から、おぼろげに、きっと
そうなんだろうな・・・という気がしていました。

転載します。


良かれと思ってやっている事が、必ずしも良い結果を生まない事は多々あること。善意であれば何をやっても罷り通る訳ではなく、多くの盲目の母性は、その真理を学ぶ事が出来ずに、周りの大切な関係を穢し、腐らせている。
retweeted at 22:09:30
たとえ家族や親友であっても、人と人との心の境界線をみだりに越えてはならず、心の聖域に土足で踏み込んではならない。人は人への思いやりを控え目に形に表すことはあっても、心して自粛していく謙虚さがなければ、伸びようとする成長点を摘んでしまい、甘えと依存のぬかるみに全て呑み込んでしまう。
retweeted at 22:09:50

悩む事や乗り越える事が必要な時にも、周りが心配し過ぎたり、自分本意な正しさを外側から押し付けるのは、貴方のためを思って、という愛の名の元の単なる介入や強要に過ぎず、母性的支配の怖ろしさは、刃が包み込まれた真綿にような暴力で、自信と生きる力を失わせる、善なるものとは間逆の質のもの。
retweeted at 22:10:16
真の母性は、我が心が安心を得るために過干渉する行ないには非ず。時として、口出しするより、思いのままにさせて、信じて待つことの方が、より愛は深く、時として、手出しするより、転ぶ様を見守り、自ら起き上がる力を信じる忍耐を持つことの方が、より愛は深く、全ては成長へと向かう。
retweeted at 22:10:35
かおりさん、この数年、「毒親」という言葉を、どこかで見てから、母性の長所・短所のことをよく考えていました。今日の連続ツィートは、こういうことじゃないかなって思っていたこと、そのままの内容でびっくりでした。まとめて書いてくださってありがとうございます。
@kaori_garden
posted at 22:14:09
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ギリシャ神話やローマ神話にも、母性のゆがみを感じる
ような話があります。
母性はどうも曲者のような印象があります。

母性というよりは、女性が乗り越えるべき課題。。。
女性だけでなく男性にも母性はありますから、人類全体の
課題といえるかもしれません。

まだ、私もはっきりと何かを書けるほどに、整理が
できていないのですが、一つの原因に、女性の
無意識レベルの悲しみがあるのではないかと思います。
とてもとても、古く、深く、悲しい記憶を、全ての
人類が持っているような気がするのです。
以前「すくい・・・」という記事でリンク紹介した
Earthanksさんの記事に書かれていた女性の悲しみに
つながっているのだと思います。

私自身「心の傷を癒す・・・」に書いたように、
同じような経験をしていたことに去年気づき、愕然と
し、私自身を癒すことをこの1年最優先してきました。

その悲しみの原因を作った相手に対する不信感、そして
自らに対しての許せない心が。人類全体の集合潜在意識の
奥底深くに今なお存在しているのでしょう。
だから、母性のゆがみが生じてしまったのかもしれません。

深い悲しみ、苦しみの中で生まれた子孫に、希望を託したい、
だから、私の思い通りに動いて欲しい・・・、コントロール
したい・・・、という、自由意志を認めない、ゆがんだ母性に
発展してしまったんじゃないか、という気がしています。
とはいえ、ゆがんだ母性ではなく、真の母性もあるはず・・・。

真の母性とは、命の源、命を創造し育む宇宙・神の心なの
ではないかとおぼろげに感じているのですが、具体的に
どういうものなのか、まだ、はっきりしていないのです。
最近、転載している「魂の法則」そして続編の「愛の法則」
読んで、エゴ(我欲)がなくなり無条件の愛が自然に実践
できる状態、魂と思考と体(行動)が統合している状態、つまり
自分自身そして他者の自由意志を尊重する状態じゃないかな・・
いう気がしてきています。

私自身の心の中をもっとクリアーにして、この深遠なるテーマを
さらに追求していきたいと思っています。
また、新たなる気づきがあったときには、記事にしていきます。


lalalaさんの最近の記事も命の根源の話題なので、読ませて
いただくと、頭の中、心の中が整理されるような気がします。
(高度すぎて、理解するのに時間かかりますが・・・)


イメージ 2













数日前に書いた「情緒的に生きる」というのは、
とても女性的な感じだし、真の母性と関連していると
思います。
その前に書いた「今、ここに愛」も。。。

突然ですが、5年前から馬鹿みたいに繰り返し書いていた
「アメーバ」的なんですよね。
それよりも「ミトコンドリア」っぽいかも・・・。

やっぱり、ここにつながるんですね・・・。

5年の歳月を経て、やっと現実の世界に顕在化しつつ
あるのかも・・・。



<2017年7月22日追記>
祝祭のなるでこさんの過去生に関する投稿を読んで
この記事を思い出したので。。。
この記事のことを、ハートの贈り物のほうにコメント
しましたが、関連する記事がまだあるので、追記して
おきます。。。




この他にもあるのですが、とりあえず。。。

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「愛の法則」から
虚栄心(見栄)・自尊心(プライド)・自負心(尊大)② (P187〜)

でも、幸せになろうとして成功を求める人は大勢いますが、彼らに言えることはありますか?

