人生、波瀾万丈

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以下元1級プラント配管技能士平井憲夫さんの著書より

私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。


 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。
 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。


・「安全」は机上の話

 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。
 

この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。
 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。
 

なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

・素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。
 

原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。
 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです
 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。
 

ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。
 

例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。
 

現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。
 

また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年間の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。
 

また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。
 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。
 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。


・名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。
 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。
 

原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。
 

というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。
 

東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。
 

そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力−でないと、詳しいことは分からないのです。
 

私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。
 
・住民の被曝と恐ろしい差別

 日本の原発は今までは放射能を一切出していませ んと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウ ソがつけなくなったのです。
 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ていま す。出ているんではなくて、出しているんですが、 二四時間放射能を出していますから、その周辺に住 んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝し ているのです。


ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一 緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いとい う。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。こ の娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。
 

この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近 くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言っ て欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

・私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、 北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、 必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えて おいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員 が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来てい ました。その中には中学生や高校生もいました。原 発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題 だからと聞きに来ていたのです。
 

話が一通り終わったので、私が質問はありません かというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙 げて、こういうことを言いました。 
 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の 大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私 は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高い というのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三 百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
 

原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号 機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
 「何で、今になってこういう集会しているのか分 からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体 を張ってでも原発を止めている」と言う。
 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴び ている。でも私は北海道から逃げない」って、泣き ながら訴えました。
 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したこ とがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生 やお母さんも来ている、でも、話したことはない」 と言います。「女の子同志ではいつもその話をして いる。結婚もできない、子どもも産めない」って。
 

担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩み を抱えていることを少しも知らなかったそうです。
 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題 ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがい っぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学 生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほ しいのです。


・原発がある限り、安心できない

 みなさんには、ここまでのことから、原発がどん なものか分かってもらえたと思います。
 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は 怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、 「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、 特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くて も仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃな いでしょうか。
 

でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません安全だから安心しなさい」「日本には資源がないか ら、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。
 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいる んです。
 

みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。 私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だと いうことは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。
 

それから、今は電気を作っているように見えても何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するの は、私たちの子孫なのです。
 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えま すか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対 に核の平和利用ではありません。
 

だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんど ん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどう しても知って欲しいのです。
 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけな い、原発の増設は絶対に反対だという信念でやって います。そして稼働している原発も、着実に止めな ければならないと思っていあす。
 原発がある限り、世界に本当の平和はこないので すから。
優しい地球 残そう子どもたちに


筆者「平井憲夫さん」について:
1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
以上
 

転載元転載元: あなたの知らない視点で語りたい〜詩 小説 エッセイ

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『愛の法則』の目次

2年前に『魂の法則』を紹介し、つむじ風のブログでの
連載の目次のページを作りました。
昨年夏には、日本語版がナチュラルスピリット社から
出版販売され、一時期は売り上げ上位を占めていました。

今年に入って『魂の法則』の中の「愛の法則」を
さらに深く掘り下げた次作『愛の法則』が日本語に
されていました。

今回もまた、つむじ風のブログでの連載の目次のページを
作りました。

飄平さんの毎回のメッセージも読み応えがありますので
おすすめです!

イメージ 1




















PDFファイルにまとめたものも公開
される予定です。

また、『愛の法則』も『魂の法則』同様に
ナチュラルスピリット社から出版されることに
なっていて、現在出版用校正中だそうです。



6/15追記
5/22刊行されました!

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『魂の法則』

去年、紹介した『魂の法則』が出版・発売されました!

去年、友人がスペイン語から日本語に翻訳したとき
つむじ風のブログでの内容転載の目次とダウンロード
サイトのご案内の記事を書きました。

イメージ 1
















できるだけ多くの人の手に渡るように、安価な価格設定に
するために、著者も翻訳者も印税は受け取らないそうです。


私が読み終えたときの感想は、ブログ記事に書きました
ので、興味のある方はご覧ください。


pdfファイルでの無料ダウンロードは今までどおり
できますが、出版用の校正前の翻訳だそうです



2015/10/16追記
第2作めも、日本語で出版・販売されています!

