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今朝は、朝もやの中に朝日が昇りました。
今回、インドを訪問地に選んだのは、48年前に訪れたことのあるオールドデリーがどのように変わっているかを見たかったからです。
長い年月を経て同じ場所を訪れると、その変化が良く分かる事は言うまでもありません。その変貌ぶりを見れば、その国の政治の如何やお国柄がわかります。
ところで、48年前のニューデリーにこだわるのは、訳があります。
私は、文部省の在外研究員として世界を一周しながら各国の教育事情を視察しました。
世界周遊の飛行機の便がニューデリーに寄港することもあり、佛教伝来の地・インドの教育事情を一目でも見ておこうと考えたのです。
当時、「インドは3日までの滞在であれば、ビザが要らない」と旅行案内に書かれていましたので、そのつもりで入国手続きをしたのです。
ところが、入国係官から、いきなりパスポートを取り上げられました。私が入国カードに滞在期間を4日と書いていたからです。
「ビザを取るように」と言い張り、カードの訂正が許されませんでした。
この時、ビザに添付する「顔写真」を撮るために案内されたのが、オールドデリーの写真屋だったのです。
タクシーに乗り、街の中に入った時の印象が、今尚、鮮烈に思い出されます。人をかき分けながら写真屋に入りました。すると、注文もしないのにビールの栓をポンと抜いて薦めるのです。
写真を撮り終えて又びっくり。仕上がるのに2日かかると言うのです。おかげで私は、2回もオールドデリーの喧騒を体験しました。
オールドデリーは、48年前の世界一周の中で、特に忘れられない思い出なのです。
今回はホテルの送迎車を利用してニューデリー市内見物に出かけました。
「オールドデリーの中心街に行って欲しい」と伝えましたが、いくつかの城壁を案内し、やがて大きな道路に出てしまったのです。
確かめると「この車でオールドデリーの中心街に入るのはAdventure冒険だ」と言うのです。確かに、ホテルの車は最新型であり、自転車や人と接触事故でも起こしたら大変だからでしょう。
果たして、昔を思い出すに相応しい場所に分け入りました。
2回も通った写真屋は、探し出せませんでしたが、オールドデリーの喧騒と活気、店飾りと人々の身なりは、48年経っても余り変わっていませんでした。
但し、「昔の面影が残る場所は随分狭くなった」と言うのが私の印象です。
もう一カ所、私が訪問地に選んだのは、日本人学校です。
48年前には、勿論、日本人学校が存在しませんでしたが、一昨日、投宿したシャングリラ・ホテルの中庭で開かれたABUアジア放送連合のレセプションでアトラクションとして出演した和太鼓のメンバーが、日本人学校の父兄会のお母さん達でした。
日本人学校の生徒数は、幼稚園部も含めると260名以上もいるとのことです。
予め電話をして臼井治久校長を尋ねました。
臼井先生は、映画「しいのみ学園」をご覧になったとのこと。映画の原作者である私が訪問した事を大変喜んでいただきました。
持参した映画の原作本を差し上げたところ「是非サインを頂きたい」との要望があり、早速ペンを取りました。
インド訪問が48年ぶりである事、今回で世界一周講演旅行が7回目、あと3回、10回を目標にしていること・・などなど、大風呂敷を広げて話を進めましたので、臼井校長も話の呑まれたのか『次にインドを訪問する機会があれば、「父兄の皆さんにも生徒達にも声を掛けます。是非、講演をして下さい」との要望がありました。』
又、臼井先生は、「昇地先生は日本の宝です」と何度も言葉を掛けていただきました。
インドへの日本企業の進出は目覚ましく、この10年間で学校の規模は、倍以上に発展し、今後も生徒数が増え続けると予想されます。
海外での学校教育では、どうしても「知育教育」への期待が大きいと思いますが、「情意の教育」「家庭教育」にも力を注いで頂きたいと私の経験をお話しして、再会を願いながら、中庭で記念撮影をしてお別れしました。
「インドに立ち寄って、計らずも、私を理解して頂ける教育者に逢えて良かった。これまでの苦労が報いられた。」今日は私にとっても大変嬉しい出会いとなりました。
今回のニューデリー訪問は、私にとって、半世紀前に遡る青春?プレー バックであり、又、新たの発見・体験の旅となりました。
最後の写真は、冒険旅行を敢行してくれたドライバーのKranti Kishor 君です。
2年間闘病生活をしたと聞きました。明日の空港送りの時に昇地式棒体操の棒をプレゼントすることにしています。
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世界講演旅行2011
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