しいのみ学園創設者・昇地三郎・フェニックス三郎・107歳

ギネス世界記録・ ベストドレッサー2012・健康長寿マイスター・centenarian

世界講演旅行2011

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今日は、ブタペスト郊外のGodollo町まで出かけました。ミュンヘン空港で知り合ったTibor Szucsさんが開いている空手道場を訪問したのです。
 
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Godollo町は、ブタペストの中心街から30キロの距離、Tidorさんの車でおよそ30分かかりました。
 
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Tiborさんの空手道場は、小学校の教室を利用して開かれていました。
 
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子どものクラスが、夕方5時から、青年・大人のクラスが6時半から9時までです。
子どものクラスでは、6歳から12歳までの少年6人が、Tiborさんの指導で、先ずは「鬼ごっこ」の様な準備運動を行い、やがて、足や手・握りこぶしの所作を整え、子ども達に俊敏さや礼儀を教えています。
 
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Tiborさんは、23歳の時に空手道に魅せられて入門、26年前には、日本の空手道連盟の招待で2ヶ月半、東京・新宿の道場で本格的な指導を受けました。
Tiborさんは、日ごろは、ブタペストとミュンヘンを行き来しながら電気関係の仕事をしていますが、1ヶ月に4回、ブタペスト近郊の2カ所で空手道場を開き、5歳から60歳までの100名の空手愛好者を指導しているとのことです。
 
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ハンガリーには、色々な流派の空手道場があり、日本・東洋の武道に対する人気が高い事を知りました。
私は、練習の合間に時間をもらい、、練習に励む子ども達や父兄、大人の愛好家を前に、飛び入りのミニ講演会となりました。
 
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先ずは「日本の空手道を学んでいる事に感謝の気持ち」を伝えると共に私の近況をスライドで紹介。最後に黒田節を披露したのでした。
 
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集まった面々は、勿論105歳の日本人を目の前で見る事は初めてです。
また、105歳の私も、ハンガリーの郊外の空手道場に出かけることなど、予定には在りませんでした。
しかし、Tiborさんが、日本の空手道を34年間も愛好して来た事が縁となり、お互いに思いがけない国際親善が実現しました。
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 ハンガリーは、1989年にソビエト連邦の崩壊で独立を果たしましたが、自由主義体制になってから日が浅く、政治的にも経済的にも色々な課題を抱えているようです。
まだまだ、沢山の難問を解決しなければならない国状の中で、空手道を教える先生がいて、また沢山の生徒がいる事は、大変心強い事です。
 
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最後に礼儀正しい挨拶を受けましたが、私も仲間入りして空手の所作をしながら道場を去りました。
 
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今日の出会いは、私の隠し芸・侍踊りの「黒田節」が大いに活躍した一日でした。
 
 
100歳を越えて6周目の世界一周旅行中ですが、これまでに訪れた50を越える都市の中で、此処、ドナウ川の両岸に広がるブタペストの町並・景色が一番美しく、心が和みます。
 
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ハンガリーは、ナチドイツによる支配、その後のソビエト連邦に組み込まれていた45年間の灰色の時代を経て、20年前に今のハンガリー共和国・民主国家体制が整いました。
その後、徐々に共産主義の体質が薄れ、2006年、ハンガリーは、EU・欧州連合に加盟し、新しい観光名所として世界中から注目されるようになっています。
 
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世界遺産に登録されたのは、2002年の事です。
 
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フォーシーズンズ・ホテルは、1906年にイギリスの保険会社が建てた私と同じ105年を経た由緒ある建物ですが、フォーシーズンズ・ホテルとして開業したのは2006年、まだ出来たばかりのホテルと言えます。
 
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ホテルの外見は、竣工当時のままですから、世界遺産地区に相応しい、中世の建物とマッチしています。
内部は、斬新なデザインできめ細かな内装が施されていますが、中世の建築様式だけで統一されたブタ丘陵の風景を眺め、味わうにはぴったりです。
 
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ホテルの中ですごしても、街を散策しても、穏やかな流れのドナウ川と中世で時間が止まったままの町並を眺めていると体も心も穏やかになります。
 
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ホテルの窓の直ぐ前のセーチュニーくさり橋は、1849年の完成。長さ370メートル。
 
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 外気温は5度、少し着こんで、くさり橋を歩きながら世界遺産の街並みやドナウの流れ、船の往来を楽しみました。
 