映画『美しき緑の星』もいいですよぉ〜♪


2015/12/3追記
ダウンロード版ではなく
出版された「魂の法則」を転載しています。
『「魂の法則」から』のフォルダーをご覧下さい。

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コスモスさんのブログ記事からの転載です。
司法がちゃんと機能していることが分かり
ほっとしました。
関西電力は控訴したという話も聞いていますが、
企業の利益追求と人命、どちらが大切なんでしょうね?
天秤にかけるまでもなく、答えは出ていると
思うのですが・・・。

ぜひ、「大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨」に
目を通して、考えて行動してください。

私たちの子供、孫たちに、このままの状態でバトンタッチ
していいのでしょうか?



ケイさんのブログから転載
http://ameblo.jp/kei-osaka/entry-11858211913.html

すごいです!これは本当に読んだ方が良いです!最後まで
2014-05-22 20:00:23 | 読むとためになるもの
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/68/1c865c4a0abed71b8d3fe56e846f945a.jpg















すごいです!すごいです!感動しました!

半分ぐらいで一瞬ちょっと飛ばして読もうかなと思ったけどちゃんと最後まで読んで良かったです!

雑誌や新聞を読むことに比べればあっと言う間に読めると思います。


ぜひ!最後まで!小説のようです。


転載

『大飯原発の再稼働認めず!』樋口英明裁判長の判決文全文です。ぜひ読んでください!


読んでください!

文字の強調はわたし個人の考えで加えました。


【速報】大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を掲載します


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/38/73983aca5cc483003d1cf657935014bd.jpg



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/c8/93383d8944dbf23f6210bbf8909d2afc.jpg



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/3b/dbfde8b40075ff8f528edac9669935b6.jpg































2014年5月21日 

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文


1 被告は、別紙原告目録1記載の、各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない

2 別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求を、いずれも棄却する。

3 訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを、同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。



理由

1 はじめに

ひとたび深刻な事故が起これば、多くの人の生命、身体やその生活基盤に、重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と、高度の信頼性が求められて然るべきである。

このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においても、よって立つべき解釈上の指針である。

個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。

人格権は、憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においては、これを超える価値を、他に見出すことはできない。

したがって、この人格権、とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の、根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて、侵害行為の差止めを請求できることになる。

人格権は、各個人に由来するものであるが、その侵害形態が、多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が、強く働くのは理の当然である。


2 福島原発事故について

福島原発事故においては、15万人もの住民が、避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で、少なくとも入院患者等60名が、その命を失っている。

家族の離散という状況や、劣悪な避難生活の中で、この人数を遥かに超える人が命を縮めたことは、想像に難くない

さらに、原子力委員会委員長が、福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に、避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も、同様の規模に及んでいる。

年間何ミリシーベルト以上の放射線が、どの程度の健康被害を及ぼすかについては、さまざまな見解があり、どの見解に立つかによって、あるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に、20年以上にわたり、この問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお、広範囲にわたって避難区域を定めている。

両共和国の政府とも、住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても、帰還の強い願いを持つことにおいて、我が国となんら変わりはないはずである。

それにもかかわらず、両共和国が、上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について、楽観的な見方をした上で、避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に、重大な疑問を投げかけるものである。

上記250キロメートルという数字は、緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が、直ちに過大であると判断することはできないというべきである。


3 本件原発に求められるべき安全性

(1) 原子力発電所に求められるべき安全性

1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は、極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも、放射性物質の危険から国民を守るべく、万全の措置がとられなければならない

原子力発電所は、電気の生産という、社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は、平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は、法的には、電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は、人格権の中核部分よりも、劣位に置かれるべきものである。

しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が、極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは、原子力発電所の事故のほかは想定し難い

かような危険を、抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが、極論にすぎるとしても、少なくとも、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。

このことは、土地所有権に基づく、妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという、侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

新しい技術が、潜在的に有する危険性を許さないとすれば、社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質や、もたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を、裁判所において判断することは困難を極める。

しかし、技術の危険性の性質や、そのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては、危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった、葛藤が生じることはない

原子力発電技術の危険性の本質、及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。

本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が、万が一でもあるのかが、判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは、裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。


(2) 原子炉規制法に基づく審査との関係

(1)の理は、上記のように、人格権の我が国の法制における地位や、条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって、左右されるものではない

したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が、原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを、電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても、裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、

新規制基準の対象となっている事項に関しても、新規制基準への適合性や、原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、
(1)の理に基づく裁判所の判断が、及ぼされるべきこととなる。


4 原子力発電所の特性

原子力発電技術は、次のような特性を持つ。

すなわち、原子力発電においては、そこで発出されるエネルギーは、極めて膨大であるため、運転停止後においても、電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで、事故につながり、
いったん発生した事故は、時の経過に従って拡大して行く
、という性質を持つ。