自分自身を偽っていると言いたい。成功は虚栄心を満足させるが、感情にとっては落とし穴となる。幸福を勝ち取る唯一の方法は、自分を愛で満たすことだ。

理解を通して虚栄心を克服するには、どうするべきかを短くまとめていただけますか?

いいだろう。虚栄心の強い者が欠点を克服する第一歩は、幸福は外部にあるのではなく、内面次第なのだと理解することだ。
我々全員が学ぶべき大切な教訓は、真の幸福とは、他者が自分を愛するかどうかで決まるのではなく、自分が愛せるかどうかによるということだ。だから幸せになりたければ、他者が自分を愛してくれるのをがむしゃらに求めるのをやめ、自分自身の感情を目覚めさせるようにしなさい。

見栄っ張りな人にはどう助言して、自己進化に役立ててもらいますか?

他者の賞賛や慈しみ、成功や新任を得ることでは、絶対に幸せにはなれない。
自分の人生に不満足で孤独感や虚無感があるとしたら、不幸の原因を外部に探さないことだ。原因は外にあるのではなく、自分の中にあるからだ。外因を探してる限り、満ち足りることはあり得ないので、他人の火で暖まろうとしてはいけない。他者が君のためにしてくれたり、してくれないことに左右されていないで、自らの火を起こしなさい
利己主義は脇に置いて愛しなさい。内面の虚無感を満たす唯一の方法は、無条件に愛することなのだ。

今言われたことは、前に話されたことと矛盾しているようです。他者から愛されることを放棄したとしたら、どうして自分を愛せるのでしょう?

説明が良くなかったかもしれない。愛されるのを放棄する必要はない。間違ったやり方で幸せを求めている、と言いたいのだ。天秤の片方の皿にだけ重りをかけて、均衡を保つように要求しているのだ。

どういう意味かはっきりわかりません。理解できるように例を示して下さいますか?

いいだろう。世界にある全ての愛を分配するために、全人類を巨大な広場に集合させたとしよう。
そしてまず、「愛が欲しい人はいますか」と聞くのだ。すると、100%の人が「私だ、私だ。最初に私だ。私が最も必要としている」と訴えながら手を挙げることだろう。
しかし次に「愛を与えようという人はいますか?」と聞けば、広場はすぐに空っぽになり、手を挙げようと居残る者は僅かだろう。
分け与えることができるものは何か?少数のものが与える愛だけだ。
これが君たち人類に起こっていることで、大半は愛を受け取るつもりしかないので、世界を支えているのは僅かな者の愛なのだ。しかも大半の者は、愛を受け取っているのではなく、主にエゴを満足させているだけなのだ。
我々は主体性に欠け、愛が外からやって来るのを待っている。外部からの愛が、あたかも魔法のように我々に達して幸せにしてくれて、秘薬のごとく何をする必要もないと思いこんでいるのだ。
しかし、必要なものはすべて受け取っても受身であり続けて、エゴを克服しようと努めないのであれば、内面のすべてを与えて君を愛してくれる存在が現れても、「まだ足りない。僕はまだ幸せでない。もっと愛してもらう必要がある」と言うだろう。そして、絶対に内面の虚しさを満たすことができないので、もっともっと、と要求する。
人がくれたものは決して評価せず、貰っていないものばかりにこだわる。人生のどんなに些細な障害であろうと、文句の口実となる。朝起きたときに、曇り空なら寒いとぼやき、天気が良ければ暑いと愚痴るのだ。
これは、幸福の求め方が間違っているからだ。自他に対して能動的に呼び起こす愛のみが、空虚な感覚を満たすことができる。それゆえ、幸せになるためには、愛を受け取るだけでなく、愛を与える必要がある。

虚栄心の問題に戻りますが、虚栄心の段階にいるすべての人に同じ特徴があるとはいえないと思うのですが。

同じ特徴ではなく、虚栄心には様々な段階がある。
虚栄心の初期の段階では、エゴは、強欲(自分の持っているものを他者を分かちあいたくない)、貪欲(他者を犠牲にしてでもどんどん欲しがる)、羨望(自分が欲しがる物的なものを持つ人を拒絶する)といった、より原始的で物質的な顕れ方をする。
魂が感情面を認識して進歩した次段階では、物質的な利己心は、霊的なものへと変化する。この段階での魂は、まだエゴにしがみついてはいるが、同時に感情も発展させ始めている。まだ愛を与えようとはしないが、愛の存在を認知し心地良いとわかっているので、愛を受け取ろうとする。
強欲が執着(特定の人からの思いやりや愛を他者と共有したくない)に変わるのはこの時で、貪欲は独占(皆が自分だけに注目して優しくしてくれるのを望む)に変わる。一方、羨望はもっと上手く化けて、自分にはないが欲しいと思う美徳を持つ人たちに対する反感へと変わる。
感受性が強くなって正義の概念はもっと発達するものの、エゴから離れられていないため、損得が絡むと、故意に自分の得になる不公平な行動を取ることが多く、自覚している分だけ余計に罪深いと言える。

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