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ブタ丘(西岸)の上に建つ建物は、王宮とマーチャーシュ教会、漁夫の砦。
ペスト地区では、国会議事堂がドナウ川河岸を美しくしています。1904年の竣工です。
レストランの食事も美味しい。
今回のブタペスト訪問は、心のおご馳走を楽しむ旅になりました。
 
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 次回は、温かい季節に再訪したいと願っています。
 
 
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ニューデリーのホテルを早朝8時に出発し、ミュンヘン空港経由で14時間後に、ハンガリー空港に到着。ドナウ川河畔のホテルに落ち着きました。
 
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目の前にセーチェーニ鎖橋Széchenyi Lánchídと王宮を見ることが出来ます。この一帯は、「ドナウの真珠」「ドナウの薔薇」と呼ばれ世界遺産に登録されています。
 
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投宿したフォーシーズンズ・ホテル・ブタペストは、竣工したのが、1906年。私と同じ年を経て健在です。
 
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総支配人のYver Giaeomettiさんから、特別の計らいで、イニシアルと105を刺しゅうしたガウンをプレゼントして頂きました。
 
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ニューデリーからミュンヘンまでの飛行時間は8時間。今回の旅行は、西回りですから、8時間の飛行中、遮る雲が無い限り、眼下の景色を楽しむことが出来ます。
 
時速1000キロ近いスピードで飛行していますが、パノラマ風景は、ゆっくりと変化し、飽きることがありません。
 
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肥沃そうな土地、険しい山岳の広がり、同じ緯度を飛行しているのはずなのに厚い雪に覆われた山岳高原地帯もありました。
 
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ミュンヘンで2時間、休んで、ハンガリーへ。窓外を見ると黄昏の茜色の空に満月がありました。
 
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ミュンヘンの出発ゲートで、ブタペスト市内で空手道場を開いているTiborさんと会いました。5歳から60歳までの生徒に教えていると言う事でした。
 
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ハンガリー空港でもポーターの一人が13年も空手をしていました。彼の本職は消防士とのこと。
 
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ハンガリーは、マジャール人の国です。もともと東洋系の民族です。
ブタペストに足を踏み入れる前から、そして、踏み入れて早々に、親しみ深い歓迎を受けました。4日間の滞在が楽しみです。
 
 
今朝は、朝もやの中に朝日が昇りました。
 
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今回、インドを訪問地に選んだのは、48年前に訪れたことのあるオールドデリーがどのように変わっているかを見たかったからです。
 
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長い年月を経て同じ場所を訪れると、その変化が良く分かる事は言うまでもありません。その変貌ぶりを見れば、その国の政治の如何やお国柄がわかります。
ところで、48年前のニューデリーにこだわるのは、訳があります。
私は、文部省の在外研究員として世界を一周しながら各国の教育事情を視察しました。
世界周遊の飛行機の便がニューデリーに寄港することもあり、佛教伝来の地・インドの教育事情を一目でも見ておこうと考えたのです。
当時、「インドは3日までの滞在であれば、ビザが要らない」と旅行案内に書かれていましたので、そのつもりで入国手続きをしたのです。
ところが、入国係官から、いきなりパスポートを取り上げられました。私が入国カードに滞在期間を4日と書いていたからです。
「ビザを取るように」と言い張り、カードの訂正が許されませんでした。
この時、ビザに添付する「顔写真」を撮るために案内されたのが、オールドデリーの写真屋だったのです。
タクシーに乗り、街の中に入った時の印象が、今尚、鮮烈に思い出されます。人をかき分けながら写真屋に入りました。すると、注文もしないのにビールの栓をポンと抜いて薦めるのです。
写真を撮り終えて又びっくり。仕上がるのに2日かかると言うのです。おかげで私は、2回もオールドデリーの喧騒を体験しました。
オールドデリーは、48年前の世界一周の中で、特に忘れられない思い出なのです。
 
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今回はホテルの送迎車を利用してニューデリー市内見物に出かけました。
「オールドデリーの中心街に行って欲しい」と伝えましたが、いくつかの城壁を案内し、やがて大きな道路に出てしまったのです。
 
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確かめると「この車でオールドデリーの中心街に入るのはAdventure冒険だ」と言うのです。確かに、ホテルの車は最新型であり、自転車や人と接触事故でも起こしたら大変だからでしょう。
果たして、昔を思い出すに相応しい場所に分け入りました。
 
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2回も通った写真屋は、探し出せませんでしたが、オールドデリーの喧騒と活気、店飾りと人々の身なりは、48年経っても余り変わっていませんでした。
 