このことは、他の技術の多くが、運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる、原子力発電に内在する本質的な危険である。

したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も、電気を利用して、水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも、放射性物質が、発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請は、この3つがそろって初めて、原子力発電所の安全性が保たれることとなる。

仮に、止めることに失敗すると、わずかな地震による損傷や故障でも、破滅的な事故を招く可能性がある。

福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために、放射性物質が外部に放出されることになった。

また、我が国においては、核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって、初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が、堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。


しかるに、本件原発には、地震の際の冷やすという機能と、閉じ込めるという構造において、次のような欠陥がある


5 冷却機能の維持について4 原子力発電所の特性

(1) 1260ガルを超える地震について

原子力発電所は、地震による緊急停止後の冷却機能について、外部からの交流電流によって水を循環させる、という基本的なシステムをとっている。

1260ガルを超える地震によって、このシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完も、ほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく

この規模の地震が起きた場合には、打つべき有効な手段がほとんどないことは、被告において自認しているところである。

しかるに、我が国の地震学会において、このような規模の地震の発生を、一度も予知できていないことは、公知の事実である。

地震は、地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は、仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も、実験という手法がとれない以上、過去のデータに頼らざるを得ない。

確かに、地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるが、その発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは、極めて限られたものにならざるをえない。

したがって、大飯原発には、1260ガルを超える地震は来ないとの、確実な科学的根拠に基づく想定は、本来的に不可能である。

むしろ、

① 我が国において記録された既往最大の震度は、岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値は、これをはるかに下回るものであること、

② 岩手宮城内陸地震は、大飯でも発生する可能性があるとされる、内陸地殻内地震であること、

③ この地震が起きた東北地方と、大飯原発の位置する北陸地方、ないし隣接する近畿地方とでは、地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても、陸海を問わず多数存在すること、

④ この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく、近時の、我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は、大飯原発に到来する危険がある


(2) 700ガルを超えるが、1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する

しかし、これらのイベントツリー記載の対策が、真に有効な対策であるためには、

第1に、
地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を、余すことなくとりあげること、

第2に、
これらの事象に対して、技術的に有効な対策を講じること、

第3に、
これらの技術的に有効な対策を、地震や津波の際に実施できるという、

3つがそろわなければならない。



イ イベントツリー記載の事象について

深刻な事故においては、発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを、取り上げること自体が、極めて困難であるといえる。


ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

また、事象に対するイベントツリー記載の対策が、技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で、適切かつ迅速にこれらの措置をとることを、原子力発電所の従業員に求めることはできない

特に、次の各事実に照らすと、その困難性は一層明らかである。

第1に、
地震はその性質上、従業員が少なくなる夜間も、昼間と同じ確率で起こる。

突発的な危機的状況に、直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは、現場において、指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

第2に、
上記イベントツリーにおける対応策をとるためには、いかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が、極めて困難である。

福島原発事故の原因について、国会事故調査委員会は、地震の解析にカを注ぎ、
地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や、従業員への聴取調査等を経て、津波の到来前に、外部電源の他にも、地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所に、どのような損傷をもたらし、それがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。

一般的には、事故が起きれば、事故原因の解明、確定を行い、その結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においては、いったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため、事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においても、その原因を、将来確定できるという保証はない

それと同様、又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中に、いかなる箇所にどのような損傷が起きており、それがいかなる事象をもたらしているのかを、把握することは困難である。

第3に、
仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に、多数箇所に損傷が生じるなど、対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は、5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も、2時間もないなど、残された時間は限られている

第4に、
とるべきとされる手段のうち、いくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって、普段からの訓練や試運転にはなじまない。

運転停止中の原子炉の冷却は、外部電源が担い、非常事態に備えて、水冷式非常用ディーゼル発電機のほか、空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば、空冷式非常用発電装置だけで、実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは、危険すぎてできようはずがない

第5に、
とるべきとされる防御手段に係るシステム自体が、地震によって破損されることも予想できる

大飯原発の、何百メートルにも及ぶ非常用取水路が、一部でも、700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存している、すべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が、稼動できなくなることが想定できるといえる。

また、埋戻土部分において、地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を、動かすことが不可能、又は著しく困難となることも想定できる

上記に摘示したことを一例として、地震によって複数の設備が、同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは、機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が、複数備えられていることは、地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

