|
原爆稲を植えました。昇地三郎博士が存命中は、先生が手植えしていました。
5月10日、稲もみをお皿の上に播き、育てて来ました。
(70年前、長崎・浦上天主堂前の水田で被爆した稲の子孫です)
被爆した8月9日には、草丈が70〜80センチまで成長します。
1945年8月9日、被爆した日には、まだ、田んぼに水がありました。
地上部は、数千度の高熱と強風で焼失したはずですが、地中に伸びた根が生き残り、やがて芽を出し、秋10月後半には、小さな稲穂を付けいるのを文部省が組織した原爆被害調査団に加わった九大農学部育種学科のスタッフが見つけ、翌年から農場で育てて来た稲の子孫です。
この稲は、10月後半に稲穂を付けますが、半分は空モミになります。
70年の歳月が過ぎますが、原爆の後遺症で、染色体に異常があるからで
す。
福島原発事故で高濃度の放射線を浴びた地域では、同じような染色体異常・被爆の後遺症が長年続く生物(植物)があるかもしれません。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