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但し、「昔の面影が残る場所は随分狭くなった」と言うのが私の印象です。
 
もう一カ所、私が訪問地に選んだのは、日本人学校です。
 
48年前には、勿論、日本人学校が存在しませんでしたが、一昨日、投宿したシャングリラ・ホテルの中庭で開かれたABUアジア放送連合のレセプションでアトラクションとして出演した和太鼓のメンバーが、日本人学校の父兄会のお母さん達でした。
日本人学校の生徒数は、幼稚園部も含めると260名以上もいるとのことです。
予め電話をして臼井治久校長を尋ねました。
 
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臼井先生は、映画「しいのみ学園」をご覧になったとのこと。映画の原作者である私が訪問した事を大変喜んでいただきました。
持参した映画の原作本を差し上げたところ「是非サインを頂きたい」との要望があり、早速ペンを取りました。
 
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インド訪問が48年ぶりである事、今回で世界一周講演旅行が7回目、あと3回、10回を目標にしていること・・などなど、大風呂敷を広げて話を進めましたので、臼井校長も話の呑まれたのか『次にインドを訪問する機会があれば、「父兄の皆さんにも生徒達にも声を掛けます。是非、講演をして下さい」との要望がありました。』
又、臼井先生は、「昇地先生は日本の宝です」と何度も言葉を掛けていただきました。
 インドへの日本企業の進出は目覚ましく、この10年間で学校の規模は、倍以上に発展し、今後も生徒数が増え続けると予想されます。
 
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海外での学校教育では、どうしても「知育教育」への期待が大きいと思いますが、「情意の教育」「家庭教育」にも力を注いで頂きたいと私の経験をお話しして、再会を願いながら、中庭で記念撮影をしてお別れしました。
 
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 「インドに立ち寄って、計らずも、私を理解して頂ける教育者に逢えて良かった。これまでの苦労が報いられた。」今日は私にとっても大変嬉しい出会いとなりました。
 
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今回のニューデリー訪問は、私にとって、半世紀前に遡る青春?プレー バックであり、又、新たの発見・体験の旅となりました。
 
最後の写真は、冒険旅行を敢行してくれたドライバーのKranti Kishor 君です。
2年間闘病生活をしたと聞きました。明日の空港送りの時に昇地式棒体操の棒をプレゼントすることにしています。
 
今日は、久々の安息日となりました。
 
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テラスに出ると芝生のあちこちに鳥が舞い降り、餌を啄んだり休息をしています。
 
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ニューデリー地方に特有の薄い靄がかかっていますから、陽光も気温も柔らかに感じて快適です。
 
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こうした広々とした庭先で過ごせば、心も穏やかでになります。心も広くなりますね。
 
レストランに入り、メニューを開くと「UNADON」の文字が目に入りました。
 
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インドでうな丼とは、・・うな丼が食べられるのは元気の証拠であり、又、うな丼を食べれば元気が出ます。
 
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インドで牛肉のステークを注文するわけにはいきませんし。インドはヒンズー教徒の国です。ここでは、「聖牛」の肉である牛肉を口にしませんから。
 
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食事が終わると、サービスマネージャーから声が掛かり「写真を撮らせていただけませんか」と丁寧な注文があり、喜んで写真に収まりました。
 
自然も人々も 「インドでの温かい持て成し」に感謝しています。
 
ホテルのラウンジは、19階にあります。樹海?とは大げさですが森の中に顔を出した「インドの門」を眺めていたら、インコが2羽、目の前の窓枠に留まりました 
 
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インコも高みの見物を楽しんでいるようです。
やがて紳士が寄ってきて来ました
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。「昨日、玄関でお見かけしました。沢山の人から出迎えを受けられましたが、何をなさっていますか」との質問です。
 
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Anandさんは、オイル関係のエンジニアだそうです。
旅の目的や仕事の話をしていると奥様の事が話題になりました。
「ムンバイで30人の子供たちを預かっています。Precious schoolと言う学校を経営しています」とのことでした。持ち合わせた、「手作りおもちゃ親子愛情教室」英語版のテキストを差し上げました。
 
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「次回、インドを訪問される際は、是非、妻の学校を見てください。自宅にもご招待します」とのこと。インドでも手作りおもちゃ親子愛情教室が広がることを楽しみにしています。
 
夕食時、若者の会食の様子が目に入り尋ねると、韓国から来た民族舞踊を演じるグループでした。
 
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しばらく、韓国語で立ち話をしました。韓国政府が、国を挙げての国際交流に務めていることを知りました。
 
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