第6に、
実際に放射性物質が一部でも漏れれば、その場所には近寄ることさえできなくなる

第7に、
大飯原発に通ずる道路は限られており、施設外部からの支援も期待できない

エ 基準地震動の信頼性について

被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき、活断層の状況等を勘案した場合の、地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられない、と主張する。

しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に、5回にわたり想定した地震動を超える地震が、平成17年以後、10年足らずの問到来しているという事実を、重視すべきは当然である。

地震の想定に関し、このような誤りが重ねられてしまった理由については、今後、学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。

これらの事例は、いずれも、地震という自然の前における人間の能力の限界を示すもの、というしかない。

本件原発の地震想定が、基本的には、上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値する、という根拠は見い出せない

オ 安全余裕について

被告は、本件5例の地震によって、原発の安全上重要な施設に、損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても、直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはない、と主張している。

弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく、同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計が、なされることが認められる。

このように設計した場合でも、基準を超えれば、設備の安全は確保できない。

この、基準を超える負荷がかかっても、設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に、上記の不確定要素が、比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない

したがって、たとえ過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられた、という事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても、施設が損傷しないということを、なんら根拠づけるものではない


(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

本件原発においては、基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し、主給水が断たれるおそれがあると認められる。


イ 施設損壊の影響

外部電源は、緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば、非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおり、これが非常事態であることは明らかである。

福島原発事故においても、外部電源が健全であれば、非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかった、と考えられる。

主給水は、冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合には、その名が示すとおり、補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。

前記のとおり、原子炉の冷却機能は、電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば、大事故になるのは必至である。

原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と、主給水の双方が、ともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある

そして、その場合には、(2)で摘示したように、実際にはとるのが困難であろう、限られた手段が効を奏さない限り、大事故となる


ウ 補助給水設備の限界

このことを、上記の補助給水設備についてみると、次の点が指摘できる。

緊急停止後において、非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、

① 主蒸気逃がし弁による熱放出、

② 充てん系によるほう酸の添加、

③ 余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、

補助給水設備の実効性は、補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なもの、といわざるを得ない。


また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく

事態の把握の困難性や、時間的な制約のなかで、その実現に困難が伴うことは、(2)において摘示したとおりである。


エ 被告の主張について

被告は、主給水ポンプは、安全上重要な設備ではないから、基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていない、と主張するが、主給水ポンプの役割は、主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが、原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。

安全確保の上で不可欠な役割を、第1次的に担う設備は、これを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。

このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは、理解に苦しむ主張である
、といわざるを得ない。


(4) 小括

日本列島は、太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート、及びフィリピンプレートの、4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が、狭い我が国の国土で発生する。

この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が、大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても、冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える、現実的で切迫した危険と評価できる。

このような施設のあり方は、原子力発電所が有する、前記の本質的な危険性について、あまりにも楽観的といわざるを得ない。



6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても、放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

そのため、本件原発においても、核燃料部分は、堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。

他方、使用済み核燃料は、本件原発においては、原子炉格納容器の外の建屋内の、使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたとき、これが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する、原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない


(2) 使用済み核燃料の危険性

福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が、危機的状況に陥り、この危険性ゆえに、前記の避難計画が検討された。

原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは、使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり

他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が、170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合に、これを認めるべき地域が、東京都のほぼ全域や、横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は、自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。


(3) 被告の主張について

被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。


ア 冷却水喪失事故について

使用済み核燃料においても、破損により冷却水が失われれば、被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は、原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と、大きな違いはない。

福島原発事故において、原子炉格納容器のような堅固な施設に甲まれていなかったにもかかわらず、4号機の使用済み核燃料プールが、建屋内の水素爆発に耐えて、破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは、瓦礫がなだれ込むなどによって、使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは、誠に幸運と言うしかない。

使用済み核燃料も、原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に、外部からの不測の事態に対して、堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて、万全の措置をとられているということができる


イ 電源喪失事故について

本件使用済み核燃料プールにおいては、全交流電源喪失から3日を経ずして、冠水状態が維持できなくなる

我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして、危機的状態に陥いる

そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないまま、いわばむき出しに近い状態になっているのである。


(4) 小括

使用済み核燃料は、本件原発の稼動によって、日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには、膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が、何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろう、という見通しのもとにかような対応が成り立っている、といわざるを得ない。


7 本件原発の現在の安全性

以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を、放射性物質の危険から守るという観点からみると、
本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに、初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。


8 原告らのその余の主張について

原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても、本件原発には欠陥があると主張する等、さまざまな要因による危険性を主張している。

しかし、これらの危険性の主張は、選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから、同請求の可否についても判断する必要はない。

原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が、将来の世代に重いつけを負わせることを、差止めの理由としている。

幾世代にもわたる、後の人々に対する我々世代の責任という、道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによると、この判断の必要もないこととなる。


9 被告のその余の主張について

他方、被告は、本件原発の稼動が、電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを、並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことである、と考えている

このコストの問題に関連して、国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって、多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが、国富の喪失であると、当裁判所は考えている。

また、被告は、原子力発電所の稼動が、CO2排出削減に資するもので、環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所で、ひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染は、すさまじいものであって、福島原発事故は、我が国始まって以来、最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を、原子力発電所の運転継続の根拠とすることは、甚だしい筋違いである。


10 結論

以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって、直接的に、その人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。


福井地方裁判所民事第2部

裁判長裁判官 樋口英明
裁判官 石田明彦
裁判官 三宅由子

――――――――――――――

チェルノブイリ 原発事故 30年後のフクシマ 廃炉作業の現実とは 
2013.10.27 Chernobyl nuclear reactor accident
http://youtu.be/V1DW_vtzD_U
















1986年 チェルノブイリ原発事故

終わらない廃炉作業

事故から27年以上経った今も、原発から30km圏内に住むことは許されていない。

今も3000人以上の人が作業している。

事故当時、作業員数十万人が放射能によって深刻な被害を受けた。

事故が起きた原発の廃炉の方法は、27年経った今でも、見つかっていない。




全部読んで、どのような感想を持ったでしょうか?

原発は、原発が存在する地域だけの問題ではありません。
日本全体、いえ、世界全体の問題です。

本当は、建設し稼動する前に、もっともっと、広く意見を求め
原発で発電することの、メリット、デメリットを周知した上で
建設、稼動しなくてはいけなかったのだと思います。

その作業を十分にしないまま、なし崩し的に、反対者がいた
にもかかわらず、建設・稼動してしまったのです。

その上、過去に、原発に関しての訴訟はたくさんあったはず
ですけれど、ここまで明確に、人命との対比でものを申す
判決はなかったのではないでしょうか。。。
(すべての原発関連訴訟の判決を知っているわけではないので、
憶測にすぎませんが・・・)

2011年3月11日の東北大震災を境に、私たちの多くは
初めて現実を直視して、私たちが置かれている危機的状況を
認識したんじゃないでしょうか・・・。

では、今から、どうするか。。。

そこが問われているのだと思います。

このまま、今までの生き方を続けるか、大量生産・大量消費の
生き方を改めて、自然環境との共存共栄を目指す調和のある
生き方にシフトするか・・・。



いくつか参考のために・・・

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2人の若者が見た町

この間、facebookの曽ヶ端さんのページでシェアされていて、
なるほどーと感じたお話をこちらでもシェアします。

シェアしていたのでした。

イメージ 1














ある町の入り口に一人の老人が座っていた。

そこに、よその町から一人の若者がやって来た。

若者は老人に尋ねた。
「この町はどんな町ですか?
どんな人たちが住んでいますか?」

老人
「君はどんな町からやって来たのかね?」

若者
「僕がいた町は、利己的で悪賢い人が多かった。
安心して住めない、ひどい町でした」

老人
「この町も同じようなものじゃよ」

若者は疑いの目で老人を見ると、
町に入っていった。
そして間もなく、
老人が言ったとおりの町であることを知った。

そのしばらく後、別の若者がやって来て、
老人に尋ねた。
「この町はどんな町ですか?
どんな人たちが住んでいますか?」

「君はどんな町からやって来たのかね?」

「僕がいた町は、やさしくて親切な人が多かった。
とても住みやすい、素敵な町でした」

「この町も同じようなものじゃよ」

若者は老人にお辞儀をすると、
町に入っていった。
そして間もなく、
老人が言ったとおりの町であることを知った。

------------------------------------------------

イメージ 2













この寓話は、講演などでもよく耳にする話なので、
ご存知の方も多いかもしれませんね。

僕たちはものごとをありのままには見ていません。

ものごとに自分が意味づけをして、
その意味を見ています。

ものごとに自分の心を投影して、
その投影を見ているのです。

つまり人は、外界を通して、
自分の内面を経験しているのです。

ということは、僕たちは、
自分の内面にないものは経験できない
ということですね。

たとえば、
僕たちが花を見て「美しい!」と感動するのは、
心の中にある「美」を投影して、
「美しい」と感じているのです。

「美」は僕たちの心の中にあるのです。

犬や猫は、花を見ることはできても、
花の美しさを感じることができません。

犬や猫の内面には、
「美」という理念がないからです。

これはつまり、犬や猫が生きる世界には、
「美しい花」は存在していないということです。
(植物の一種としての花は存在するでしょうけど)

また、僕たち人間も、
執着心に囚われているときや、
競争心・闘争心で心がいっぱいのときは、
花の美しさに気づかないまま、
見過ごしてしまいます。

そんなときは、僕たちが住む世界に
「美しい花」は存在していないのです。

僕たちは、
自らの内面を投影した世界に住んでいます。

自らの心の“ありよう”を映し出した世界に
住んでいます。

周りの人が善意の人ばかりに見えるときは、
僕たちの心の中の善意が周りに投影されているのです。

周りの人が悪意の人ばかりに見えるときは、
僕たちの心の中の悪意が周りに投影されているのです。

物理的には、
「一つの客観的な世界に、すべての人間が住んでいる」
という見方ができますが、

心理的には、
「それぞれの人間は、
それぞれの主観を投影した世界に住んでいる」
という見方ができるわけです。

それぞれの人間が、
それぞれの主観を投影した世界に住んでいるのであれば、
「僕たち一人ひとりの数だけ世界がある」
ということになります。

つまり、自分が住んでいる世界と、
相手が住んでいる世界は、
実は“違う世界”であるということになります。

しかし僕たちは、
自分が見ている世界こそが客観的な一つの世界である
と勘違いしていて、
その客観的世界(実は自分が見ている主観的世界)に
相手も住んでいるものだと思い込んでいます。

そのため、相手の「感じ方、ものの見方」が
歪んで見えるのです。

「君は何を見ているんだ? 何を考えているんだ?
私が提供した情報を知れば、結論は明らかだろう。
どうしてそれが理解できないんだ?
君には事実が見えないのか?
君は『ものの見方』が歪んでいるよ」
なんて言ったりするのは、

「相手も自分と同じ世界が見えているはずだ。
だって、世界は一つしかないんだもん」
という、おそるべき思い込みがあるからなんです(^^;

「相手は自分と違う世界に住み、違う世界を見ている」
という真実に気づくと、

相手の「感じ方、ものの見方」を、
「私には計り知れないもの」として
敬意をもって尊重することができます。

河合隼雄先生が、ご著書の中で、
「人の話を聴くときは、
『相手にとっての真実(その人にとっての真実)』に
耳を傾けることが大切」
と述べておられます。

「自分にとっての真実」と「相手にとっての真実」は
違っていて当然なのですから、

「自分こそが客観的な真実を見ている」
という思い込みを手放し、

「相手にとっての真実」に、
畏敬の念をもって耳を傾けることが大切なのですね。

<自分本来の力を発揮する生き方>

今、期間限定で、僕の講演の動画を公開中です。




イメージ 3













自分の見方が世界に反映していると言ったらいいのか
自分が見ているように、世界は現実化する・・・って
最近、しみじみと感じます。

前々から、そうじゃないかな、とは思っていたのですが、
実感できる出来事が続いたので、やっぱり・・・という
感じなんです。

私は、接している人々をみんな家族や兄弟のように
思っているので、みんなも私を家族や兄弟のように
接してくれます。
ほんと、居心地がいいです。
子供のときに戻ったような、そんなほっこり感をいつも
感じています。

こんなに居心地が良くていいのかなぁ〜って感じるときも
ありますがそれでいいんだ、って思います。

じゃぁ、今のこの境地に至る前に、なんだか居心地の
悪い感じがいつもしていたのは、なんだったんだろう?!
って思うんですよね。

私自身が、距離を置いていたのか、居心地が悪いとか
なんか違う、という風に世界を見ていたから、そのような
雰囲気になっていたのでしょうか・・・?!

それとも、一緒にいる人の感覚に私が同調してしまって
そういう感じがしていたのでしょうか・・・?

まぁ、どちらの要因もが複合的に合わさって作り上げ
られた状況だったような気がしています。。。
このことは、また、ゆっくり書きたいと思います。

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